最近Xにログインする回数が増えている。
登録したのは昨年の12月。
くみのアカウントを探し、ポストがなく心配していたフォロワーさん達に向けて、夫として報告をさせてもらった。
そのままには出来ないと思っていたから。
すぐに返信が届き出した。
それぞれくみと交流があり、病気の事で繋がっていた方々ばかりだった。
その誰もが涙が止まらないと…
俺に対しても気遣ってくれている言葉が続いていた。
辛い状況ではあったけれど、報告に気付いてくれたくみのフォロワーさんに、しばらくその流れで返信したいと思っていた。
中には俺をフォローしてくれて、くみへの思いをDMしてくれる方も何人かいたんだ。
落ち着いてきた数日後に、それまでのくみのポストを遡って目を通した。
じんちゃんや花、自撮りや食べ物、病院とか景色の写真もたくさんあった。
ポスト自体の内容は病気の事がほとんどで、相互フォローしている方々も病気繋がりの人が多くを占めている。
応援・共感・情報共有出来る環境がそこにはあった。
頑張っているくみの言葉から、元気をもらって励みになっていましたと、綺麗な花や可愛い写真でいつも癒やされていましたと。
俺の知らなかったこの場所で、くみは多くの人達に愛されていた。
そこに直接触れた時、俺にも何かできないのかなと思った。
また、今の周りには関わっていないタイプの人との繋がりが、ここにはあるのかもって思ったんだ。
俺は元々、初期のSNSに首までどっぷり浸かっていた人間だ。
現在は廃れてしまったけど、全盛期にモバゲー・グリー・ミクシィに登録していて、グリーでは数千人規模のコミュニティー管理人を引き継いでいたり、刺青コミュニティを立ち上げてタトゥーイベントに参加したりもしていた。
だからネットの繋がりには慣れていて、そこに抵抗がない事は本音だった。
逆にツイッターやインスタグラムが流行り出した頃には、SNSから距離を置き始めて今に至る事になる。
今更ネットで人との繋がりは必要ないのかもしれないと思っていたけど、触れてしまって感じた事に、俺は自分に素直になりたいと思った。
誰かの為に何の力にもなれないし、くみの代わりが出来るわけでもない。
それでも、くみがいた場所に俺も立ち寄れたのだから、出来る事は引き継いで関わっていきたいと感じたんだ。
今Xで主にフォローさせてもらっているのは、病気で辛い思いをしながらも頑張っている人、身体に障害があっても前向きな人、メンタル面が不安定な人、介護や緩和医療に携わる職業やご家族の人、大切な人を失ってしまった人、弱っている心に優しい言葉を伝える人。
そんな背景のあるの方々と、少しでも関わりたいと自分で思うようになってきている。
なぜかは解らないけれど。
くみが病気の事で主治医や身近な人より信頼していたネットの友達。
じゃあ実際には、そのネットの友達の人達は何かしてくれたのか?と以前は疑問を持っていた。
身内や周りの人よりも、くみがネットの情報や会った事もない人の言葉を頼る事に、実際に側でくみを支える方にとっては、やり切れずもどかしくて仕方なかったから。
でも触れてみて知ったよ。
重い病気の人が、同じような病気の人を励ましてくれたりする環境なんて、自分達の周りの身近な場所にはなかったと思う。
がんセンターでは患者さん達がみんなうつ向いて下を向いている。
そこに笑顔はない。
でもXでは違っていた。
共感してくれるフォロワーさんが綺麗な花や景色、励みの言葉、ちょっと笑ってしまう面白い画像や動画、
病院や治療に関する事のリアルタイムな情報、アドバイスや質問等…
それらが溢れていて現実にはない環境があった。
もし今の俺が難病や癌になっていたり、病気や事故で身体に障害があったりしていたら、きっとこの場所は心の拠り所になっていると思う。
実際今だって俺は普通の状況ではない。
くみと最後まで過ごした家のリビングで、電気もテレビもつけっぱなしで朝まで寝たり起きたりしている。
半年間もそうしている。
くみの部屋も自分の部屋でも、長くそこに1人では居られないから。
くみがXポストに残した数々の写真と言葉。
それに似せて俺も、スタンプ加工した明るい雰囲気の写真に、なるべく前向きな言葉で近況をポストしている。
ネガティブな発信はしていない。
後ろ向きな気持ちを言葉を出すと、自分にブーメランで戻って来るのが辛いから。
逆に心が沈んでいたり気分的に気が乗らない時には、ログインしても何も出来ないし何もしない方が楽。
もう泣き言を言うのもゴメンだ。
男だろ?しっかりしないさいよ!って、くみに怒られちゃうからね。
最後の最後まで強く優しく
その生きた姿が目に焼き付いてる。
この場所はSNS
用途は様々だけれど、今の俺にとっては少しだけ、誰かの励みや癒やしになれるかもしれない場所。
様々な考え方や意見と情報を知る事で、自分の在り方も見つめ直すきっかけとなる気もする。
家で1人黙っている時間をただ過ごすより、何か1つでも共感できる誰かと、言葉を文字に替えて何気ない会話をしていた方が有意義だとも思う。
もっともっと広い視野で、物事を多く知りながら判断して行きたい。
それは自分の為でもあるから。
くみがそうしていた様に…
俺も今はこの場所へ居たいと思ってるんだ。