最初の一匹が藪からにょきっと顔を出したのを皮切りに続々と出てきたのはたくさんのヘビだった。


 大きいのや小さいの、灰色やら茶色やら、無地もしましまも。黄色と黒のハデなヤツもいた。無数のひも状のものが体をくねらせて這い寄ってくる。ヘビの動きとはどうしてこう、なまめかしくも誘惑じみているのだろう。


 数歩後ろは断崖絶壁、正面は向かってくる無数のヘビたち。


「どいつも大きくはねえようだな、これなら勝てそうだ。」

「でも、数がねぇ。」

 レヴィが言うのも無理はなかった。大きさこそ知れてはいたが、10匹や20匹ではなかった。ゆうに50匹は数えるだろう。ズリズリ、くねくねと近づいてくる。


 だが、目前まで迫ったヘビたちになぜか殺気は感じられない。彼らは夢遊病者かあるいは操り糸に引かれるようにただ朦朧として進んでいるだけだ。

 モグラとネズミの姿さえ目に入らないのか、二匹の間をすりぬけていった。ギルとレヴィにとっては肩透かしもいいとこだ。「あんたたちなんか目じゃないのよ」と言われているようで、それはそれで鼻白んだ。


 その後、蛇たちは崖っぷちでピタリと止まった。


 二匹はヘビたちの群れの中に棒立ちだった。まるで蛇の幼稚園児を引率する先生のようで何ともサマにならない。


 そんな二匹に構うことなく、ヘビたちは湖面を見下ろしながら何やらブツブツ言いはじめた。

ぽつりぽつりと不吉な単語が聞こえてくる。呪い、恨み、etc.  初めはよく聞こえなかったが、

「・・・永遠の呪詛を・・・」

「知恵の代償・・・・・許さない、許されない・・・」

「積年の恨みを・・・」

そのような言葉を呪文のように湖に吐き捨てている。


 断片を繋げあわせるとこういう話のようだ。彼らは自分たちのことを「知恵を授ける者」だと名乗っており、知恵の見返りに神から手足を奪われた。その恨みは決して忘れないというような話らしい。


 その内に満足したのか、次第に声は小さくなって止まった。ヘビたちは三々五々、元の森へ戻りはじめた。


 ギルのすぐ横を通り過ぎようとする一匹の小さい白ヘビに、ギルはおそるおそる声をかけてみた。


「あのう、何で文句言ってんですか?」


 白蛇は物憂げにギルを見上げて、いかにも面倒くさいわと言いたげに、

「神の傲慢に一矢報いる準備をしてるのよ。」そう言って立ち去ろうとするので、レヴィがすかさず問いを重ねた。


「何の恨み?」

 白ヘビは、手足をとられた恨みと答えた。真理の代償として。

「真理って?」

 白蛇は、またも迷惑そうだったが、

「真理ってほんとうのことじゃないの。世界の本当の姿よ。」


 レヴィは一瞬にして魅せられた。

「すごい!ボクは本当のことが知りたくてたまらない!でも、どうしてそれで罰したりするんでしょ、おかしな神様だ。」


 その言葉に反応して白ヘビはピタリと動きを止めた。死んだような目にキラリと生気を宿らせた。


「キミは見てみたいの? 世界の本当の姿・・・」(つづく)




 あたり一面にスイカズラの花が咲く草地を分けて、二匹は駆けた。

草むらに一本の線ができて、やがて消える。走る彼らの後を、黄色い小さな花がおじぎで見送る。それからツルバラの茂みを抜けて、夕陽が沈む方向へと一目散に駆けていった。


 低い松林を過ぎたら、いきなり視界が開けた。


 180度見渡す限り、水、水、水。広大な湖が、沈みゆく夕陽の面影を湖面に受けて、あやすように揺らしている。

 夕陽の名残が水面に長く尾をひいている。ひときわ大きく膨らんだ夕陽は真っ赤なドレスを広げて、せりに乗って降りてゆくオペラ歌手のようだった。今がクライマックスだ。

崖の際まで進み出たギルとレヴィは肩を並べて、放心したように日没の瞬間を見つめていた。


 それはもう、この世のものとは思えない美しさだった。レヴィの頬には知らぬ間に、つーと涙が流れていた。


 やがて光は世界を闇に明け渡し、暗がりがシルバーメタルの侍従を連れてやってきた。

見上げると、たくさんの星たちが控えめにも鋭く清らかに夜の世界を守っていた。


「こんなに美しい風景がこの世にあったなんて。」レヴィがそう言うと、ギルも、

「ああ、オレ生きててよかったと思うよ。」と、珍しくも真面目に答えた。


 トウブモグラたちは、こんなに美しい土地を手に入れるのだ。ここに自分たちの王国を築くのか!そう思うとギルの心臓はひときわ大きく高鳴った。


「ねぇ、君のお仲間たちはまだ到着していないようだね。」

「ああ、なにせ足踏み同然のスローな前進だからな。まだ先頭集団も崖の岩場のあたりじゃないかと思うよ。」


 レヴィもおそらくその辺りだろうと思った。彼らがやって来るまでには、まだしばらくの間があるようだ。


「でもさ、こんな理想郷のような土地なのに、どうして崖から飛び込まなくちゃならないんでしょ。」

 レヴィが言い出すまでもなく、ギルはずっとその事を考えていた。


二匹はどちらからともなく、2、3歩そろそろと歩を進めて崖の下の湖面を覗きこんでみた。だが彼らの眼下には、岩に当たってささやかに砕ける小さな白い波があるだけだ。


「10年後の凶事は、まだ始まっていないみたいだな。」

「うん、間に合うってことだね。」


 太陽が沈みきると、やがて湖の向こうに人間たちの街のあかりが浮かび上がってきた。赤やオレンジや黄色の小さな光の群れはホタルのそれとは違ってくっきりと明確で、色も大きさもさまざまでそれはそれは美しかった。

 とっぷりと日が暮れた後も、景色に見とれながら同じ場所でギルとレヴィは話し込んでいた。


 どれほどそうしていたのだろう。会話が途切れて、少しの間ができた時だった。


 ざわ、ざわ。

背後の森がざわついている。


 ギルとレヴィは振り返ったが、黒い森が横たわっているだけだ。

何者かが草を分ける音はあたり一面から、まあるく彼らを取り囲むように、しだいに大きく聞こえてきた。近づいてくる。


 ざわ、ざわ、ざわ、ざわ。

彼らは身構えた。(つづく)







レヴィはニュートンを恨んでいた。

だがそれは筋違いというものである。恨むなら万有引力を恨むべきだ。

 

 崖の岩肌にへばりついた小動物二匹。しかもモグラとネズミのコンビだ。もし誰か見ている者があったなら、きっと奇異な光景に目をこすったに違いない。

 陽が翳ってから登り始めた崖の斜面はほぼ垂直にせり立っていて、うっかりするとそのまま地表へ落下しそうだ。


 足場を見極めながら、次はあの石に手をかけて、その次はあのでっぱりに足を置き換えてと、よくよく慎重に体を上へと這わせてゆく。


「地面を縦にしただけなのにねぇ、登るって大変だねぇ。」

「うん、横が縦になっただけなのにな。万有引力のせいだな。」

「上昇志向なんてよく言うけど、昇るのはコツコツ、でも転落は一瞬だよねアハハ!」

「下らんコト言ってると、踏み外すぞ。」

二匹は、もう七分がた登りきった。あともう少しだ。


「安心するなよ、登りきるまで油断すんじゃねえぞ。」

この助言はすでに下で聞き飽きていた。レヴィもそれほど迂闊ではない。

だが、ことが起こったのは油断のせいではなかった。


「うわーーーーっ!」

叫び声はギルのものだった。


 レヴィのナナメ上あたりには、急にあわてて踏み外しそうになったギルが居た。何とか踏みとどまったようだが、「おっ、おっ、おっ、」と意味不明な声を出している。


「どしたのさ? 何言ってんのギル?」

見ると、ギルの頭3つ分くらい上側の大きめの岩に、ヘビがとぐろを巻いている。しっかりとギルの動きを見つめている。ごちそうが近づくのを待っているのだ。


(サソリの次はヘビかよ、やってくれるじゃねえか、次は何だよ、砂かけババアか?何でもきやがれってんだ)

ギルは心で悪態をついた。見ているレヴィもどうすることもできない。


「ねぇ、戻ろうか。」

「ダメだ、この高さから後ろ向きに降りてくなんざ、登る以上に難しい。危険すぎる。」

「でも、あの岩を通過しなきゃ、他にルートないよ。」

「あー、あと一歩てとこなのに、くそっ!」


 二匹は、岩肌にべったり張り付いたまま、進むことも退くこともできず、足止めをくらってしまった。体力だけがじわじわと消耗してくる。


 その時だった。聞き覚えのある小さな声がしゅるしゅると鳴いている。

「坊ちゃんたち、こちらですよ。」


 レヴィの右側、岩の黒い裂け目から、ちょろりと顔を出している者がある。先ほど助けたサソリだった。


「坊ちゃんたち、この岩の隙間の洞窟を通っていけば地表にも出られます。狭いですが坊ちゃんたちなら通れますよ。どうぞ私に続いて。あ、でも、必要以上に近づいちゃいけませんよ、ワタシ本能ありますからね。」


 レヴィは迷わずに、サソリについて行った。ギルも何とか体を横に移動させて、サソリの穴にもぐり込んだ。信用するもしないも、それ以外に方策は無かったのだ。


 二匹は、崖の内部の暗がりへと進んでいった。サソリは充分な距離をあけて、レヴィとギルを先導した。そしてサソリの言うとおりだった。その内ぽっかりと地表に出た。そよそよと高原の風が夕暮れの中で下草を揺らしている。


「坊ちゃん、命をすくっていただいたのに、刺したりなんかしてホントにお詫びのしようもない。坊ちゃん達の崖登りが心配で、離れた所から見守っていたのですよ。」

サソリはそう言って短く事情を説明した。


 二匹は助けてもらった礼を口々に述べる。

「ほんとに有難う、でももう近づかないでねー。」

「助かったよ、遠―くで達者でな。」

 助けてこの言われようとは。だがサソリも、これで少しは心の荷が下りたのか、軽い足取りで嬉しそうに岩の亀裂へと姿を消していった。


 その夜は、立場が逆転した。ギルはさんざんにレヴィの逆襲を受けることとなった。何かって、説教攻撃だ。「情けは人のためならず」とか「運命はどう転ぶか分からない」とか「見かけで判断するべきじゃない」とか、ギルはいやというほど聞かされることとなった。


 有頂天のレヴィだったが最後はしっかりと、

「でもね、本能を甘くみちゃいけないっていうのは、ギルに言われてよく分ったよ。」

そのように締めることも忘れなかった。


 色々なことを学んで、学んで、レヴィは確実に成長していた。並ぶギルも成長しているので自覚は無かったが、旅立ちの頃から比べるとレヴィの背はずいぶんと伸びていた。(つづく)