「ああ言ってるんだし助けてやろうか、ねぇギル。」

「バカ、おまえあの尻尾が見えねぇのかよ!」


 サソリの情けない顔とは対照的に、尾は刺す宛てでも探すように空中でもがいている。指揮者の指揮棒のように宙に弧を描いて。


「でもさ、あの姿を横目にランチ、喉にとおる?」

「バカ、さっさと場所がえすんだよ。」

「でもぉ、ギルはアレを見捨てて行ける?」

そう言ってレヴィが指さす先には、さきほどよりもさらに哀れなサソリがぐったりとしている。尾も次第に力なくなり、地に落ちはじめている。最終楽章のおわりあたりか。


「仕方ないよ、行こう!」

ギルはそう言ったがレヴィはもう助ける気だ。

じゃボクが一人でやるよとサソリの間近まで進み出た。

「お、おいっ、やめとけよって。」


 数歩後ろでギルが止めるのもきかずに、レヴィは石に手をかけてよっこらせっと押しはじめる。

「おおおお、坊ちゃんに神のご加護がありますように・・・。」

サソリは涙ながらにそう言いながら、じっと石が動くのを待っている。


そして石はごろりと転がった。

その時だった。

ブスリ!


 あっという間もなかった。サソリの尾はレヴィの横っ腹を突き刺した。

「あっ、私ったら何ということを、恩人のぼっちゃんに!」

 サソリはひたすら、あーごめんなさい、あーすみませんと言いながらズリズリと後ずさる。


 ギルはキレた。

「テメエ!あれだけ言っておきながら、何しやがるんだ!」

対するサソリは、

「あー何ともお詫びのしようがない、ああどうしよう・・」と、本当に面食らっている。

「本当にそんなつもりは無かったんです、でも仕方ないんです、これが私の本能なんですから。」

そう言ったきり、サソリはゴソゴソと岩の間の亀裂にフェードアウトしていった。


 青くなったギルは、うずくまるレヴィに近づいた。

「おい、しっかりしろ!おいっ!」

すでに意識はない。

「おい!おいったら!」

やっとぼんやりと目を開けたレヴィは、やっとの思いで口をうごかす。

「ああ、やられちゃったね。でもいいんだ、人を信じられないよりも、信じて騙される側のほうがずっと心安らかだよ。これでボクも安心して・・・」

「おいっ、目をとじるんじゃない、気を確かに持つんだ!」

 

 ギルは傷口から毒を吸い出そうとレヴィの横腹に顔を近づけた。

あれ?何かオカシイ。

傷がない。そしてレヴィの足元には割れたサツマイモが転がっている。


ギルはは~んと閃いた。

サソリが本能的にレヴィを襲ったとき、運よくレヴィの横っ腹につるしてあるサツマイモに刺さったのだった。何という強運!


「おい、おきろったら!」

「あーもうボクはダメだ、ああお迎えが見えるよ、自縛霊にはなんないからねー。3日後も復活はしないだろう、ギル、アディオス、グラッシャス・・・」


「おい、刺さってねえよ。」
「え?」
「刺さってねえったら。やられたのはイモだべな。」
「イモ?おイモ?」

 正気に戻ったレヴィは、しばらく笑いものに甘んじ、なおかつギルの説教も甘受しなければならなかった。

耐え切れなくなったレヴィが、「でも、結果オーライぢゃん。」そう言った時に、それまで手加減していたギルは本気で怒った。


「ふざけんなっ!」


「オマエが生きてるから他人を助けられるんだぜ。オマエが死んだら、もう誰も助けられないんだ。まずは自分が生き残ることを第一に考えろ!それが今まで殺してきた動物たちへの最低限の礼儀だろうが!」

その先もまた、「本能を侮るな」とか、「みんな必死で生きてんだ」とか、延々と説教が続いたのであった。


 ひとまずここは、レヴィの身代わりになったサツマイモの成仏を祈ろうではないか。アーメン。(つづく)





 確かな足取りで進むレヴィとギルはもう岩場までやって来ていた。この岩壁を登って台地の森を抜ければいよいよ目的地だ。


 いつしか二匹は目的地のことを天の崖と呼んでいた。天の崖まであと一歩だ。


 二匹はゴツゴツとした大きな岩の壁の下で、足場を確認するようにこれから登る茶色い岩壁を見上げていた。

 いつのまにか季節は夏。初夏の太陽が岩肌を焼き焦がす。日なたの岩に触れると熱くて火傷するほどだ。


「こりゃ、昼間は登れねえな。陽が落ちるまで待とう。」

提案に反対する理由は何もない。レヴィはこっくりと頷き、二匹は直射日光を避けて岩陰に身を潜めた。


 陰に入ると、日向とは打って変わってひんやりとしている。地面は僅かな湿気を含んでいて、ひんやりと気持ちが良かった。火照った体と疲れた足腰に心地よい。

 二匹はここで日没までの時間をつぶし、夕方からのロッククライミングに備えて鋭気を養うことに決めた。



 どっしりと腰を落して、途中で見つけたサツマイモで腹ごしらえだ。ギルがあんぐりと口を開けたところだった。

「あれ、何か聞こえない?」気がついたのはレヴィだった。


 ギルが耳を澄ますと小さくしゅるるる、しゅるるるという音が聞こえる。

動物ではなく昆虫の鳴き声のようだった。それも助けを求めているような声だ。

「あ、ほら、あそこ!」

 レヴィが指差す先には、一匹の黒い虫が居た。大きな爪を振り上げて、まるで「ここです!ここですよ!」と言っているようだった。ザリガニ?いやちがう、サソリだった。


 二匹は身構えた。だがサソリは襲ってくる様子はない。むしろ必死に何かを訴えかけている様子だ。更に耳を澄ましてみた。


「助けてください、助けてください・・・」サソリは息も絶え絶えに小さくそう言っていた。

 恐る恐る近づいてみるとサソリの片腕が石の下敷きになっているではないか。これでは動けない。きっと落石に見舞われたのだろう。不運なサソリはこのまま死を待つしかない。


「この石を何とか、どかしてもらえませんか、お二人ならきっと出来ると思うので。」

 もうダメだと思っていたサソリは、思いがけず岩陰に現れた闖入者に再び生きる光明を見出し、せいいっぱいの力で懇願しているのだ。


 二匹は顔を見合わせた。

「普通なら、ね・・・」

「うん、普通なら、な・・・」


 そうなのだ。石もさほど重そうでなく、ネズミとモグラの二匹が力を合わせれば動かせない大きさではない。それに困っている者を助けない道理はない。だが問題は相手の属性だ。なにせサソリなのだ。現にサソリが必死で物を言うたびに、こちらへ向けてエビ反った尾がぷらん、ぷらんと揺れている。


「えと、助けてあげたいのはやまやまなんだけれどね・・・。」

「オマエはサソリだろ?だったらオレらが近づいたら刺すんだよな?」

二匹は、申し訳けなさそうに代わる代わるそう言った。


 だがサソリは、めっそうもないと言うように半泣きになりながら食い下がる。

「そんなこと、あるわけないじゃないですか。」


「でも、君はサソリでしょ? サソリって刺すものだもの。」とレヴィが言う。

ギルも追いかけて言う。

「石をどけようと思ったら、どの位置からでも尻尾が届くもんな。」


 サソリは無我夢中で弁明する。それはそうだろう彼の命が懸かっているのだから。

「坊ちゃんたち、考えてもみてくださいよ。私は今こんなに困っていて、誰かが助けてくれないと死んでしまうのは明らかです。むしろそうなってしまう筈だった。けれどもそこに運よく坊ちゃん達が現れた。私にどうして、あなた方を刺すような理由があるんですか。あるもんですか。恩返しこそすれ、刺す理由が見当たりませんよ。」


 そう言ったあと、サソリは

「どうか、信じて下さい。私の命はあなた方の手にかかっているのです。」とそう懇願するばかりだ。


 二匹は困ってしまった。さて、どうしたものか。(つづく)






 ザック、ザック、ザック。

 二匹の足音が力強く響く。


 レヴィの期待は膨らんでいた。湖の向こうの沢山の灯りと、その彼方に住むという人間たち。


「ねぇ、人間って見たことある?」歩きながらレヴィが唐突に聞いた。

「いや、無い。」とギル。


「でも、人間の噂は聞いたコトがあるぜ。」と再びギル。

 ギルはかつて、一度だけ人間を見た事がある仲間の話を思い出した。


 レヴィは人間のことを何も知らない。すごく大きいけれど、びっくりした時のような妙な姿勢で歩いていて、走るのが遅く、おっとりしているらしい、レヴィが知っているのはそれくらいだ。

 でも、湖の向こうに星を集めて街を作れるくらいだから、きっととても賢い動物にちがいない。レヴィはそう思っていた。


「人間って怖くないのかな?」

「オレらを食ったりはしないようだ。たまたま人間に見つかった仲間は、しばらくじっと見つめられた後、籠に入れられて、それから巣の近くで放してくれたそうだ。」

「へーーーっ!」


 金色のふさふさした毛が腰まであるけど、体はつるつるで肌は白くて柔らか、おまけに鳥のように細くて綺麗な声で鳴くんだと、ギルはまるで自分が見てきたかのように伝えた。


「柔らかいって、触ったの?」

「うん、弱ってた仲間は、抱き上げられたらしい。顔の近くまで持ち上げられた時には、もう終わりだと思ったそうだよ。」

「でも、えらく口が小っちゃくって、チラリと見えた歯はそれはそれは小さかったんだって。とても動物を襲って食べるような口じゃなかったってさ。」


 ギルは続けて言った。

「どうやら、人間はオレらがどんな生き物で、どのあたりに住んでいるかも、ちゃんと分かってるみたいだったって、仲間はそう言ってた。」

 

 何か調べている様子で、その辺りの草花を触っては、ノートに何か書き込んでいたらしいとギルは言った。


「じゃあ、人間って優しくて動物を守ってくれるんだ!じゃあ、やっぱり神様だね!」

「うん、そうかもな。」

「星を集められるだけじゃないそうだぜ、人間は太陽も作れる。ミニチュアの太陽をいっぱい持ってて、真っ暗な夜にもあたりを明るく照らしているそうだぜ。」

「わお!じゃあ人間は夜も怯えて寝たりしないんだ。何も怖くないんだね。」

「うん、きっとそうだ。」


 何て素敵なんだ!星も太陽も思いのままの人間は、きっとボクらの事を何でも分かっていて、森も湖も守ってくれているに違いない。

 日照りが続いても、ずっと辛抱していたらそのうち大雨が落ちてくるのも、きっと人間が見えない所で心配してくれているからだろう。あらゆる生物の生命を司って、遠い場所から見守ってくれているに違いない。レヴィはそんな風に思った。


「ボクも人間に会ってみたいな。ねぇ、ギルはそう思わない?」

「うーん、どうかなぁ。」ギルは、それほど乗り気ではないようだ。

「どうして?ギルは自分の目で確かめてみたくないの?神様だよ?」


 ギルは臆病者ではないから、怖いのが理由じゃない。クールで神様は居ないと思っていたのでもない。ギルは、神様は近くで見るものではないと思っていた。

「人間のことを神様だと思ってる間が、幸せなんじゃないの。」

「なにそれ?」


ギルに確かな考えがあるわけではなかった。

うーん、うまくは言えんけど。」
いつものキレがない。


「理想と現実ってこと?それならボクもちょっと分かるよ。」

「いや、ちょっとチガウんだよな、なんてか、実物よりも心で描く、その心の方が大事なんじゃないのかなってな。」
「?」

「よう分からんが、そういう事もあるんじゃないかなって気がしてな。」

 

 ふーんそんなもんかなと思ったけれど、レヴィは"本当のこと"を知ることが、いちばん大事だと思っていた。そして確かに、それもとても大事なことだった。(つづく)