レヴィはニュートンを恨んでいた。

だがそれは筋違いというものである。恨むなら万有引力を恨むべきだ。

 

 崖の岩肌にへばりついた小動物二匹。しかもモグラとネズミのコンビだ。もし誰か見ている者があったなら、きっと奇異な光景に目をこすったに違いない。

 陽が翳ってから登り始めた崖の斜面はほぼ垂直にせり立っていて、うっかりするとそのまま地表へ落下しそうだ。


 足場を見極めながら、次はあの石に手をかけて、その次はあのでっぱりに足を置き換えてと、よくよく慎重に体を上へと這わせてゆく。


「地面を縦にしただけなのにねぇ、登るって大変だねぇ。」

「うん、横が縦になっただけなのにな。万有引力のせいだな。」

「上昇志向なんてよく言うけど、昇るのはコツコツ、でも転落は一瞬だよねアハハ!」

「下らんコト言ってると、踏み外すぞ。」

二匹は、もう七分がた登りきった。あともう少しだ。


「安心するなよ、登りきるまで油断すんじゃねえぞ。」

この助言はすでに下で聞き飽きていた。レヴィもそれほど迂闊ではない。

だが、ことが起こったのは油断のせいではなかった。


「うわーーーーっ!」

叫び声はギルのものだった。


 レヴィのナナメ上あたりには、急にあわてて踏み外しそうになったギルが居た。何とか踏みとどまったようだが、「おっ、おっ、おっ、」と意味不明な声を出している。


「どしたのさ? 何言ってんのギル?」

見ると、ギルの頭3つ分くらい上側の大きめの岩に、ヘビがとぐろを巻いている。しっかりとギルの動きを見つめている。ごちそうが近づくのを待っているのだ。


(サソリの次はヘビかよ、やってくれるじゃねえか、次は何だよ、砂かけババアか?何でもきやがれってんだ)

ギルは心で悪態をついた。見ているレヴィもどうすることもできない。


「ねぇ、戻ろうか。」

「ダメだ、この高さから後ろ向きに降りてくなんざ、登る以上に難しい。危険すぎる。」

「でも、あの岩を通過しなきゃ、他にルートないよ。」

「あー、あと一歩てとこなのに、くそっ!」


 二匹は、岩肌にべったり張り付いたまま、進むことも退くこともできず、足止めをくらってしまった。体力だけがじわじわと消耗してくる。


 その時だった。聞き覚えのある小さな声がしゅるしゅると鳴いている。

「坊ちゃんたち、こちらですよ。」


 レヴィの右側、岩の黒い裂け目から、ちょろりと顔を出している者がある。先ほど助けたサソリだった。


「坊ちゃんたち、この岩の隙間の洞窟を通っていけば地表にも出られます。狭いですが坊ちゃんたちなら通れますよ。どうぞ私に続いて。あ、でも、必要以上に近づいちゃいけませんよ、ワタシ本能ありますからね。」


 レヴィは迷わずに、サソリについて行った。ギルも何とか体を横に移動させて、サソリの穴にもぐり込んだ。信用するもしないも、それ以外に方策は無かったのだ。


 二匹は、崖の内部の暗がりへと進んでいった。サソリは充分な距離をあけて、レヴィとギルを先導した。そしてサソリの言うとおりだった。その内ぽっかりと地表に出た。そよそよと高原の風が夕暮れの中で下草を揺らしている。


「坊ちゃん、命をすくっていただいたのに、刺したりなんかしてホントにお詫びのしようもない。坊ちゃん達の崖登りが心配で、離れた所から見守っていたのですよ。」

サソリはそう言って短く事情を説明した。


 二匹は助けてもらった礼を口々に述べる。

「ほんとに有難う、でももう近づかないでねー。」

「助かったよ、遠―くで達者でな。」

 助けてこの言われようとは。だがサソリも、これで少しは心の荷が下りたのか、軽い足取りで嬉しそうに岩の亀裂へと姿を消していった。


 その夜は、立場が逆転した。ギルはさんざんにレヴィの逆襲を受けることとなった。何かって、説教攻撃だ。「情けは人のためならず」とか「運命はどう転ぶか分からない」とか「見かけで判断するべきじゃない」とか、ギルはいやというほど聞かされることとなった。


 有頂天のレヴィだったが最後はしっかりと、

「でもね、本能を甘くみちゃいけないっていうのは、ギルに言われてよく分ったよ。」

そのように締めることも忘れなかった。


 色々なことを学んで、学んで、レヴィは確実に成長していた。並ぶギルも成長しているので自覚は無かったが、旅立ちの頃から比べるとレヴィの背はずいぶんと伸びていた。(つづく)