トリノの聖骸布の医学的法医学的説明

フアン・マヌエル・ミニャロ・ロペス(Juan Manuel Miñarro López

 

参照:「トリノの聖骸布

 

 

 

 

序論

図面と写真で構成された以下の文章は、EDICES(Centro Español de Sindonología スペイン語音韻学センターの国際研究チーム)のメンバーとして、トリノの聖骸布(イタリア)と、オビエド(スペイン)の聖骸布について、6年間に渡る個人作業と研究の結論であると同時に、キリストの受難に深く関係する物体についてこれまでに行われた最も完全な法的医学研究のまとめであると言えます。

20世紀初頭から今日に至る迄、法医学分野の著名な専門家の活躍は、聖骸布と聖骸布の理解の基礎となっています。

 

しかし、人類学者、考古学者、歴史学者、物理学者、化学者、芸術家など、異なる科学分野に属する他の専門家の貢献もあって、聖骸布の理解は進んでいます。


古代の遺物が、これほど完全な学際的チームを結集させたことはありません。

聖骸布の像の形成を説明する為に、科学は現在満足のいく答えを持っていませんし、賛成派も反対派も、関連する科学的分析に耐える決定的な証拠を科学に提示できていないのです。

 

 

 

 

聖なるシーツは男性の体を表現している

私達が表現した遺体は、その一般的かつ特殊な側面において、身体人類学、及び法医人類学の研究に従ったものである:聖骸布に見られる像や痕跡は、5~6時間程度の最近の死体の外観に正確に対応しており、即座に、或いは非常に早い段階で確立された激しい硬直状態で、激しい疲労と痛みを伴い、発熱状態が続く事で悪化した重度の脱水を伴うと云う、暴力的な死による場合の特徴である。


斜面の解剖学的領域では、遺体の位置を指し、死後の重力の作用により、数時間の死体に想定される色調を持つ、止血斑、又は死体斑が表現されています。

これらの斑点は、重力により血液が蓄積して形成される為、死体が死亡時に、どの様な位置に留まって居たかを明確に示すものである。


 

外傷の形態、血液の色と質感は、アルフォンソ・サンチェス・エルモシーヤ博士(Alfonso Sánchez Hermosilla)と、アントニオ・プチ・ガンセド博士(Antonio Petit Gancedo)の法医学的助言のお陰で実施されました。

彼らの貢献により、静脈性出血、動脈性出血、死後出血と云う異なるタイプに応じた血液の形態を表現する事ができました。同様に、血清による体液と死体肺水腫に由来する体液を区別する事ができました。


ジュディカ・コルディリア(Judica Cordiglia)によれば、その体型は、体幹と四肢の線が調和した彫刻的な体型を保ち、幅と長さの均衡がとれた長身の男性(178~180cm)と云えるそうです。

聖骸布の男が規範型と定義される理由は、詰り、民族的な分類に捕われない完全に特殊な体型を呈して居る事である。

 

 

体型・構成としては、頭部はやや前屈み(約40°)、うなじは高く緊張し、頸椎の後弯が顕著である。

胸鎖乳突筋、僧帽筋、吸気筋、三角筋、腕の上腕筋は硬く、胸郭は強制吸気時の様に拡張して居る様に観得る。


大胸筋は収縮して突出し、肩甲骨筋も収縮して肋骨に付着しています。

陥没した上腹部:隆起した下腹部。

 


背腰筋が非常に緊張し、腰椎の前弯が強調され、腹部が膨張している。

脚は、右が64度、左が77度に曲がっている。

 


足の爪の傷は、スミス博士(Dr. Smith)の理論に基き、踵骨、距骨、舟状骨、立方骨の合流点、足根洞に繋がるスペースにあります。

左足は90°屈曲し、右足は155°過伸展しており、パラシオ・カルバハール
(Palacio Carvajal)は、この姿勢を「立って居る馬(Standing Equine)と呼んでいる。

腕は体の他の筋肉よりも硬くなく、恥骨の上で交差させているが、交差させる事で生じる死後硬直を克服しなければならない為、明らかに無理なポーズとなっている。

 

 

    

 

顔・頭:隙間・茨の冠

その結果、顔が腫れて居る事が判明しました。

 

これは、非常に酷い拷問を受け、同時に、頭に茨の冠の様な、切り裂く様な物を被せられた男性に典型的なものです。


頭部の観得る範囲に、50以上の刺し傷が見られる。

 


鼻の潰れ、眼球と右頬骨の腫れから、棒で殴られた様な傷が有る事が判る:直径約4.5cmの円柱状の物体。

又、髭の毛が無く、まるで意図的に抜いた様な状態である事も判ります。

 


 

その様子から、顔には激しく殴られた跡が在る事が判る。直接打撃と間接打撃の両方による傷が在り、恐らく転倒によるものでしょう。

 

額部、両上毛弓部、前頭部中央部が腫れています。

右眉弓に腫脹が続き、眼球の外側でより顕著である為、部分的な閉鎖が必要である。


額、こめかみ、首、頭皮に大量の活血の塊がある。

鋭利なものによる傷と一致する動脈、又は静脈の出血が頭蓋骨の周辺に大量にある(夏芽の棘の帽子)。

 

右頬骨部(右頬)の下に、三角形の形をした大きな打撲があり、その最も細長い頂点は鼻筋に向かっている。

 


鼻背の左頂点の高さに、鼻軟骨を骨折させたと思われる打撃による打撲痕があり、鼻が左に偏位しています。

鼻は左翼が扁平になり、唇、口ひげ、顎、髭には血が滲んでいる。右の口角から、唾液と肺水腫の液体に混じった大量の血液が流れ出ている。

 


あごは非常に傷つき、鼻孔から大量の血液が流れ出し、口の右側と下唇の中央を横切る2つの噴流を形成しています。

 

 

 

 

 

ローマ時代の鞭打ちの足跡
 

実質的に全身に、長さ約3cmの小さなダンベルに等しい、またそれに似た小さな傷跡がある。

この傷跡は、直径約12mmの小さな円形で形成され、互いに多少離れているが、多くの場合、目に観得る横線によって結合されている。

これらの傷跡は、肉眼では余り観得ないが、紫外線写真ではっきりと確認できるものもある。


それらは間違いなくFlagellum Taxillatum:鞭毛」という名前で知られるローマの拷問器具によって残されるものです。
 

動物から得られた神経によって形成された 3 つのストラップを仕上げる玉、又は「タクシーリ:Taxilliに因んで名付けられました。

 


これらの病変の傷跡は、背中、脚、胸、腹、臀部、更には性器に至るまで、全身に及んでいます。


明らかに、この残忍で組織的な罰を受けた時、男は全裸だったに違いないと思われる。

 

 

 

シンドック・イメージ(Syndonic Image)の研究から、強調されるべきであり、身体の実現に適用された幾つかの特徴を明らかにします:

刑罰は、2人の死刑執行人が右手で、約1メートル離れた被収容者の両脇に位置し、扇状に被害者の体全体に、計画的、且つ凶暴に打撃を与えています。

 


聖骸布に描かれた人物の横顔が無い事(この点については未だ十分な説明がなされていない)、1532年のフランス・シャンベリでの火災で失われた腕の部分の痕跡が無い事等から、調査できていないものを除くと、その打撃の数は約120点にのぼったのです。

 


この事は、聖骸布から得られた紫外線写真をコンピューター解析し、体の各部分の血液や血清の流れが、どの様にキャンセルされたかを検証した結果、証明されたものである。


前かがみの姿勢では、上背部の棘は100°、90°、70°の角度で横に倒れ、拷問を受けている間、その後、既に直立した姿勢や座った状態では、棘は重力による作用で下に倒れ、臀部でも同様の事とが起こり、下肢では、筋は明確で、ほぼ常に下を向いて居る事が判ります。

これらの軌跡の多くが非常に明瞭である事は、鞭打ちから再び服を着る迄の時間、乾燥し、衣に吸収されず、身体に残り、接触だけでは説明できない過程を経て、聖骸布に至る迄に必要な時間によって説明する事ができる。


背中の上部では「タキシリ」の跡が消え、ぼやけてコンパクトになった様に観え、更に、傷付いた皮膚が何らかの粗い表面(絞首台か?)との摩擦で焦げたように、非常に擦り減っている。

 


最後に、膝にも大きな傷があります。

右の膝は、膝蓋骨の高さに大小さまざまな傷が多数あり、同じ場所に物質の喪失が感じられるが、左の膝は傷の範囲が狭い。

 

 

この傷の理由は明白です。刑場に向かう途中で恐らく何度も転倒したのだろう。

 

 

磔刑の傷跡

聖骸布で先ず目を引くのは、交差した腕(左と右)を見たとき、左手首の高さにある傷です(神聖美術で常に表現される手の平には在りません)。

 


ピエール・バルベット博士(Dr. Pier Barbet)は、切断されたばかりの腕を使って実験を行い、釘を刺すのに最も適した場所は手根であり、手の平では無い事を確認しました。これらの部位には、体の重さを支える構造がないのです。


聖骸布に描かれた人物は、垂直に吊るされ、腕の角度が約65°である事から、約80kgの重さがあると計算された。

両腕の角度に応じた重量は、次の数式で簡単に算出できます。
40kg÷65°の余弦=95kg。

 

手の平は、この重さに耐えられないが、手首は最大200kgの牽引力に耐える事ができる。

従って、バルベや他の多くの専門家によれば、釘は手根骨の間にある「デストットポイント:
Destot pointと呼ばれる空間を貫通しなければならなかった。

 

 

この空間は、バルベや、後に他の宗教画研究者が大骨と月状骨の間に置いたものである。 

そして、この傷害が正中神経の傷害と親指の外転を引き起こすとバーベットは主張していました。

 

しかし、外傷学の専門家であるフォル・パラシオス・カルバハル博士(Dr.For Palacios Carvajal)の最近の研究によると、手根部には、釘が貫通する可能性のある空間が2つあり、この場合は絶対に確実である。


又、バルベのもう一つの説である正中神経の病変を説明する為に、宗教像に両手の親指の痕跡が無い事は、真実とは思えないし、尤もらしいと考え、親指が観得ないのは、リラックスした姿勢の全ての手に殆ど普通に見られる様に、単に引っ込んで居るからではないかと主張しています。

以上の事から、少なくとも妥当と思われるのは、釘が手根部を貫通し、尺骨橈骨腔を貫通しなかったと云う事である。

 

 

これも解剖学的な領域ではあるが、安定した吊り下げを実現する為には、実現可能な領域であると考えなければならない。

 

しかも、聖骸布では十分に明瞭に確認する事が難しい手根部に比較的近い為、現時点では絶対的な判断ができない。

足の爪の傷は、スミス博士(Dr. Smith)の説によれば、踵骨、距骨、舟状骨、立方骨の合流点、足根洞に繋がるスペースに位置するそうです。

背面画像では、足はやや交差して居る様に観え、爪先は収束し、踵が離れている。

 


右足は、右膝が最も屈曲して居る事を示す足裏の傷跡が全て表示されています。

 

左足は、踵と中央部しか観得ない。

 

左足の踵は血で大量に汚れており、片方の手の指を使った様な跡がある。


完全に安全な状態で、左足を右に釘付けにし、そちら側の傷口を圧迫し、流れる血液が圧迫によって遅くなるように、台形で不規則なシミを形成し、左へ斜めに伸びる跡をつけた。

これは、既に述べた左足の圧迫により、血液が自由に流れなくなった時に起こる現象である。

しかし、左足には釘の刺入部位がはっきりと確認でき、自由に流れる血液の軌跡も幾つか確認できる。

 

 

 

 

脇に打ち込み

脇腹の傷は、第5肋骨と第6肋骨の間にある。

この傷は
Exactus Mortis:死因究明』、詰り槍の正確な一撃で死を確認する事を証明するものだろう。

磔刑に処せられた者は、通常
Crurifagium:クルリファギウム」と呼ばれる
「棍棒:Maceによる激しい一撃で足を折られ、死期が早められた事が分かっている。

福音書によると、イエスは比較的早く死んだので、そのような技法は必要なかった事が分かっています。

只、ローマ総督ポンティウス・ピラト
(Pontius Pilate)の命令で、彼の死の実態を確認する為に必要だったのです。

 

聖骸布に見られるものによると、側面の傷は、特にその外観と形態から、死を証明する反論の余地のない証拠となり得る。

様々な法医学者が、死後の出血の特徴として、血液の塊が、赤血球が浮遊する血漿や液体媒体から既に分離している様子を示しています。

又、特に紫外線を当てると、血栓の全周囲に漿液が形成するハレーションがはっきりと確認できます。


そして、傷口の縁は開いたままです。皮膚に引っ込みはなく、生命を感じさせません。

 

 

一方、これらの血漿や漿液は、恐らく鞭打ちによって引き起こされ、囚人の窒息死によって悪化した重度の肺水腫に由来するものと思われる。

この様な効果や汚れの種類は、オビエドの聖骸布の中央部にも見られる。

槍の場合、これらの液体は恐らく『死因究明』の証人である福音書記者聖ヨハネが、イエスの脇腹から噴出した血と水の発露として福音書の箇所で説明している現象の原因であった。

 

 

脇腹からの出血は、死体型のまとまった筋となって背中にも続いており、この場合、縦方向に対して横方向である事から、遺体は既に枯れ葉の上にあったのだろう。

 


聖骸布では「腰帯」と呼んでいるが、これは死体が動いた時に生じた側面の傷からの血液で、下大静脈の排出や肺水腫の液、血清、胸水等の痕跡があると考えられる。


最近の研究では、背中の左側、肩甲骨の下に槍の出口穴があることが発見されている。

 

もしこれが本当なら「彼らが刺したものを見よ」という予言的な言葉は、現実的で文字通りのものとなる。

 

 

麻布に包まれた姿の復元