フィル・シュナイダー:地球外生命体と政府の陰謀を暴露した後『自殺』したとされる地質学者
公開日:2017/08/05 投稿者:編集部員 CODIGO OCULTO
フィル・シュナイダーは、1947年4月23日にベセスダ海軍病院で生まれた。
Phil Schneider Documentary
両親はオスカーとサリー・シュナイダーで、父親はアメリカ海軍の大佐で、原子力関係の仕事に就き、最初の原子力潜水艦の設計を手伝った。
ある日、シュナイダーの友人の一人であるアル・プラットは、連絡が取れない事から友人の様子がおかしいと思い、彼のアパートに何度か足を運び、駐車場に車があるのを見たが、ドアをノックしても誰も出てこない。
1996年1月17日、アル・プラットは、アパートの管理人とクラッカマス郡保安局の刑事と共にアパートに入る。
アパートの管理人とクラッカマス郡保安官事務所の刑事とともにアパートの中に入ると、そこにはフィル・シュナイダーの無残な死体があったのです。
検視局では当初、フィル・シュナイダーの死因は脳卒中とされていた。
しかし...数日後、彼の死に関する不穏な内容が明らかになり、フィル・シュナイダーは脳卒中による死ではなく、殺されたのだと考える人が出てきて、全てが変わる事になったのです。
1996年5月、シュナイダーがビデオ講演を行い、自分の父親であるオスカー・シュナイダー大尉も有名な「フィラデルフィア実験」に関与していたと主張して以来、シュナイダーの様子がおかしくなってきた。
フィル・シュナイダーは、旧政府の構造技術者であり、国中の地下軍事基地建設に協力したと主張し、1979年にドゥルセ地下基地で起きたグレイ宇宙人と米軍との戦闘事件で生き残る事ができた僅か3人の内の1人であるという。
フィル・シュナイダーが殺されたのは、フィル・シュナイダーの前妻も含めて、彼が米国政府とUFOの関わりについて真実を公にした為だと考える人が多い。
1979年、フィル・シュナイダーは、モリソン・クヌーセン社に就職し、ニューメキシコ州ドゥルセの地下軍事基地建設に携わることになった。
当時のプロジェクトでは、砂漠に4つの穴を開け、それをトンネルで繋いで居た。
その際、作業員が誤ってグレイと呼ばれる宇宙人の秘密基地である大きな人工洞窟を開けてしまった為、事態は一変し、パニックと対立が始まった。
67人の作業員と軍人が死亡した(NATO軍である「デルタフォース」と呼ばれる米兵66人)。
フィル・シュナイダーは、たった3人の生き残りの一人である。
フィル・シュナイダーは、胸の傷はエイリアンの兵器に当たってできたもので、後に放射能で癌になると主張した。
シュナイダー自身は、陰謀論の講義をしている間に、13回の暗殺未遂を防いだと主張している。
複数の身体の不調(骨粗鬆症、癌、怪我)に悩まされた。
検視官は解剖時に血液と尿のサンプルを採取したが、郡は「自殺の調査に金を使う訳にはいかない」として検査を拒否した。
サンプルは12ヶ月間保管されていたが、11ヶ月後に独立した研究所にサンプルを送る事を尋ねると「行方不明」となり「破棄」されたとされた。
シュナイダーは、地球外生命体との運命的な出会いで、手の指を3本失ったと主張している。
シュナイダーは左手の指が完全になく、肩の動きも制限されていた。
指の無い左手でゴムホースを摘んでから首に巻くというのは、肩の動きを模して物理的に不可能だったのかもしれません。
更にフィル・シュナイダーは、化学薬品のエキスパートで、簡単に混ぜ合わせることができる錠剤を幾つも持っており、痛みを伴わずに素早く命を絶つ事ができた。
彼は9mmのピストルも持っていて、身を守る為に使っていた。
しかし、彼はホースパイプを使った自殺という、ゆっくりと痛みを伴う死に方をした。
フィル・シュナイダーが1995年5月に行った最後の講演で、地下の秘密基地と所謂「ブラック・バジェット」について述べたものを以下で見ることができます。
又、これらの発言により、自分の命が危険に曝されている事を宣言した。
7ヵ月後、彼は遺体で発見された。
PHIL SCHNEIDER : スペインの地下基地には脱走兵がいる // RazaDesconocida
元妻の声明
フィル・シュナイダーの元妻は、この謎の死を受け、次の様な声明を発表した。
私はポートランド(オレゴン州)に住むシンシア・ドレイヤーといい、フィリップ・シュナイダーの元妻です。フィリップと私は1986年に出会い、カーソンシティ(ネバダ州)で結婚し、1987年にはマリーという娘が生まれました。
シンシアとフィル
1990年に離婚し、別々の住居に移りました。
フィルは、オレゴン州ウィルソンヴィルのアパートに住むことになった。
1996年1月17日、フィルが自分のアパートで死んでいるのが見付った、死後、1週間は経過して居たようだ、という電話を受けた。
死因はゴムホースを首に3回巻きつけての首吊りで、結び目は半分が前に出ている。
フィリップが自殺ではなく、殺されたと考える理由は幾つかある。
- 01. 遺書はなかった。
- 02. フィルは、いつも友人や親族に、もし自分が「自殺」することがあれば、自分が殺されたことを知る必要がある、と言っていた。
- 03. フィルは、録音した講義(ビデオとオーディオ)、友人からの証言、9mmピストルの貸与など多くの情報源から、自分と家族が脅かされ、講義の為に身の危険に曝されて居ると考えていた。
- 04. 彼の講義資料:異質な金属、優れた数学の本、原爆十字路作戦から去るUFOの写真、異星人プログラムに関する彼の本のメモが全て紛失していた。金貨、数百ドルの入った財布、宝石類、鉱物標本等、彼のアパートにあったものは全て残っていた。
- 05. 遺体発見後、検死官が彼のアパートを確認する事は無く(オレゴン州の法律に反する)、彼のアパートから物品が無く成って居る事を考慮して、警察の捜査が行われる事は無かった。判り易く言えば、自殺と見做されたのだ。
- 06. 検視官が解剖時に血液と尿を採取したが、県は「自殺に金を使うのは勿体ない」と検査を拒否した。このサンプルは12カ月間保管されるとの事だったが、その後間もなく、このサンプルは「消滅」してしまった。
- 07. フィリップは右手の指が欠けていた。フィリップが左手でゴムホースを持って、動きの制限された肩でそれを縛るのは物理的に不可能。ベッドの縁に腰掛け、ホースを首に巻き付け、ゆっくりと苦しそうに首を絞めて死んだのだ。
- 08. フィルは化学物質の専門家であり、自分自身の医療ニーズも把握していた。彼は、明らかに痛みもなく、直ぐに命を絶つ事ができる薬を何種類か手にしていたのだ。護身用に借りた9ミリ拳銃も持っていた。 何故こんな異常な方法で首を絞めたのか。
- 09. フィルはとても信心深く、自殺等信じていなかった。全身に強い慢性的な痛みが有る事を自覚していたのだ。亡くなった時、彼は全盲で、家政婦もいて、癌を患っていた。腰痛を治す為の手術でも痛みが取れず、苦しんで居たのは骨形成不全(骨粗鬆症)だった。死ぬ為ではなく、生きる為に日々奮闘していたのだ。そして、この講演が短過ぎると感じ、もっと講演をする事にしたのである。実は、1996年にもフロリダのタンパで講演会を行う事が決まっていた。新世界秩序に関する本の執筆を手伝ってくれる友人と出会ったばかりで、娘と一緒に休日を楽しんでいた。
- 10. フィリップは、多発性硬化症を終わらせる為に、毎週「ベータセロン」を「注射」する実験を行っていた。彼の死後、私はこの実験を行った唯一の機関(OHSU)に連絡を取り、彼の医療記録を入手した。彼らは、彼の事を聞いた事も無いし、実験にも参加して居ない。これは、知らない人が週に一度、彼に未知の物質を注射して居た事を意味する。この「注射」の後「具合が悪くて娘の所に行けない」と電話が掛って来る事もあった。フィルの体調を整える為に打っていた注射は、実はフィルを病気にする為の感染性物質が入った注射だったのではないでしょうか。
- 11. フィルは死の数ヶ月前から謎の金髪の女性と一緒にいる処を目撃されている。同じ人物が何度か目撃されたり、話題になったりしているが、彼女の不思議な存在は、彼の「自殺」と関係があるのではないかと思わせる程だ。
- 12. 複数の霊能力者が、フィルは自殺ではなく、殺された(4人の男と1人の女、4人が直接、1人が「契約」で、5人に殺されたという説もある)事を指摘している。
何故、フィル・シュナイダーが講演を始めたのかが重要である。
先ず第一に、彼の修業は構造エンジニアであった事。火薬とその地質構造への影響に関する専門家であった。彼は2つの社会保障番号で仕事をしていた。
モリソン・クンゼンとの地下山岳基地の初期の仕事の殆どは、間違った社会保障番号を使って、やっていた。
その後、娘の死亡保険金を申請する際に、彼が2つの社会保障番号を持っていることを証明する事ができました。
米陸軍工兵隊と米海軍で、同じ様に間違った番号で勤務していた。
彼はいつも、自分は『Rhyolitic』クリアランスを持っていて、父親はNATOでの仕事で『Cosmic』クリアランスを持っていると言っていた。
そして、これがフィルが講演を始めた2つ目の理由だという。
第二に、地下山岳基地、政府の闇予算、エイリアン計画(彼は1979年のニューメキシコのエイリアン・アルマゲドン事件の生存者の一人である)についての高い実体験に加え、彼の父親もまた政府の闇計画に関与していた事。
1993年、フィルの父であるオスカー・シュナイダー大尉(医学博士、米海軍)が亡くなった時、フィルは父の地下室でオスカーがフィラデルフィア実験とクロスロード作戦の両方に関わった事を示す文書と写真を発見した。
フィルは、1940年代から1950年代に掛けて、父オスカーがフィラデルフィア実験の乗組員を隔離し、彼らが死亡する度に一連の検死を行った事を示す手紙を書いていたのだ。
又、ビキニ環礁のラグーンに原爆が落ちた後、キノコ雲の中をUFOが逃げていく写真もあった。
これが「クロスロード作戦」で、オスカーは原爆投下後、被曝した動物や人間の健康診断に参加した。
第三に、フィルが講演を始めたのは、友人のロン・ランメル氏が「殺された」事が大きな理由だったと思う。
ロンは1993年9月にポートランドの公園で発見されました。警察は、口を撃って自殺したとみている。
しかし、警察の報告書を読むと、ロンの手にはバックブローの血が付着していますが、銃にはバックブローの血は付着していません。
ロンが自分の口を撃った後、銃を投げ捨てた場合のみ、この様な事態が起こり得たのです。
ロン、フィリップら5人は「エイリアン・ダイジェスト」という小さな雑誌を共同制作していた。
これが広く流通し始めた頃、公園でロンが発見された。
フィルは、友人が殺されたと感じ、今こそ全てを明らかにする時だと思い、自分の知っている事を全て明らかにし始め、保安許可証も破り捨てた。
プーフォリは、イェルーン・ヴィエルダを通じて、フィル・シュナイダーの死の真実と正義を求めて戦ってきたいくつかの組織や個人の一人である。
私の希望は
- 1. フィルの死亡診断書は、やがて本当の死因である殺人と訂正される事になる。
- 2. 宇宙人、UFO、政府の隠蔽工作、闇予算等についての真実と、それが私達にどの様な影響を与えているかを世界が知る様になる事です。
- 3. 唯一の相続人であるマリーの財産を探し出し、彼女に与える事ができること。
- 4. フィルの本当の仕事は、1981年以前に彼を知っていたと云う情報を伝えた人々によって証明され、彼の娘は遅かれ早かれ、相応しい死亡給付を得る事ができること。
- 5. 自殺殺人をなくす。
敬具 Cynthia Schneider Drayer