中世のヨーロッパ。

ある皇帝が三つの質問の答えを探していた。

①一番大事な時はいつか?

②この世で一番大事な人は誰か?

③今何をすべきか?

側近の賢者に聞いても

答えは返ってこない。

落胆して散歩に出たときに出会った少女に尋ねた。

少女は…。

一番大事なときは、今この時

大事な人は今自分の横にいる人

なすべきことは、自分の横にいる人に善を行うこと

と答えた。

皇帝は、喜び、少女が持っていた思い井戸水を

代わりに運んであげた。

この説話を聞くにあたり

あれこれ悩むより

かけがえのない今を悔い無き生き

眼前の一人を大切にしたいと

思う気持ちになってくる。

人は悩むと観念の迷路に陥り

何も行動しないまま悩み続け

時が過ぎ、後悔する。

そう思うと…。

行き詰まりを打破するには

行動しかない。

常に思想を行動へと移す戦いをする。

それが…

思想を勇気の一歩に変えるということでは

ないだろうか?

どんな道のりを歩んだって
どこかにはたどりつく。


はじめに急ぐ者も
あとで走る者も
ずっと歩いて行く者も
どこかにはたどりつくもんだ。

(ほぼ日、セフティ・マッチの金の言葉)

そりゃそうだ
どこかには辿り着く。

だったら、いいじゃないか
とはいかない。

問題は…
どこに辿り着くかなんだよ
と熱く語る人もいるだろう。

しかし…

ちょっといい加減になって、
「どこかに着くなら、ま、いいか。」
と思う人もいるだおう。

今いるところと違う
どこかに着くっていうことは
そこで何かに出会えるっていうこと。

ガッカリするかもしれないし
喜べるかもしれないし
学びがあるかもしれない。

目指したところに着くのを
努力するのが一番いいのかもしれない。

しかし…。

目指すところがわからないときは

どこでもいいから
その着いたところで何を学ぶかを
努力するころが必要なのだと思う。

こんな言葉を思い出しました。

「勉強が大切なんじゃなくて、
 大切なものを見つけるために勉強をする」

何も進もうとしなくても

何かに辿り着こうとしても

みんなが最後に辿り着くところだけは
共通している。

「死」というところ…

それまで何を得ていくか
宝探しですよね。

時は…
いつかは大切なもの
すべての人からうばう…


君を飾る花を咲かそう
心を込めて育ててゆくよ

(君を飾る花を咲かそう、GARNET CROW)

世の中にあるものは
だいたいが、いつかは

失うもの、うばわれるもの、なくなるもの…

人の命さえ、いつかは終わるもの…

それでも人は

懸命に
何かを生み出したり
何かを育てたりする。

多分、何かを信じているから
それが出来るんだろう。

短い人生という時間に
出来る限りのものをつめ込むため…。
あるいは

たった1つのものだけをつめ込むため…

いずれにしろ
少しでも考える時間があれば
「いつかは終わるんだろうな」
という事実を確認しながら
頑張っているかもしれない。

だから…

そんな中で
大切なことをずっと大切に思えるって
すごいことだと思う。

オグ・マンディーノの言葉を思い出す。

 「数日のために植えるなら花を植えよ
  数年のために植えるなら木を植えよ
  永遠のために植えるならアイディアを植えよ。」
            (人生はすばらしいものだ)

忘れてしまいそうな事実。

それは…

この世の中では、
いつか、大切なものが、奪われてしまうということ。

だからこそ、それを超えて、信じるものがなければ、いけない。

それは、きっと

人の心の中に植えることのできる

永久に奪われることのない

自分が生きたという証ではないだろうか。