日本経済新聞社がまとめた
「人事トップが求める新卒イメージ調査」によると
採用したい人材像の具体的な項目で
「コミュニケーション能力」が
全体の約60%を占めた。


家族や学校という閉じた空間での対話には
共通の基盤がある。
それに対し…
社会で要求されるのは
異なる年代、文化、業種の人々の価値観を
理解し説得できる力だ。


言語教育の専門家である北川達夫氏は
「自分のことばが通じないということの体験」
が重要だと語る。


「いつでも通じていたら表現は上手にはならない。
 わかってくれない人という存在が絶対に必要になってくる」


釈尊は「自分から語りかける人」だったという。
粘り強い「対話」で、納得のいくまで何度も語る。
語らいは時に数日間にも及んだと、仏典には説かれる。


「対話の達人」ともいうべき人は
誰もが最初から達人だったわけではない。


拒絶され、時に見下され
それでも「伝えたい」情熱を絶やさずに
「対話力」を磨いていったからこそ
「対話の達人」になれたのではないだろうか。


誠実に粘り強く語る。
それが…
人の心と心を結ぶ
唯一の方法ではないだろうか。


福沢諭吉が旅すがら、とある実験を試みた。


向こうから人が来る。
偉そうな態度で道を聞く。
相手は、かしこまって丁重に答える。


また向こうから人が来る。
今度は物腰低く尋ねてみる。
相手は横柄な態度に出る。


こちらの出方次第で、相手は伸びたり、縮んだり。
まるで〝ゴム人形〟のよう。困ったものだ、と諭吉は嘆く。

「世間に圧制政府という説があるが、これは政府の圧制ではない、人民の方から圧制を招くのだ」と。
『福翁自伝』に見える逸話だ。


ところで…
昨今の政党・政治家の動きである。
離れたり、くっついたり。
政策も蜃気楼のように揺れ動く。
こんな政治の動きを目にしたら、諭吉もさぞかし嘆くに違いない。


政治にとって欠かせないことの一つ。
それは「ほね(骨)」があるかどうかであろう。
「ほ」とは秀でたもののこと。
「ね」とは根。
もとの意味は〝すぐれた根っこ〟のことである。


つまり…
地域に暮らす人々の声を、しっかり吸い上げる力をそなえているかどうか。
政党・政治家を選ぶには、その点を見極めることも肝心だ。
華々しい空中戦のような離合集散劇に、目を奪われてはなるまい。
選挙においては、政党・政治家の質が問われる。

と同時に…
私たち国民の選択眼も問われていると思えてならない。


世の中には、さまざまな“人を助ける仕事”がある。
『働く人の夢』という本には、そうした仕事に携わる、若者の率直な胸の内がつづられている。

医師免許を取得して3年になる女性。
“いのちの重さ”に押しつぶされそうになっていた。
社会福祉士の男性は27歳。
必死で介護するほどに、相手の心が自分から離れていくようだった。


そんな二人に元気をくれたのは、笑顔の患者だった。
「体だけは大事にしいや」と優しく頭をなでてくれたおばあちゃんに、どれほど癒やされたか。
差し伸べたその手に、逆に、勇気や感動をもらった――。

本来“助ける側”にいた人の心に芽生えた感謝の気持ちが、新たな仕事の原動力となる。

私たちの周囲の中にも、悩みを抱える友がいる。
だが、それを克服しようと懸命に戦っている姿に、どれほど周囲が勇気づけられることだろう。

本来、世間で言う“助ける・助けられる”という区別はないはずなのだ。
誰もが、喜びや苦しみを分かち合い、切磋琢磨して共に成長しゆく尊き存在であるべきなのだ。


ある先輩が語っていた。
「相手の悩みにかかわる中で、君自身が成長させてもらっているんだよ」。
その感謝の心こそ、自分自身が変わっていける直道ではないだろうか?