トマト一つにしても
いくら種まいて肥料をやっても
明日トマトが実ってくれるわけではない。
せっかく食べごろになっても台風がきたり
猿が食べちゃったりするなど
自分ではどうにもならないことが多い。

都会生活では
コントロールできることでも
自然の中では
太刀打ちできない場面ばかり…。

ポジティブに諦めるということを
知ったかもしれません。

(日経BPインタビュー村山由佳さん)

私も、いつも心がけてます。
このポジティブにあきらめる
というテクニックを…

ネガティブ・消極的・否定的に
あきらめることは、かなり簡単。

「どうせ、負けるんだから」
「結局、なんにもならないし…」
「やっぱり、そうなると思ってた」

そんな言葉ばかりに
思いが占められてしまうと、
自分の力をあきらめているのか
他者の力に屈服しているのか、
自分をさえ、ごまかすことになる。

「すごいねぇ。自然の力には、
 なかなか太刀打ち出来ないよ。
 でも、その自然と同じように
 生かされている人間にも、
 きっとすごい力があるんだよ。」

偉大な力には尊敬しても
自分の力にも可能性を信じる。
そうありたいものです。

偉大なものは
偉大なままであっていい
と思うのです。

それと…
自分の力を今よりも伸ばす
という人生の課題は、別問題ですよね。

そう考えられることが
『ポジティブにあきらめること』
じゃないでしょうか。

信頼と信用…。

信頼されるとは…
信じてもらい、頼りにされること。

信用とは…
信じてもらい、受け入れられること。

ここには…
頼りにされることと
受け入れられること
の違いが発生する。

信用されることは、あったとしても
信頼されることは、少ないかもしれない。

人から信頼される人は、
人を信頼する心の強い人である。
と耳にしたことがある。

信頼と信用の差は
ここから生まれるものではないか?
と思う。

信頼している心は、
ある意味、裏切られても

それほど動じないでいられる状態のはずである。

そうでなければ
信頼と言えないのではないだろうか?

いつ裏切られるか
いつだまされるか
そんなことを考えている状態に
「信頼している」なんて言葉は似合わない。

信頼するというのは
だまされる状態でもあること。

そして…

だまされた時でも
心のあり方をどんなふうに
持ち続けるかを決めていること。

これが大切なんだと思う。
そう決めているから、心も強くなれる。

そして、そうなるまでには
実際に裏切られたり
だまされたりしたこともあるだろう。

そして、その人の前にいるだけで
「裏切るようなことだけはしたくない」
「だますようなことだけはしたくない」
と思わせる力も湧いてくるのだろう。

この人の前では
こんな自分でありたいと
理想を貫かせる人間なんだと思う。

だから…

時には
ウソをつかれたり、だまされたりしたら
自分は相手を信頼してなかったんだ
と思った方が納得がいく。

信用される自分より信頼される自分に…。
それが一番
裏切られない、だまされない
秘訣なのかもしれない。

カッコいい世界にも
カッコつけてる場合じゃない時がある。

カッコつけることを考えられるうちは
まだ本気じゃないのかもしれない。

自分が今やろうとしていること
今やっていることは
どうだろうか、と考えてみると
解ってくることがある。

もし…
カッコつけるために
やっていることなら
どこかで試される時が
必ずくるはずだから。

カッコつかなくなるから止めるのか?
カッコつかなくても続けるのか?
その二者択一だ。

まったくカッコつけないで
生きることなんて
多分、誰にも、できないだろう…

だって、自分は
「カッコつけないで生きていく」と決めて
そういうカッコを意識することだって
「カッコつけ」だろうから。

今日でも、明日でも、
カッコつけない自分が
どんなふうに生きていく人間なのか
考えてみてはいかがでしょう?

本当は…
カッコつけずに一心不乱に
何かに夢中になって
何かを追い求めていく姿が
自分の中でも他人から見ても
一番、カッコいいことかもしれませんね。