実りの秋。

田んぼに目をやると、黄金色に輝く稲穂が秋風に揺れている。

すでに稲刈りを終えている田もある。

なぜ稲は、垂れ下がるほどの重い稲穂を支えられるのか。

その秘密は、根にあるらしい。

田に水が張られている間は、根はそれほど発達しない。

そうしなくても容易に水を得られるからだ。

その稲に“転機”が訪れるのは夏。

農家が水田の水を抜き、表面の土にひびが入るくらいに乾かすため

稲は水を求めて急速に根を伸ばす。

いわば…

“水を失う”という試練を経て

重い稲穂を支えられる丈夫な根を張り巡らせるらしい。

“試練”によって磨かれるのは…

人間も同様。

日蓮大聖人の御書には

「鉄は、炎に入れ、熱して打てば剣となる」

「賢人、聖人は罵ってみてこそ、真価が試されるものである」

と書き記されている。

私たちにとっては…

この現実社会こそ、自らを磨く最高の舞台なんだと思う。

周囲には、ともすると苦手な人がいるかもしれない。

そうした人とも誠実な対話で人間関係をつくっていく。

こうした日々の対話こそ、自身を磨く直道なんだろう。

他人と比較する必要はない。

一歩一歩と“昨日の自分”を乗り越える挑戦を重ねていけば

すべての人に“実りの秋”が待っているのではないだろうか。


「心」は脳のどこにあるのか?
脳から見た「心」とは何か?
という本を以前に読んだことがあります。

「その人らしさ」は脳のどこで生まれるのか?
脳にはただ一ヶ所
そこが破壊されたら「あなたらしさ」が消え
あなたがあなたでなくなる部分があるそうです。

そこが前頭葉。
その中でもとりわけ重要な「前頭前野」と言われる部分だそうです。
前頭前夜というのは不思議な部位で
そこが破壊されても、普通に会話ができるし、ジョークも飛ばせます。
カンタンな知能テストぐらいでは異常はわからないらしいです。

じゃー、何が変わるのでしょう?
たとえば…
思慮深さ、優しさ、信念や忍耐強さ、恥じらいといった
感情がなくなり衝動的、暴力的になるそうです。
つまり人間とは違う高度な人間的な感情がなくなるのです。

具体的な話でいえば…。

例えばあなたが極端なクモ嫌いだとします。
さてある日…
あなたが作成していた重要な書類の上にクモが這っていました。
それを見た瞬間、あたなの前頭前野はフル回転します。

「クモが絶対向かってこないように
 そして書類を汚さないで
 なおかつまわりを驚かさないで
 そしてできれば自分の手を汚さないで
 どうやってクモを撃退するか」と。

これがもし…
前頭葉が機能していなかったらどうなると思いますか?

あなたはそのクモが這っているのを見た瞬間に
ギャーと叫ぶか
いきなり潰しにかかるといった
発作的な行動に出てしまうでしょう。

前頭葉の機能が低下しゲーム脳と呼ばれるようになると
この現象が発生するそうです。
皆さん、ゲームのやり過ぎには注意しましょう(笑

つまり…。
「統合」と「執行」の能力が
どんな仕事にでも必要であるということです。

あらゆる情報をベースにして、物事を判断し、実行に移す
ということです。

総合的な能力とは…
単に仕事内容を知ってるとか業務を知っているということでないのです。

例えば知能指数のIQより情緒的なEQが大事といわれているのと同じです。
まさにこのEQに表現されるような心の機能を果たすことであり
総合的な判断力や実行力、他人と付き合い、うまくやっていくという
対人間関係(調和)が大事です。

それができるようになれば、どんな仕事であったとしても
全体感を把握でき、総合的に仕事を推進することが可能となるでしょうね。

前頭前野の機能を発揮させようと思うのであれば…。
より人格の成熟へ、人間性の完成を追い求めることではないでしょうか?

友情には五つの段階があるらしい。

①新友

②親友

③信友

④心友

⑤真友

友と語り合うごとに互いを知り

出会いのドラマを深めていくことができる。

自らの誠実な姿勢が

「親」を「信」に変え

互いの信念を語る中で

「信」は「心」へと発展し

「真」となる。

会ったこともないメール相手などを

「親友」と呼ぶ時代。

その心理背景として

「共感」するという力が弱まっているのでは

ないだろうか?

相手の思いを感じ取る力を高めるために

自分の「精神の核」をつくりあげること

優れた人格の人に触れることが

大切なんだと思う。

人間は、人間同士の触れ合い、語らいの中で

自身の人格は磨かれる。

ともに触発し、ともに成長する友の存在は

人生のかけがえのない宝になる。

よき友とのつながりを

どれだけ生き生きと結び

広げていくことができるか…

この挑戦が

「価値創造の人生」を

桜花していけるのでは

ないんでしょうか。