サミュエル・ベケットの小説三部作の第二作目、『マロウン死す』を読みました。
私はもうすぐ死んでしまうはずだ。という書き出しで始まるところからして、読者にいきなり驚きを与える作品です。
語り手はまさに死にかけている施設入所者?の老人であり、ひたすら独り言を語り続けるように脈絡のない話が書き綴られていきます。
いくつかの名前の人物が登場しますが、いずれも語り手の過去の姿を表している語り手の分身ように思われます。サポという少年の農村での生活は語り手の少年時代の回想であり、最後に登場する老人マックマンの死は語り手マロウンの死でもあるのでしょう。
小説を読み始めたところでは登場人物や場面の移り変わりについていけない感じがしますが、途中で、これは死の床にある老人の語り手が自らの人生を、小説中の分身に乗り移りながら回想しているのではないか、ということに気付かされます。
老境に達したマックマンとモルの老人同士の恋物語は嫌悪感を読者に覚えさせるほどのグロテスクな描かれ方ですが、なかなか強烈な印象を残します。そしてモルの死後、四輪馬車でのピクニックに出かけたマックマンの突然の死で小説は終わります。
作品は散文そのものであり、とっ散らかった殴り書き風でありながら、文章に何とも言えぬ味わいがあり、読み応えがあります。これが作者ベケットの魔力なのでしょうか。また、訳者の日本語力も優れているのだと思います。
さて、次はいよいよ三部作の最終編です。