サミュエル・ベケット『モロイ』 | ホーストダンスのブログ

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ノーベル賞作家サミュエル・ベケットの『モロイ』を読みました。

ノルウェーブッククラブの世界小説100選に挙げられている作品ですが、なんとなく後回しにしていました。2019年に新たな訳が出版されたので、ハードカバー版で文庫本に比べると少し高価ですが、このたび、ようやく読んでみることにしました。


2部に分かれており、前半がモロイ、後半がモランを主人公に、旅物語風に話が進んでいきます。

モロイは半分ホームレスのような生活を送っている老境にさしかかった男です。自転車で老母を訪ねる途中、警察署で取調べを受け、その後、ある婦人の連れた犬を轢き殺してしまい、それが縁となってその婦人の家にしばらく逗留し、やがて婦人の家を去った後は森の中に迷い込み、そこで自我を発見するまでの放浪生活が、主人公モロイの独白により語られていきます。

この前半は改行がなく、短めの文章が延々と連なる形式で書かれています。これはモロイの内部感情の移り変わりを淡々と綴っていった結果、このようになったということでしょうか。原文もそのような形式なのかもしれませんが、時間軸や場所の転換などがわかりにくいので、読者は読み進めるのに苦労します。


後半の主人公モランは、モロイの調査を依頼された探偵?のような男で、一人息子と使用人の3人で暮らしています。息子の教育には厳格であり、少し気難しい父親という雰囲気はあるもののモロイのようなホームレス風の老人ではなく、どこにでもいる常識人の中年男性という感じです。

モランは一人息子を連れてモロイの町に向かい、途中で様々なトラブルにあい、やがてモロイに会うこともなく、息子に置き去りにされ、所持金もほとんど失って、最終的にはモロイと同じようなホームレス状態になって空き家となった自分の家に戻ってきます。


モロイもモランも、一応の目的地を目指して旅を続けるものの結局そこに辿り着くことはありません。しかし、彼らにとって目的地に到着すること自体には重要ではなく、旅の中で自らを省みる過程に大きな意味があったものと思われます。


二部の方が多少は読みやすいものの、全体としてかなり読みにくく、難解な作品です。しかし、途中で何度か前を読み返したくなることがあり、全体を読み終えた今は、再びこの世界に入っていきたいという気持ちにさせられており、魔力というものに近い不思議な魅力を持つ作品でもあります。


この『モロイ』は3部作の第1編とされています。この後は第2編、第3編に続けてチャレンジし、しばらくはサミュエル・ベケットの世界に浸ってみようと考えています。