ホーストダンスのブログ

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島尾敏雄の『死の棘』を読みました。

筆者の作品に触れるのは『出発は遂に訪れず』を5年ほど前に読んで以来となります。


『出発は・・・』は、大学を繰上卒業したばかりの若者が海軍兵として南の島に赴任し、特攻隊に志願し、出撃命令を待っている間に終戦の日を迎えるまでを描いた戦争小説でした。

作品中では主人公である筆者が島の小学校教師の若い女性と恋仲になる場面も描かれており、その女性が終戦後島尾の妻となるミホでした。


もともと南の島で育ったミホは純真無垢な女性だったのですが、島尾との結婚して上京した後、島尾の浮気を知ってからは精神を病んで躁鬱病の症状をきたすようになります。この作品はミホがそのような状態になり、やがて夫婦揃って精神科の病棟に入院するまでの約1年間の家庭生活が克明・詳細に描かれています。


ミホは島尾が浮気をしている間、探偵を使ったり、自ら尾行するなどして島尾の行状を調べていたそうで、浮気発覚後は自ら収集した証拠などをもとに、執拗に島尾を責め立てます。その追及は、彼女の追い詰められた精神状態とあいまって過酷を極め、追及のあまりの苛烈さに島尾自身も自殺未遂を図るようになるなど、夫婦生活は悲惨なものとなります。当時彼らには小学校入学を控えた男の子とその妹の二人の小さな子どもがいて、頻繁に繰り返される夫婦喧嘩(実態はこのような言葉で表現されるレベルではなく、いわば「夫婦戦争」のようなものだったでしょう)に振り回される子どもたちは本当に不憫です。

しかし、ミホの病的とも言える夫への攻撃は何度も中断を繰り返し、束の間、仲睦まじい夫婦に戻る時もあります。特に、家族以外の人間が家に泊まりに来た時や外出中など他人の目がある時は、たいていミホは突然普通の状態に戻るのです。(こうした行動は典型的な躁鬱病患者の症状のように思われます)


作品中、ミホの精神状態がおかしくなり、夫を責め立てる場面は100回以上を数えると思われ、妻を宥めながら時間が経過するのを待てば状態が改善するという期待を抱いていた島尾も、やがてこれは本格的に医学的な治療を受けなければどうにもならないと思い至るようになります。

そして、島尾が二人の子どもをミホの出身地の南の島(奄美大島)の叔母に預け、夫婦で入院することを決断するところで作品は終わります。


果てしなく繰り返される夫婦喧嘩(夫婦戦争)の場面を読まされてきた読者にすれば、最後は妻が快癒する場面を期待してしまうところですが、この作品では、終盤、入院直前のミホの状態はさらに悪化する様子が描かれており、爽やかな読後感に浸ることは許されません。


それにしても、600ページ超に及ぶ長編で、内容的には家庭生活を詳細に綴った日記のようなものなので、この作品の読者は相当のストレスに耐えることを強いられます。私の読書は基本的に週末なのですが、何週間経ってもひたすら繰り返される似たような場面に、正直やや辟易とさせられました。

しかし、長く夫婦生活を営んでいると、島尾のように浮気が原因ではなくとも、何らかの形で似たような夫婦間の諍いが繰り返されるということは、どこの家庭でもあるのではないでしょうか。この作品が一定の高い評価を得ている背景には、世の旦那方の共感のようなものもあるように思われます。


この作品のベースとなっているのは、凄惨な夫婦生活の合間に島尾がこつこつと書き留めていたメモだそうですが、あれだけ妻にひどく人格攻撃をされていながらそんな気力が残っていたことに感心させられます。真の作家の性というものでしょうか。

あまり若い人にはお勧めしにくいですが、この長編を読破する耐性を備えた一定の人生経験を積んだ人にはなんとも言えぬ読後感を残すことでしょう。