ドストエフスキーの『虐げられた人びと』を読みました。
ドストエフスキーの作品を読んだのはかなり久しぶりのことです。彼の代表作はほとんど読んだつもりでいましたが、この初期の長編は未読であったことに気がつきました。
新進の若手作家イワンを語り手としながら、彼の周りで数々の苦しみの中で生きている『虐げられた人びと』を描き出しています。
イワンは小さい時に両親を亡くし、ある農場経営者の家に引き取られて、その家の実子ナターシャと兄妹のように育てられます。
イワンが作家として初めて成功を収めた時にはナターシャはイワンとの結婚を強く望んでいましたが、農場の所有者であり管理の委託者である公爵の息子アリョーシャがその家に預けられている間に、アリョーシャとの結婚を確信するような状況になってしまいました。
このアリョーシャという青年は屈託のない明るい青年ですが、頭が悪く、誰にでもいい顔をしようとしてどうしようもなくなり、結果として周りの人に迷惑をかけてしまう、という人物です。ただ、憎めないところがあり、しっかり者のナターシャは、彼のことを自分が守ってあげなくてはいけない、という母性愛的な愛から彼との結婚を自分の義務のように感じているのです。
一方、アリョーシャの父親の公爵とナターシャの父親は農場の経営を巡って争うようになり、訴訟の結果、ナターシャの父親は負けてしまいます。また、公爵は、表面上は息子とナターシャの結婚を祝福しているかのように装いながら、裏では息子を資産家の伯爵夫人の娘カーチャと結婚させようとしているのです。
そのカーチャが非常にできた娘さんで、アリョーシャはカーチャの魅力にもすっかり参ってしまい、ナターシャとカーチャの二人の女性のどちらと結婚すべきか、悶絶しながら悩みます。(アリョーシャは、どちらかと結婚して、どちらかは妹のように付き合い、女性同士は姉妹のように親しく付き合ってくれればいい、と自分に都合の良い、ありえないような解決策を本気で考えるようなバカな青年なのですが)
そして、最終的にはアリョーシャは父親の目論見通りカーチャと結婚することにし、ナターシャには泣く泣く別れを告げます。
物語のもう一つの重要なストーリーは、小説の冒頭で死んでしまう老人の孫娘ネリーに関するものです。ネリーの母親はかつて、ある男に騙され、その男の娘を孕った状態で父親(死んでしまった老人)の財産をほとんど奪われてしまった挙句、その男に捨てられるという悲惨な人生を歩んでいました。その老人が亡くなった少し前にネリーの母親も亡くなっており、ネリーは孤児となってしまったのでした。イワンはひょんなことから、死んだ老人が借りていた部屋に住むことになり、その部屋を訪ねてきたネリーとたまたま知り合うことになったのです。
イワンはネリーが母親の死後、孤児となっていることを知り、自分の部屋に引き取ります。ネリーは最初のうちは心を開こうとしませんが、徐々にイワンに心を許すようになり、やがて兄のように、あるいは恋人のようにイワンを慕うようになります。
その後、アリョーシャと別れたナターシャが実家に戻ると、ネリーもその家に引き取られ、束の間の平穏な生活が訪れます。
しかし、やがてネリーを病魔が襲い、ネリーは高熱にうなされる中で母親や祖父の幻想を見るようになりながら衰弱していきます。やがて、亡くなる直前にはイワンとナターシャが結婚するよう言い残してネリーは亡くなります。
ネリーの死後、イワンの友人から、ネリーは実は公爵の実の娘であり、ネリーの母親が捨てられた青年とは若き日の公爵であったことが明らかになります。(ネリーも生前、この事実を母親から聞かされていて、母親からは自分の死後、公爵の所を訪れて庇護してもらうよう遺言を残されていたのですが、幼いながらも気高い精神の持ち主であるネリーは公爵の下には行かなかったのです)
このように、描かれている人びとは、支配階級の悪辣な策略や気まぐれに翻弄される、まさに『虐げられた人びと』なのですが、悲惨な状況に置かれながらもプライドを持ち続け、支配階級の世話になることなく自力で生きていこうとする人びとでもあるのです。
ドストエフスキーの小説にしては、テーマがわかりやすく、展開もさほど複雑ではないので、いわゆる5大長編などに比べると読みやすい作品だと思います。ただ、登場人物のセリフの部分がやや冗長で、もう少しコンパクトにまとめられないものか、という感じはありました。
私はかつて『罪と罰』から読み始めましたが、まずはこちらを読んでおけばよかった、と感じました。
ロシアの本格的長編の入門編としておすすめします。