ウォルト・ホイットマン『草の葉』 | ホーストダンスのブログ

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ウォルト・ホイットマンの詩集『草の葉』の抄訳を読みました。


ノルウェーブッククラブによる世界小説100選の一つですが、詩という形式をとっているものは珍しく、100選の中ではこの作品だけかもしれません。


作者ホイットマンは南北戦争前後の時期のアメリカの詩人です。彼の年譜によると、11歳の時に小学校を中退後、新聞社の植字工などをしながら詩を書くようになり、30代半ばから詩集を発表するようになったという遅咲きの詩人のようです。

時は南北戦争勃発直前で、奴隷制を巡り国内が大きく分断されており、ホイットマンはアメリカ社会の状況に心を痛めていたそうです。


『草の葉』はそうした時期に多数書き留められた多くの詩からなる詩集であり、岩波文庫版は上中下3巻にわたる大部のものですが、まずはとっつきやすいものを、ということで光文社から発刊されているこの抄訳を手に取りました。

この本は前半は日本語訳、後半には英語による原詩が掲載されているので、やや難解ながら、まずは原詩を読んで、その後日本語訳を読むということを繰り返しました。

用いられている英語はそれほど古臭くはなく、また、表現が割と直裁的なので、純文学ほどわかりにくくはないという印象です。

特に初期の詩はアメリカ人らしいバイタリティに溢れており、読むと元気が湧いてくるような詩も多くあります。一方、晩年の詩はやや内省的なものが多くなり、中には哲学的雰囲気を漂わせる詩もあります。

訳者の後書きによれば、詩が書かれた時のホイットマンの年齢に合わせて、詩中に出てくる一人称の訳を初期の詩は「おれ」、中期は「ぼく」、晩年は「わたし」と書き分けたとのことですが、僅かな工夫とはいえ、この訳出法は詩の雰囲気を伝えるにあたって大いに効果をあげていると思います。


それにしても、今回、英語の原詩と日本語訳を交互に読んでみて、改めて、詩という形式の文学を他の言語に訳すことの難しさを感じました。

この本の訳は非常に優れていると思いますが、それでも、発音の違いからくる限界は感じます。特に詩独特の「韻」や同一の単語の繰り返しなどは、原語でなければ作者の意図を体感することは困難です。

日本の俳句や短歌を英語に訳しても限界があるのと同じことかもしれません。


とりあえず今回はホイットマンの詩の雰囲気はつかめたので、岩波文庫版に手を伸ばすのはしばらく先にしておこうと思います。