世界史を習ったことのある人なら、文学史の一番最初に出てくるので、『オデュッセイア』と並んで、ギリシャ神話の一部を為すものとしてその名を一度は聞いたことがあるでしょう。
私も当然、その名は知っており、『世界小説100選』に含まれていることや岩波文庫に所蔵されていることも知ってはいましたが、現代の我々が読む文学作品というイメージはなく、これまで何となく敬遠していました。
しかし、外国文学を読んでいると、いろいろなところでギリシャ神話が引用されていることに気づきます。ゼウスをはじめとする神々はもとより、様々な戦争で活躍した英雄たちのエピソードが比喩という形で登場してくるのです。
西洋の文学者たちにとっては『イリアス』をはじめとするギリシャ神話というのは幼少期から親しんで、いわば血肉となっているのでしょう。
私達日本人にとっての昔話のような存在なのかもしれません。
そういう意味では、世界の名作文学に触れる前に、常識として読んでおくべき作品とも言えますが、このたび、ようやくその一部を読み終えた次第です。
『イリアス』はギリシャのホメロスという盲目の口承詩人が謳った詩を文学作品としてまとめたものです。
これだけの分量の詩を暗唱するというのは信じがたいことですが、この本の末尾に付録として収録されている『ホメロス伝』によると、ホメロスは小さい頃から非常に優秀であったようで、もの凄い記憶力も持っていたようです。
ホメロスは詩の創作に励みつつ私塾を開いて生計を立てていたようですが、視力を失ってからは詩人としての資質と抜群の記憶力を活かして口承詩人として各地を渡り歩くようになり、その中でギリシャ神話をテーマとした詩が作り上げられたとのことです。
それがホメロスの没後200年ほどして書物としてまとめられたのが今に伝わる『イリアス』『オデュッセイア』だとされています。
『イリアス』はギリシャ神話のトロイア戦争をモチーフとした作品で、トロイエ側とギリシャ側の戦いにおける両軍の武将たちの活躍ぶりを描写したものがその主な内容となっています。
「アキレス腱」の由来となった武将アキレウスや誰もがその名を聞いたことのあるオデュッセウス、神としては全能の神であるゼウスや女神アテナなどに加え、戦いの最中に登場してはすぐ戦死するような末端の武将まで、非常に多数の人物が登場します(似たような名前の人物も多いため、混乱することもあります)。
以前は神話そのもので、内容は全くのフィクションと考えられていたようですが、近年の遺跡発掘を通じた検証によると、過去、この作品の舞台となった地域で大規模な戦争があったことは事実だそうです。史実を脚色して物語化したということになると、「三国志演義」に通じるところもありますね。
口承の詩が土台となっているだけあって、聴衆の関心を引くためか、人物像や戦いの場面の描写はかなり大袈裟なものとなっています。
出てくる武将はほとんどが容姿端麗、あるいは剛気な勇士でその姿が神に喩えられるような人物ばかりで、延々と続く戦いの場面は、時に華麗に、時には残酷に、多くの比喩を用いながら武勇伝的に語られます(作品中のこれらの表現こそ、欧米の文豪たちがその著作の中で引用していることが多いのです)。
トロイエ側とギリシャ側の戦いはまさに一進一退で、初めのうちはそれなりに面白いのですが、後半は少し飽きてきます。ただし、聴衆(読者)が退屈し始めた頃から、クライマックスとなる大将同士の一騎討ち(トロイエ軍のヘクトールとギリシャ軍のアキレウスの戦い)に向けた展開が始まるあたりは、うまい演出となっています。
この作品を部分的に取り出すと、騎士道物語風な面白い読み物風ではあるのですが、一歩下がって作品全体を冷静に見直してみると、この大戦争の発端となったのは、捕虜となった女性を巡る武将同士の確執であったことや、人智を超える存在であるはずの神々があまりに俗っぽい存在であることがわかったりと、やや幻滅させられるところもあります。(特に、全宇宙を支配するという神々のトップに立つゼウスも、人間臭さ全開です。ゼウスが個人的な好き嫌いによってある武将をえこ贔屓したり、ゼウスが肩入れする武将と敵対する武将を支援している妻からの色仕掛けで眠らされ、その間に戦いの形勢が逆転してしまう場面などを読むと、こんな男のどこが全知全能なんだ、とツッコミを入れたくなります)
この作品の醍醐味は、作品全体のストーリーよりも、個々の神々や武将の人物像の描写やみずみずしく描かれた戦闘の場面を臨場感を持ちながら味わうところにあるのでしょう。
したがって、『イリアス』は、文字に落とした純文学として味わうよりも、講談師のような吟遊詩人が声に抑揚をつけながら英雄たちの活躍を大袈裟に語るのを聴衆として聞く方が相応しいのではないか、という感想を持ちました。
次の読書は、『イリアス』に続いて『オデュッセイア』にしようかと考えていましたが、講談師風の語り口に少々辟易としていますので、純文学風の作品を挟もうと思います。