「キャンドルナイト~電気を消して vol.1~」@代官山・晴れたら空に豆まいて
出演:きしのりこ →KATA-KANA →アコジィ →玉城ちはる
----------------------------------------------------------------------
震災からはや10カ月余。まざまざと焼き付いたはずの記憶も徐々に風化しつつあるのを感じる。しかし、大地震がもたらした意識やライフスタイルの変化は、逆戻りすることはなく根付きつつあるのではないだろうか。
過剰な飽食への忌避感や、「もったいない」意識、贅沢を是としない空気は、震災を経て完全に定着したように思えてならない。そうした空気は、バブル崩壊後の失われた20年ですでに醸成されていたが、日本の繁栄の象徴のごとき華美な都市照明や電飾、過剰な機能を売りにする家電製品など、生き延びていたものさえも、節電や断捨離などの言葉と共に過去に押しやった。
キャンドルナイト企画も、震災後にかなり増えた。同様のイベントは過去にもあった。例えばバブルの頃、ディスコに巨大なキャンドルを山のように灯したパーティーが度々開かれた。カネをかけて作り出す洗練されたロマンチシズムに、貪欲な男女は贅沢感を味わいに行ったものだ。銀座のクラブでも、あえて照明をキャンドルにすることで化粧や見栄をぼやかし、欲望や願望を露わにさせた。その方が、酒が売れ、札束も舞ったのだ。蝋燭の火は、利己を照らし出す毒だった。それを格好良いものだと感じる時代だった。
それに対し、昨今のキャンドルナイトは震災を忘れるな、被災地の人々を忘れるな、慎み深く生きよう、と囁きかける。あなたが無駄な電力を使わなければ、原発を再稼働しなくても済む、電力で困る人が少なくて済む、過剰な開発やかつてのような右肩上がり経済の貪欲をぶり返さなくて済む……意識的、無意識的を問わずそんな利他的な感情が潜在しているようだ。
晴れ豆のスケジュールには、「電気を使わなくても、いや使わない『生音と生歌』だからこそきっと、見失いそうになる様々な気持ちをふと、巡らせる力がある気がします」と、趣旨が紹介されていた。うまい表現だ。もし、これが脱原発の第一歩です、とか書かれていたら賛同することに逡巡したところだったが。いずれにしろ、時代の風向きが明らかに変わっていることは痛感する。
そして今夜のイベントは、玉城ちはるをトリに迎え、見失いそうな気持ちに単に思いを巡らすだけではなく、とても積極的に生への賛歌を鳴り響かせてくれたのではないか。この祝祭的空間に集った者の、心の奥底まで、ふうわりと温かくしてくれた一夜だった。
その舞台は、ろうそくの炎だけで浮かび上がった。
晴れたら空に豆まいては、いつも有機的な感覚に満たされ、暖かく、落ち着いている。この日は開演前から照明が絞られ、各テーブルと舞台のキャンドルの明かりが揺らぎ、いつにも増して落ち着いた雰囲気。その一方で客席は大入りの満員で、特にアコジィの女性ファンが多く見受けらたが、キャンドル照明の効果か話し声も密やかで、皆がこの雰囲気を大切にしていた。
そんな厳かさの中に、トップバッターで登場したのは「きしのりこ」。歌のお姉さんのような優しさと柔らかさがある鍵盤弾き語りだ。
惜しむらくは、今宵がPA無しの生声ライブということ。声量がないと、届かない。ましてや彼女と客席の間にはグランドピアノがでーんと鎮座していて、遠さを感じずにはいられない。これがヒグチアイのような強い声を持つ弾き語りなら、その距離感を意識することはなかったろう。ちょっと残念な感じがするステージだった。
幸い2組目以降はみなハンドマイクやギター弾き語りなので、前へ前へと客席との距離を詰めてきて、生声の不自由さを全く感じさせず、むしろ効果的に癒しの夜を演出した。
2番手は初めて聞く男女ユニットの「KATA-KANA」。ボーカルの女性が水島歌菜(カナ)さん、ギターの男性が片山義見(カタ)くんの二人の名前をつなげて「カタカナ」という訳だ。この二人が奏でるハーモニーと醸し出す空気は、キャンドルに合っていて、いよいよ今夜のイベントが楽しくなってきた。
1)ウイルス
2)最後のキス
3)童神
4)大丈夫だよ
5)ウタタネ
かなちゃんのフワフワした、それでいて透明感のある声やトークがとても可愛い。身長149cmと小柄ながら、純白のワンピースが似合っていて、キャンドルの灯火が映し出した妖精のよう。歌詞の一言一言がしっかり伝わってくる。アコースティックだが、サビは思いのほか力強く、グルーヴもある。けっしてアイドルチックではなく本格派。音楽にしっかりと芯が通っていて媚びてない。そこがいい。
いきものがかりの吉岡聖恵のような、しなやかなでナチュラルなボーカルだ。生音、生声である事など全く忘れて、アップテンポで明るい曲たちに楽しい気分になる。
今回、初めて聞いたが、彼らは何者でどんな音楽を志向してるのか、気になってくる。
その答えは、MCで少し判明した。彼らの音楽の源流は沖縄にあった。片山が石垣島の出身、歌菜の母が沖縄出身というだけでなく、彼らは昨年2月までの1年3ヶ月間、なんと沖縄に住みこみ音楽修行をしていたというのだ。島唄で磨かれた感覚や声が、彼らのポップな音楽の底流となっているのです。
例えば「童歌」。現代に生まれたこの沖縄民謡を歌う歌菜ちゃんは、島唄の音階をわがものにして、しっかりと沖縄の空気を晴れ豆に響かせてくれた。なるほど、沖縄とゆかりの深い晴れ豆に出演するに相応しいアーティストだ。
それでも、何故彼らがわざわざ沖縄に1年以上も住み込んだのかは謎。気になって帰宅後に「童神」について調べて、その答えがみえてきた。
「童神」は沖縄の島唄を全国に印象付けた伝説的な女性グループ、ネーネーズのでボーカルをしていた古謝美佐子さんが1997年に作った曲だった。いまや沖縄の古典とさいわれるこの曲だが、古謝さんが世に送り出したのは、わずか15年ほど前のこと。それがいまや、夏川りみや城南海をはじめとする沖縄出身の歌手がこぞってカバーするほどに。2003年には夏川りみの「童神~ヤマトグチ~」としてレコード大賞金賞も受賞してたのだね。きっと聞いているのだろうが、「童神」という曲、不覚にも知らなかった。
「天からの恵みを受けて、この地球に生まれたわが子よ 私がお守りして 育てるからね 愛しのわが子よ 泣くなよ 太陽(てぃだ)の光を受けて どうか良い子に 健やかに育て」
ヤマトグチでこんな歌詞の子守唄を、古謝さんが沖縄方言ウチナーグチで情感たっぷりに歌い上げ、沖縄の人々の心を捕らえたそうだ。作品が完成したのが、孫の誕生を4ヵ月後に控えた時期。幼い頃、十分構ってあげられなかった自分の愛娘が授かった、その新しい命のために作った曲だったという。
やがて、古謝さんは「童神」をステージで歌うようになり、NHKの朝の連続テレビ小説「ちゅらさん」の挿入歌としても流れ、一気に広まっていった。沖縄では古来から、子どもたちを神のお供として、神格化する祭りや文化があるそうです。多分、子孫繁盛こそ島の村落共同体の繁栄に直結することが、習俗として、宗教として定着したのでしょう。「童神」という単語は、沖縄では日常でも使われる言葉なのだそうです。
古謝美佐子さんが歌う「童神」を聞くと、涙が出てくる。宇宙を感じ、命を感じ、大地を感じ、海を感じる。ふるさとがまざまざと目に浮かび、そこに生きる人々のひとりひとりの顔が浮かんでくる。生きている、という実感をありありと感じられるのだ。
もし自分がアーティストだったら、こんな風に歌いたい。歌えるようになりたい。叶うことなら、沖縄に住み込んで、その音楽とともに暮らし、体の中にいっぱいいっぱい取り込みたいと思っただろう。KATA-KANAの二人に聞いたわけではないが、彼らが胸に何を抱き、沖縄へ渡ったのか、なんとなく推察できるような気がした。
全ての命に対し母のような慈しみを抱いて、歌菜ちゃんが歌っていたのだと気づくと、KATA-KANAの曲になぜ惹かれたのか、キャンドルに照らされたこの祝祭的な空間に彼らがなぜ似合っていたのか、腑に落ちるところがありました。
「童神」の次に歌った彼らのオリジナル「大丈夫だよ」は、まさにそんな優しさにあふれていて、今夜特に気に入った曲。大丈夫だよ、と繰り返す歌菜ちゃんの歌声に、癒される自分がいた。最後の「ウタタネ」は、震災を受けて片山君がこの悲しみを忘れぬようにと作ったという。
「何もできなくて、情けなくて ふがいなない自分思い知る 町に出てみて 気づいたんだ 何もしていなかったことに 誰かのためにできること 僕が誰かにできることは 歌種をまいて 奏でようよ 心を癒せ みんなが流した涙が かならず明日を作るから 今はそっと手をつなごう」
そんな歌詞が心に響いてくる。KATA-KANAの二人は、僕らの心を解き放ち、幸せの空間に連れていってくれる力があった。素晴らしいアーティストだった。
3番手は男性デュオの「アコジィ」。すごく天然な魅力たっぷりの2人組だ。とにかく笑いをとるのだが、大阪出身か?その音楽も、アコギ2本に、ハープを入れて、声を揃えたハーモニーは聞いていて楽しい。
特にいいのは、その親しみやすさ。イケメン風でスリムな奴と、デブキャラで笑いをとる二人の組合わせが絶妙。沢山の女性ファンが、彼らのライブに駆け付けるのも当然か。
1)落書き
2)僕の中の君へ告げる
3)もしもあなたに
4)ランタンファイア
5)涙空
会場は笑いにあふれ、全く生音だったことを忘れていました。彼らもまた、活躍を期待したいデュオだった。
さあ、そしてトリは玉城ちはるだ。
今夜はアコギに菅大祐、チェロは美人で純白のドレスが素敵な吉良都。二人が紡ぐ素敵な音色にのって、モコモコっとした素材で白のノースリーブドレス姿で玉城ちはるが登場。実際のドレスの色は薄いベージャやイエローだったかもしれないが、蝋燭の灯火の中では全ての色が削ぎ落とされ、女性陣はみな白装飾に見える。
アンプラグドということで、今夜の演奏は大胆に音符の数を減らしたアレンジ。無音の余韻が焔の揺らぎと相まって、どこか背筋がのびる厳かささえも。その空間の中から、優しく、思いやりさえ感じる、ささやくような声で「好きだよ、好きだよ、好きだよ~」と歌が立ち上がってくる。ああ、これが玉城ちはるだ、と思い出す。不覚にも、まだ1曲目というのにぐっとくる。
マイクが無いことで、ステージの上がシンプルなのもいい。向かって左にギター、右にチェロ。中央の空間を自由に漂う玉城ちはるの動きが叙々に、いつにも増して大きくなっていく。一言ひとことに気持ちを込めているから、心に響く。
そこに、手話だ。「好きだよ」と歌うだけでなく、マイクから解放された両腕を大きく使い、好きだという感情を手話のモーションで伝えてくる。耳からも、目からも、玉城ちはるが体全体で発してくる「好きだよ」が入ってくる。これはヤバイ(笑) それを、お客さん一人ひとりの目を一直線に見つめながらやるから、ひとたび目線が合ったらズキュンと打ち抜かれたようになり、もう釘付けだ。
2列に並ぶキャンドルの焔が、舞台と客席に厳然とした境界線を引く。ともすれば、大き過ぎる動きでステージから客席に降り立ちそうになる歌姫を、祭壇の上に押し留める。
想像力たくましく見ていると、その存在のすべてで何かを伝えてくる彼女は、ステージのうえで踊り女であり、白拍子であり、巫女であった。小さな炎の連なりで浮かび上がる舞台は幻想的で、悠久の時を漂よいながら、いにしえの白拍子の舞台を見ているような錯覚さえ起きてくる。
そこにもってきて、何語か分からない不思議な曲があり、まるで祝詞か呪文のよう。後から聞いたらドイツ語のHeimatstadtという曲だそうで、故郷という意味らしい。
1)好きだよ
2)そばにいて
3)Heimatstadt(ハイマートシュタット)
4)花かんむり
5)前を向いて
彼女の歌には説得力がある。その説得力は、彼女を知れば知るほど増す。
例えば今夜もMCで「実は私、7人の子供の母親なんです」と言って初めてのお客さんを驚かせていたが、そう、彼女は自分にできる国際交流として、歌うホストマザーとして海外からの留学生を家に住まわせている。留学生たちにママと呼ばれ、これまでにのべ数十人の日本滞在生活の面倒をみてきている。彼らと365日、居を同じくして、同じ食事を食べ、心のケアをして、見守ってあげるなんてできることじゃない。
またeach feelingという平和活動を2009年から毎年主催している。「平和への想いをカタチに」をテーマに、様々なジャンルで活動をされている方が、それぞれのカタチ「歌う・描く・走る」を通して“平和への想いを”人に伝え、更に希望ある次世代へ捧げる『ピースイベント』、という。沢山の企業が協賛し、多くのNGOが参加して、世界へ平和の大切さを訴えていくイベントだ。
彼女のパワーと実行力に、多くの人がついて行く。彼女の歌を聞くと、平和や愛、友情の大切さを予備知識なく感じることができるのだが、それは彼女が深く考え、実行している人だからこそ伝わるものなのかと思う。
でも、何より素敵なのは、そんな存在だからといって彼女が別世界の人だとは一切思わせない、オープンマインドの持ち主だということだ。誰とでも、同じ地平で、同じ目線の高さで、心を通わせてしまう。その能力の高さといったら、余人を持って代え難し。彼女と話せば、誰でもその魅力のとりこになるだろう。
構えていても、彼女が話し始めたら、というかぶっちゃけ話を始めたら、もう笑わずにはいられないのだ。大爆笑に次ぐ大爆笑で、心の壁なんて瞬時に雲散霧消。今夜も「アコースティックだからしっとりいこうと思ってたのに、前のアコジィが笑いを取ってるから、私も負けられないと思っちゃうじゃない」など言いながら、次々と笑わせていく。彼女にライブは、客席が笑顔に包まれるのだ。皆を笑顔にする、それが彼女の狙いというか、望みなのだ。
そして、勇気づけもする。最後の曲は「前を向いて」。
一人ひとりのお客さんに手をさしのべながら、


ある本の表現を拝借しよう。
「彼女は、怒れる者の肩にそっと手を置いてくれる
彼女は、悲しむ者を抱きしめてくれる
彼女は、驕れる者を優しく諫めてくれる
彼女は、迷える者に日の当たる道を見せてくれる」
実は漫画「神の雫」の一節で、「彼女」の部分に「ワイン」が入るのだけどね。素晴らしいワインを形容する際に、作中のワイン評論家が語っていた言葉だが、置き換えたらそのまま玉城ちはるだなあ、とふと思った。
多分、彼女に何かを感じたお客さんは多かったのだろう。盛大なアンコールの手拍子が沸きあがった。
再び登場した彼女が選んだ曲は「君にありがとう」。満面の笑みを浮かべて、ありがとう、と感謝を伝える彼女は、やはりキャンドルのステージがとても似合っていた。自分も感謝を忘れずに、人とつながっていこう、と思わされた。素晴らしいライブだった。
うーん、玉城ちはるを褒めすぎたか?でも今、色々あって彼女も少し落ち込んでるようだから、良しとしよう(笑)