自分の中に住み着いている霊的サタンこそ、本当の敵です!
前回は、全てが、本丸が見えないようにカムフラージュされている、というお話でした。私たちは、マスコミや教育によって、社会通念という固定観念を植え付けられ、本当の敵を見えなくさせられています。私たちの本当の敵は、別のところにいます。そして、これからは、本当の敵に対して私たちの怒りの矛先を向けていかなくてはならないのです。では、本当の敵とは何か?今日は、このことについて考察してみたいと思います。確かに、この世の悪はイルミナティ・サタンです。このことは、RAPTブログの読者であれば、今やそのことを否定する人はいないと思います。この世の人々は、肉的な欲望を満たすことに必死です。肉的な世界だけを見てしまうと、まんまとイルミナティ・サタンの仕掛けた罠にはまってしまいます。だから、イルミナティ・サタンの滅びを祈るわけですが、仮に、彼らが滅びたとしても、それで全てが解決するか?というと、そんな簡単なことではないと思います。「克己心」という言葉があります。「克己心」とは、読んで字のごとく「己に打ち克つ」つまり「強い意志をもって物事にあたること」です。「克己心」の「克(コク・かつ)」という字は、「力を尽くして物事を成し遂げる」という意味を持っています。「己(キ・おのれ)」とは、自分のこと。つまり、戦うべき敵は自分の中にある、ということです。では、自分の中にある敵とは何か?言わずもがな、それは霊的サタンです。新約聖書の中で、サタンがイエス様に誘惑を仕掛けるシーンがあります。(ここより転載)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・荒野の誘惑(あらののゆうわく)はキリスト教の聖書正典である新約聖書に書かれているエピソードの1つ。キリスト教教理において重要な役割を果たしており、キリスト教文化圏の芸術作品の中で繰り返し用いられるモチーフでもある。洗礼者ヨハネから洗礼を受けた後、イエスは霊によって荒れ野に送り出され、そこに40日間留まり、悪魔(サタン)の誘惑を受けた。マルコによる福音書(1:12,13)、マタイによる福音書(4:1-11)、ルカによる福音書(4:1-13)の福音書に記述がある。以下は、口語訳聖書のルカ伝によるもの。悪魔の誘惑さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた— ルカによる福音書4章1節と2節(口語訳) (中略)第一の誘惑そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらんなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。— ルカによる福音書4章3節と4節(口語訳) (中略)第二の誘惑それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」— ルカによる福音書4章5節から8節(口語訳) (中略)第三の誘惑それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。 イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。それからイエスは御霊の力に満ちあふれてガリラヤへ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。— ルカによる福音書4章9節から14節(口語訳)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(抜粋、ここまで)サタンがイエス様に仕掛けた3つの誘惑について、それぞれ何を示唆しようとしたものであるかについては、読者諸氏に委ねます。いずれにせよ、イエス様はサタンの誘惑に打ち勝ったのです。もし私が上記のような状況に合ったら、誘惑に駆られ、まんまとサタンの罠にハマってしまうことでしょう。それ程、自分の信仰が浅い、ということです。それ程、強固な意志が無い、ということです。それ程、誘惑を跳ね飛ばすだけの実力がまだ無い、ということです。つまり、自分の中にサタンがまだ住み着いている、ということです。自分の中に住み着いている霊的サタンこそ、本当の敵です!いくら、イルミナティ・サタンの滅びを祈ったとしても、肝心の自分の中に霊的サタンがまだ住み着いている以上、状況は好転しません。この世にはびこるイルミナティが滅んだとしても、自分の中に住み着いている霊的サタンがいる限り、本丸を倒したことにはならないのです。自分の罪を悔い改め、霊・肉共に清らかな状態を保ち、神さまの神殿としてふさわしい状態にしてはじめて、本丸に打ち勝ったと言えるのです。ですから、私たちは神さまに祈る時、イルミナティの滅びを祈るだけでなく、自分の中のサタンを倒すことができるように、祈らなければならないのです。そのためには、RAPTブログが、本当の敵を倒すための道標となります。「肉的な欲望を満たすことだけが幸せ」という世の中の社会通念から早く脱出し、「平安と喜びと希望に満ち溢れた世界」の実現こそが、私たちが進むべき道だということに気付きましょう。今日もRAPTさんの「御言葉」を全身に浴びて、霊・肉共に清らかにし、神さまの恵みが受けられるよう、祈りましょう。2020年9月11日(金) 罪があるから、不安や心配や悩みが生じる。罪をなくして主に祈り求めるなら、主がその祈りを叶え、全ての不安や心配や悩みをなくしてくださる。(地上天国とは、一ミリたりとも不安や心配や悩みがなく、平安と喜びと希望に満ち溢れた世界だ。)(2020.9.12)