RAPTさんや聖書に登場する預言者・救い主には有って、私には無いものとは何なのか?
前回は、「シラ書 46〜47章」を紹介しました。今回は、「シラ書 48〜49章」の紹介に移ります。その前に、まず「私の祈り」から入りたいと思います。最初にお祈りの言葉を唱えてから、その後で聖書を読んでいくというスタイルは、これまでと一緒ですので、お付き合いの程よろしくお願いします。では、今からお祈りします。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・聖なる神様、御子様、聖霊様。今日もこうして神様にお祈りし、朝を迎えることができることに感謝します。RAPTさんの「御言葉」から神霊な波長を受けて、神様の御心に立ち返る機会を与えていただき、本当にありがとうございます。千年王国への道を踏み出した今、以前よりも増して深く祈ることができるようになりましたが、まだまだ気を緩めることはできません。サタンの悪あがきによる妨害が、多少なりともまだあるかもしれませんが、これからも聖書紹介に果敢に挑み続け、サタンとこの世の悪人を滅ぼし、勝利することができますよう心から祈ります。「シラ書」も、いよいよ大詰めに差し掛かってまいりました。特に43章以降は、神様の偉大さを讃える聖句で占められています。43章では、自然界における神の偉大さを賛美しているのに対し、44章〜50章までは、歴史における神の偉大さを讃えています。エノク、ノア、アブラハム、ヤコブ、モーセ、アロン、ピネハス、ヨシュア、カレブ、サムエル、ナタン、ダビデ、ソロモン、レハブアム、ヤロブアム、エリヤ、エリシャ、ヒゼキヤ、イザヤ、ヨシヤ、エレミヤ、エゼキエル、ゼルバベル、ネヘミヤ、エノク、ヨセフ、アダム、シモンといった名前を連ねることで、イスラエルの歴史を振り返り、神様の偉業を讃えています。神様が成された壮大な歴史の根底に流れる「知恵と愛」を噛み締めながら、じっくりと読み進めて行きたいと思います。そこで、今回私が興味を持った箇所は、以下の聖句です。(48章1〜11節)ーーーエリヤ1そして火のような預言者エリヤが登場した。彼の言葉は松明のように燃えていた。2彼は人々に飢饉をもたらし、その熱意をもって人々の数を減らした。3彼は主の言葉によって天を閉ざし、三度、火を降らせた。4エリヤよ、あなたはその驚くべき業のゆえに、どれほどほめたたえられたことだろうか。あなたと等しく誇りうる者があろうか。5あなたはいと高き方の言葉によって死者を死から、陰府から立ち上がらせた。6あなたは王たちを破滅に導き、名士たちを安眠の床から引きずり降ろした。7あなたはシナイ山で非難の言葉を聞き、また、ホレブの山で裁きの宣告を聞いて、8王たちに油を注いで報復させ、預言者たちに油を注いで後継者とした。9あなたは火の旋風に包まれ、火の馬の引く車に乗せられ天に上げられた。10あなたは、書き記されているとおり、定められた時に備える者。神の怒りが激しくなる前に、これを静め、父の心を子に向けさせ、ヤコブの諸部族を立て直す者。11あなたを見る者、また、愛のうちに眠りについた者は幸いである。確かに、わたしたちも生きるであろう。ーーーーーーーーーーーーこの聖句は、新約聖書の中でも、モーセと並ぶ偉大な預言者として取り扱われているエリヤを賛美する御言葉です。ここで、彼の預言者としての活躍ぶりを振り返ってみたいと思います。(Wikipediaより転載)**********エリヤ(ヘブライ語:אליהו,ギリシア語:Ηλίας,英語:Elijah、エリア、イリア、イリヤとも表記される)は、旧約聖書に登場する預言者。「エリヤ」とはヘブライ語で「יהוה(ヤハウェ)は我が神なり」の意[1]。『列王記』に名が見え、バアル崇拝への熱心な反対者、יהוה(ヤハウェ)信仰の守護者として描かれる。新約聖書『ヨハネによる福音書』では、旧約聖書を代表する預言者として言及される[2]。イスラーム教においてはイルヤース(إلياس) としてクルアーンに記述される預言者。旧約聖書のエリヤ「エリヤ」(Elijah), 1638,ホセ・デ・リベーラ作はじめギレアデのテシベ(ティシュベ)に住み、アハブがイスラエル王国の王であったとき、預言活動を開始した[3]。エリヤがサマリヤ地方を去ってヨルダン東岸のケリテ川のほとりに三年すんだ間、王国には雨がなく、飢饉が激しかった[4]。エリヤはイスラエルに戻ると、アハブに求めて「バアルの預言者450人、アシラの預言者4百人、イゼベルの食卓で食事する者たち」[5]との競争を行った。バアルの預言者たちとエリヤはカルメル山に祭壇を築いて、それぞれの神に祈ったところ、バアルからは何の答えも無く、エリヤの神(ヤハウェ)のみが天から火を降らせるという奇跡をなした。直後にエリヤはバアルの預言者を捕えるよう指示を出し、バアルの預言者たちは捕えられて処刑された[6]。 そのとき主の火が下って燔祭と、たきぎと、石と、ちりとを焼きつくし、またみぞの水をなめつくした。民は皆見て、ひれ伏して言った、「主が神である。主が神である」。エリヤは彼らに言った、「バアルの預言者を捕えよ。そのひとりも逃がしてはならない」。そこで彼らを捕えたので、エリヤは彼らをキション川に連れくだって、そこで彼らを殺した。— 列王紀上18章38節から40節(口語訳)そののち雨が降ったが、これを聞いたイゼベルは怒り、エリヤはイゼベルの怒りを避けて、ユダのベエルシバ(ベエルシェバ)へ逃れたのち、ホレブ山に身を隠した[7]。ホレブ山でヤーウェの言葉を受けたのち、エリヤはホレブを去った。その言葉とは、ダマスコスのハザエルをシリアの王に、エヒウをイスラエルの王に、エリシャを自分の後継者となる預言者としてそれぞれに膏を注ぐ命であった[8]。ホレブ山を降りたエリヤはエリシャと会い、これを後継者とした。アハブがエズレルの人ナボテのぶどう畑を不当に欲し、イゼベルが無実の罪を着せてナボテを殺害した時、エリヤはアハブに会い、アハブが不当にナボテの畑を取ったことを責める神の言葉を伝えて、アハブとその家が滅びると預言した[9]。アハブは悔いたため、災いがアハブの身に直接及ばず、その子の代に下るとの預言がエリヤに下った[10]。のちにエリヤはつむじ風に乗って天に上げられ、エリシャはエリヤが火の馬が曳く火の戦車に乗って天に上るのを見た[11]。二人はのち二度と会わなかった。シリヤのハザエルはエリシャと会ってその預言を聞いた後、王ベネハダデを殺害して王位を奪い[12]、エヒウはエリシャに膏注がれた後、叛乱してアハブの子ヨラムより王位を奪ってイスラエルの王となった[13]。ユダヤ教ではモーセ以後、最大の預言者とみなされた。新約聖書のエリヤイエス・キリストの変容の際、エリヤはモーセと並んでイエスの傍にあったものとして書かれていることにも[14]、その位置づけの大きさが伺われる。エリヤの死が聖書に記載されていないことから、1世紀当時、エリヤが再来するとの伝承があったことが、新約聖書などから知られる。洗礼者ヨハネもイエス・キリストも、一部からはエリヤの再来とみなされたようである[15]。これはメシア預言と複合して、来るべき救世主の再来を告げるものとされた。福音書は洗礼者ヨハネをこれに比定して書かれている。十字架上のキリストの最後の7つの言葉のうち第四の言葉が、見物人にはエリヤを呼んでいると誤解された言葉として残る。 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。— マタイによる福音書第27章第46節-第54節そして三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」と叫ばれた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。すると、そばに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「そら、エリヤを呼んでいる」。ひとりの人が走って行き、海綿に酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとして言った、「待て、エリヤが彼をおろしに来るかどうか、見ていよう」。— マルコによる福音書第15章第34節-第39節 *********(転載ここまで)以上のように、「天から火を降らせるという奇跡」や「火の馬が曳く火の戦車に乗って天に上る」話などから、聖書に登場する預言者の中でも、エリヤの霊的パワーは最強で神秘性に満ちているのを感じます。私のような者からすれば、遥か彼方におられる雲の上の人といった感がありますが、現に、聖書に記されているということは、実在された人物であることには違いありません。私たち人類は、サタンによって悉く霊的に貶められてきた歴史が続いてきたため、高次の霊を獲得した人が、どれほど凄い人であるのか、どれほどの御業を成せる人なのか、理解し難い所があるのも事実です。自分の周りに預言者や救い主を実際に見ることはなく、唯一の手がかりとなるものは聖書しかありませんでしたので、預言者や救い主のことは、謎めいた奇跡や神秘性を帯びた部分だけがクローズアップされ、今一つ現実味のある話として捉えることができなかったのは、私だけではないと思います。なので、信仰心のある人たちさえも、預言者や救い主の話を、どこか架空の世界のお伽話のように受け止め、半信半疑で捉えている所があったのではないでしょうか?しかし、大バビロンが滅び、成約時代に入った今は違います。中心者RAPTさんの登場で、高次の霊を獲得した人が、どのような人であるかを実際に肌で感じることができるようになったのです!預言者や救い主の存在は、聖書だけの絵空ごとではなく、現実味のある話として捉えることができる時代に、私たちは遭遇しているのです。聖書に登場する預言者や救い主は皆、それぞれの個性を発揮しながら、命懸けで自己の使命を果たそうとされているのが読み取れます。事実、預言者の中には、悪人の手によって殺害された人も少なからずおられ、救い主であるイエス・キリストも、ユダヤ人の手によって磔刑にされました。どんなに迫害を受け、場合によっては殺されるかも知れない事態となっても、彼らは怯むことなく悪と立ち向かい、人類救済のために全人生を捧げたのです。それと同じことがRAPTさんにも言えます。RAPTさんも、イルミティ・サタンによる言論弾圧や集団ストーカー、工作員の教会潜入などの卑劣な妨害活動にも果敢に立ち向かい、今現在も命懸けで「御言葉」を宣布され、多くの人々を救うために尽力されています。人類救済のために命懸けで使命を果たすということは、そう簡単に誰にでもできることではありません。少なくとも今の私は、命懸けで自分の信念を貫こうとする強い意志が備わっておりません。全人生をかけて、信仰を守ろうとする覚悟が無いのです。頭では「御言葉」の素晴らしさは理解しているつもりであっても、いざそれを実践しようとすると、どうしてもそれに従いきれない所があるのです。一部の「御言葉」は受け入れても、一部の「御言葉」は受け入れることができない所があるのです…。この「御言葉」に従ったら、家族はどう思うだろうか?この「御言葉」に従ったら、世間からどう見られるだろうか?この「御言葉」に従ったら、友人は離れていかないだろうか?このような、人の目を気にする自分がそこにいるのです。この、人の目を気にする自分が「御言葉」に従うのをためらわせるのです。では、RAPTさんや聖書に登場する預言者・救い主には有って、私には無いものとは何なのか?やはりそれは、後ろ盾となる存在が有るか無いかの違いではないでしょうか?どんなに迫害され、どんなに弾圧を受け、どんなに嫌がらせを受けたとしても、自分には守ってくださる存在がある、豊かな恵みと祝福を与えてくださる存在がある、といった確信が持てるか持てないかの違いではないでしょうか?常に自分の味方についてくださり、全幅の信頼を寄せることのできる方が自分の側におられるかおられないかの違いではないでしょうか?全幅の信頼を寄せることのできる方とは、勿論、神様です。神様が、常に自分の味方となってくださり、自分を守ってくださり、自分に祝福を与えてくださるとなれば、それは最強です!これほど頼もしい存在は他にはありません!そうなれば、他人がどうこう言おうが、自分には神様が着いてくださるのです。人の目なんて気にする必要はないのです。気にするべき対象は、神様だけです。しかし、私の心の奥底にはまだ、人の目を気にする自分がまとわりついているのです。「御言葉」の全てに従うことに抵抗を感じてしまう自分が、未だにいるのです。コロナ茶番が終わってもまだ、人の目を気にしてマスクをしている人がいます。そういった方に対して冷ややかな目で見ていた私ですが、偉そうに人のことを言う資格がありません。私自身も、人の目を気にして「御言葉」に従えない所があるのですから…。要は、人の目を気にするのではなくて、神様の目を気にする自分に徹することです。神様を一筋の心で愛せる自分に成ることです。そのためには、何はともあれ、神様に祈り求めなければなりません。もっともっと神様に祈り求め、神様と対話する時間を増やさなければなりません。もっともっと神様が喜んでくださるように、天に富を積まなければなりません。そうすれば、きっと神様は私の方に振り向いてくださると信じます。どんな時でも、私の側にいてくださり、守ってくださると信じます。これまでも、私は神様から数々の祝福を受けてきました。事実、このブログを書き続けることができたのも、神様の恵みを戴いているお陰です。信仰を持つ以前の私では、ここまでやり通すことはできなかったことでしょう。でも、「御言葉」を学んでからは、今まで何度も神様から助けていただきました。勿論、それらのことについては感謝の念が絶えません。しかし、そのような恩恵を受けたにもかかわらず、私はまだ、充分なお返しができていないままです。もっともっと、神様が喜んでくださるように、天に富を積まなければなりません。もっともっと、信仰の4本の柱に打ち込む必要があるのです。もっともっと、神様への愛を捧げる必要があるのです。自分の側に神様が来てくださっていると確信が持てるまで愛を捧げる必要があるのです。どんな困難に遭遇しても、神様が味方についてくださる、守ってくださる、祝福を与えてくださるという確信が持てるまで、愛を捧げる必要があるのです。人の目を気にする自分から脱皮し、一筋の心で神様を愛する自分に成りたいのです。RAPTさんや聖書に登場する預言者たちのように、全人生を捧げて信仰に徹することができる者となれますよう心から祈ります。ここで、RAPTさんの「御言葉」を、以下に紹介させていただきます。○RAPT有料記事749(2023年6月5日)神様に全人生を捧げて生きる人がいるなら、神様はこの世に対する裁きを止めてでも、その人に豊かな祝福を与えてくださる方だ。この「御言葉」の冒頭部分だけを転載させていただきます。(ここから転載)**********神様は、私たち人類のために地球万物を作り、その万物から様々な楽しみを得て生きられるようにしてくださいました。しかし、その人類がサタンによって堕落させられたために、これまで何人もの使命者をこの地上に送り、サタンの支配から解放されて救われ、霊肉ともに豊かな祝福に満たされて生きられるように導いてきて下さいました。さらにこの終わりの時には、主は最後の使命者をこの地に送って、様々な不思議なしるしと奇跡を見せ、実際に神様が存在していることを人類に示してくださり、その上で、聖書の封印をすべて解き明かして、人類が完全な真理を知って、完全な救いを手に入れられるようにしてくださいました。ところが、日本人の多くがそういった神様の働きを目にしていながら、それら全てを無視し、むしろ神様の働きをことごとく足蹴にして、神様のことを受け入れなかったので、神様は今や日本に対してどこまでも厳しい裁きを下されています。そしてこの裁きは、日本人が神様を受け入れ、御言葉に聞き従うまで延々と続くと仰いました。神様は、私たち人間にご自身の存在に気付いてもらい、ご自身を愛してほしいと心から願っていらっしゃいます。皆さん一人一人が、神様の人類に対する切なる想いを深く悟り、神様を受け入れ、神様を心から愛して、神様の喜びとなりますことを心から祈ります。**********(転載ここまで)この話の続きを知りたい方は、直接、有料記事をご購読ください。聖なる神様。ありがとうございます。聖書とRAPTさんの「御言葉」のお陰で、RAPTさんや聖書に登場する預言者・救い主には有って、私には無いものとは何なのかを知ることができました。それは、神様への愛です。どんなに迫害され、どんなに弾圧を受け、どんなに嫌がらせを受けたとしても、自分には守ってくださる存在がある、豊かな恵みと祝福を与えてくださる存在があると、確信が持てるまで神様を愛することです。常に自分の味方についてくださり、全幅の信頼を寄せることのできる方が自分の側におられると、確信が持てるまで神様を愛することです。神様が、常に自分の味方となってくださり、自分を守ってくださり、自分に祝福を与えてくださるとなれば、それは最強です!これほど頼もしい存在は他にはありません!自分の側に神様が来てくださっていると確信が持てるまで、神様と愛の関係を結びたいです。どんな困難に遭遇しても、神様が味方についてくださる、守ってくださる、祝福を与えてくださるという確信が持てるまで、神様を愛したいです。人の目を気にする自分から脱皮し、一筋の心で神様を愛する者となれますよう心から祈ります。RAPTさんや聖書に登場する預言者たちのように、全人生を捧げて信仰に徹することができる者となれますよう心から祈ります。これからも、神様の御心を実践して、喜びや生き甲斐をもってこの世を生きる者となれますよう導いてください。人類の救いのために人生を懸けると決心し、祈りによって神様と深く疎通し、「御言葉」を正しく賢く伝導できる者となれますよう心から祈ります。まだ救われていない人々が、神様の愛に気付き、心から真理を求めようとし、RAPTさんこそが真の中心者であることを悟れるようにしてください。中心者の語る一言一言が宝だと思って学び、深く悟れるようにしてください。神様が用意して下さった救いと祝福を余すことなく受けることができるように、「御言葉」を悟らせてください。全ての罪を悔い改めて「御言葉」に従って実践すれば、今この時代における神様の裁きに巻き込まれることなく、霊的にも肉的にも救われることを実感させてください。RAPTさんが聖なる神様を体現し、私たちを導く希望の光となり、永遠に輝き続けられますことを心より祈ります。そして一刻も早く、私たち一人ひとりの祈りの力によって、悪人とサタンをことごとく滅ぼし、この世に義なる世界を打ち立てて、地上天国が成されますことを心から祈ります。これら全てのことに感謝して、愛する主の御名によって祈ります。アーメン ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・それでは次に、「シラ書 48〜49章」を紹介します。(旧約聖書続編〈新共同訳〉より抜粋)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・シラ書 48章エリヤ1そして火のような預言者エリヤが登場した。彼の言葉は松明のように燃えていた。2彼は人々に飢饉をもたらし、その熱意をもって人々の数を減らした。3彼は主の言葉によって天を閉ざし、三度、火を降らせた。4エリヤよ、あなたはその驚くべき業のゆえに、どれほどほめたたえられたことだろうか。あなたと等しく誇りうる者があろうか。5あなたはいと高き方の言葉によって死者を死から、陰府から立ち上がらせた。6あなたは王たちを破滅に導き、名士たちを安眠の床から引きずり降ろした。7あなたはシナイ山で非難の言葉を聞き、また、ホレブの山で裁きの宣告を聞いて、8王たちに油を注いで報復させ、預言者たちに油を注いで後継者とした。9あなたは火の旋風に包まれ、火の馬の引く車に乗せられ天に上げられた。10あなたは、書き記されているとおり、定められた時に備える者。神の怒りが激しくなる前に、これを静め、父の心を子に向けさせ、ヤコブの諸部族を立て直す者。11あなたを見る者、また、愛のうちに眠りについた者は幸いである。確かに、わたしたちも生きるであろう。エリシャ12エリヤが旋風の中に姿を隠したとき、エリシャはエリヤの霊に満たされた。彼は生涯、どんな支配者にも動ずることなく、だれからも力で抑えつけられることはなかった。13彼にとって手に余ることは何もなく、死後もその体は預言の力を失わなかった。14彼は生きている間、不思議な業を行い、死後もなお驚くべき業を行った。15これらすべてにもかかわらず、民は悔い改めず、罪から離れることはなかった。彼らはついに祖国から連れ去られ、地の至るところに散らされた。後に残されたのは、少数の民とダビデの家の支配者だけであった。16中には、神の御旨を行う者もいたが、罪に罪を重ねた者もいた。ヒゼキヤとイザヤ17ヒゼキヤはエルサレムの町を強固にし、町の中へ水を引いた。鉄の道具で切り立った岩をくりぬき、用水池を造った。18彼の治世中センナケリブが攻め上り、ラプサケを遣わした。この男は出かけて行って、シオンに向かって手を振り上げ、おごり高ぶって暴言を吐いた。19町の人々は心も手も震えおののき、女が子を産むときのように、苦しんだ。20人々は主に向かって両手を広げ、憐れみの主に呼び求めた。聖なる方は天から直ちにその願いを聞き入れ、イザヤの手によって彼らを救い出された。21こうして主はアッシリアの陣を打ち破り、主の御使いは彼らをことごとく滅ぼした。22ヒゼキヤは主の御旨を行い、先祖ダビデの道を堅く守った。それは預言者イザヤが命じた道であった。イザヤは偉大で、受けた啓示に忠実であった。23太陽が後戻りして王の寿命が延ばされたのは、イザヤの時代であった。24イザヤは大いなる霊によって終末の時を見つめ、嘆き悲しむシオンの人々を励ました。25彼は永遠に及ぶ未来の事、隠された事を、それが起こる前に示した。シラ書 49章ヨシヤ1ヨシヤの業績は、香料造りが丹念に混ぜ合わせた香のようにかぐわしい。それはだれの口にも蜜のように甘く、酒の席での音楽のようだ。2彼は正しい道を歩んで民を悔い改めさせ、忌まわしい不法な行いを根絶した。3彼は心をまっすぐに主に向け、不法のはびこる時代にひたすら神を敬った。ユダの最後の王たちとエレミヤ4ダビデとヒゼキヤとヨシヤを除き、すべての王は罪に罪を重ねた。彼らはいと高き方の律法を捨てたのだ。こうしてユダの王室は絶えた。5彼らはその権力を他の人々に、その栄光を異国の民に渡してしまった。6異国の民は聖所のある選ばれた町に火を放ち、ちまたは荒れ廃れた。エレミヤが預言したとおりである。7人々はエレミヤを虐げた。このエレミヤは、抜き取り、苦しめ、滅ぼすために、しかしまた、建て、植えるためにも、母の胎にいるときから預言者として聖別されていたのである。エゼキエル8エゼキエルは栄光の幻を見た。神がケルビムの車輪の上で示されたものである。9神はまた敵を思い出し、激しい嵐を起こされた。しかし正しい道を歩む者には恵みを与えられた。十二預言者10十二人の預言者の骨が、その墓から再び花を咲かせるように。彼らはヤコブの民を慰め、希望にあふれた信仰をもって救ったのだから。ゼルバベルとイエシュア11ゼルバベルのすばらしさをどう言い表そうか。彼は右手の指にはめた印章のようだ。12ヨツァダクの子イエシュアも同様である。彼らはその存命中、主の家を建て、主のために聖所を築いた。永遠の栄光に備えるためであった。ネヘミヤ13ネヘミヤの業績も偉大である。彼は崩れた城壁を再び築き、門やかんぬきを取り付け、我々の家を建て直した。エノク14この世に生を受けた者のうち だれ一人、エノクに並ぶ者はなかった。彼は地上から天に移されたからだ。ヨセフ15またヨセフほどの人物も出なかった。彼は兄弟たちの導き手、民のよりどころであった。そして彼の遺骨は丁重に扱われた。アダムとその子孫16セムとセトは人々の間であがめられた。だが、アダムこそ、造られたすべての生けるものの上に立つ者。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(シラ書 48〜49章より)皆様に祝福がありますように。(2023.6.9)