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画材(板)

板にスッと刃を入れる、ぐっと手前に引く。手のひらで押すようにして刃を進める。
清水刃物店さんで研いでもらった彫刻刀が、気持ちよく板を削ってくれます。

私にとっての版画制作の良さは、各工程のやるべき事がはっきりと決まっているところ。特に、版を作る際には刃物を使い、意識を刃先に集中していないとケガをするので、あまり余計なことを考えません。
とはいえ、うっかり指先を刃の進行方向に置いて、何度かは痛い思いも…(^^;)。

版画用の板は、版画の先生に教えていただいたウッドライクマツムラさんから購入してます。
芯になる木材の両側に6mm厚さのシナ材を貼った版画用のベニヤ板を欲しい大きさにカットしてもらいます。シナとは菩提樹のこと。柔らかい材なので、彫りやすいのが特徴ですが細い線には向きません。
髪の毛の生え際などに非常に細い線を用いている浮世絵の版には、堅い桜などが用いられていたそうです。
また、日本の木版は、木材を縦に切って、木目に沿った板を使用しますが、ヨーロッパで印刷用に用いられていた木版は、木材を横に輪切り状に切った木口(こぐち)木版と呼ばれるもの。こちらも堅い木材を使用して、刷るときには油性のインクを使うようです。

会社の夏休みも後一日。この休みには、「描けるだけ描く、つくる」を目標にしていたのですが、進行具合はまぁまぁというところかな。
読みたかったジェンダー関係の本は結構何冊も読めて、自分なりに少しずつ考えや感じ方が定まってきたところです。個展貧乏だったので遠出はなしでしたが、近場でうろうろはしたし、結構充実してました。

休み中も早起きは実行してましたが、制作状況はのんびりペースになってました。明日から少しピッチあげて、休み明けに備えるかなぁ走る人

9 lives

久々に映画を観てきました。
ロドリコ・ガルシア監督の「9 lives」(邦題は「美しい人」ですが、私的にはこれは思いっきり×!(-""-;))です。
6年前のデビュー作「彼女を見ればわかること」、4年前の第二作目「彼女の恋からわかること」に続くロドリコ・ガルシア監督の三作目の作品。
いずれも、複数の女性がそれぞれの人生の一場面を表現しており、オムニバス形式で構成されているのが特徴です。また、肉体的なハンディをもった人が映画に登場するのも特徴。
三作ともに、お涙ちょうだいの演出があるわけでも、派手なアクションがあるわけでも、ものすごくかっこいいヒーローもヒロインも出ないのですが、観終わった後に映画館を出て、少し足取りがしっかりするような気がします。
要は、とてもナチュラルな「人」が描けているので、「あぁ、人は皆、泣いたり笑ったり、怒りながら日々を生きているのだな。人って弱くて、強いな。」と感じ、自分自身「まぁ、いろいろ不満はあるけど、これでいっか」と思える映画。

三作観て、私のお気に入りは、やはり一作目の「彼女を見ればわかること」かなぁ。
グレン・クローズ(危険な情事)、ホリー・ハンター(ピアノレッスン)、キャシー・ベイカー(ライトスタッフ)、キャリスタ・フロックハート(アリー・マイ・ラブ)、キャメロン・ディアス(チャーリーズエンジェル)、エイミー・ブレナマン、ヴァレリア・ゴリノといった豪華な女優陣がそろい、自ら出演したいと申し出た人も多数あったというだけあって、どの料理をとっても非の打ち所のないコース料理をフルで食べた感じでした。かといって、量も味もしつこくなくて、後味は何となくさっぱり。

二作目「彼女の恋からわかること」は、あんまり有名な女優さんは出てなくて、知り合いの女性が自分のプライベートなことをカメラの前で話しているような感じが、あまりにもリアルでちょっと生々しかったかな。
二作目を振り返ってみて思うのは、リアルであるだけじゃ映画の品(みたいなもの)とかパワーって出ないんだな…ということ。一作目で演じた女優の方たちの力を改めて感じました。
これって、どんなに写真のようにそっくりに描いても、描く人で出来映えが全然違うデッサンのようなものかもしれません。

そして、三作目「9 lives」(邦題気に入らないので勝手に原題(^^;))には一作目の主演者が多数出演していました。手法とテーマ(女性の生き様)が非常に似通っていたことや出演者が同じであったことから、一作目に観たときの衝撃が感じられず、「なるほど」というのが率直な感想です。第一作目が好きなので、私が三作目に大きな期待をしてしまったのも「なるほど」の要因。「期待」は感動を妨げるので、よくないですね。何事にも。

10年くらい前に岩波ホールで観た「森の中の淑女たち」っていうのもいい映画でした。女性たちの生き方をずるさも弱さも強さもみんな飾らずに描くっていうのが私の映画の好みのようです。
日本の女性を登場人物として、だれか女性監督がこんな感じの映画つくってくれないかなぁクローバー

画材(絵の具)

今朝、プランターに水やりしていたら、見慣れない卵色の物体が…。よく見ると、きのこ2本(単位はこれでOKか?)でした(^^;)。確かに高温多湿できのこにとってはベストな環境。

花屋で売ってるわけでもなし、色のきれいなきのこなんて東京の真ん中ではめったに見られないので、早速、モチーフになっていただきました。
出来は、うぅ~ん。もう一つo(_ _*)o。構図も色の選択もよくなかったようで、納得いきません。
そうこうしているうちに、半日もしたらしぼんできたので中止して、絵の具を買いに。

これまでは、ホルベインやクサカベといった日本のメーカーのチューブ入り透明水彩絵の具(お手ごろ価格)を中心に、ドイツ・イギリスなどヨーロッパの絵の具(高級品は国産の倍以上の金額)をちょっとだけ使ってきました。
先日初めて、携帯用に購入した固形の絵の具を使ったら、なかなか使い心地よかったので、今回は固形の絵の具を少し揃えることに。
固形絵の具だと、紙の上で混色するような描き方になるからでしょうか、チューブよりも発色がよい感じがします。
小さな入れ物に固まった絵の具が入っているのですが、これを「パン」と呼びます。(たぶんフライパンとかソースパンとかの、皿とか入れ物という意味のパンだと思います。違ってたらごめんなさい(^^;)
このパンには、ホールパンとハーフパンというサイズがあり、ハーフパンで15mm×15mm厚さ7mmくらいかな。
奮発してウィンザー・アンド・ニュートンという、水彩絵の具では有名なイギリスのブランドの高級な方(安い初心者向けっていうのものある)のハーフパンを11個購入。
「欲しかったら画材にお金は惜しまない」(お陰で個展貧乏(^^;))をモットーにしてきたつもりだったのですが、これまで紙にばかり気がいってました。高けりゃいいってものでもありませんが、いいものは微妙なところで発色やにじみ方が違うような気がします。
絵の具は水彩を最初に教えてもらった時のままで、これまであんまり自分自身のこだわりを持ってこなかったので、これからは絵の具についても研究してみますメガネ

クレー展

パウル・クレーの展覧会に行って来ました。
場所は、千葉県佐倉市の川村記念美術館。ここは今回初めて訪れたのですが、今から16年前に大日本インキが関連グループと一緒に建てたのだそうです。
少し穂をたれはじめた田圃に囲まれた約30haの広大な敷地の中に、落ち着いた建物と、噴水のある美しい池(白鳥つき(^.^))、散策路で自然と親しむことができる素敵な美術館でした。

「金魚」という作品を生で観られたらいいなぁと思っていたのですが、今回展示作品に入っておらず、ちょっとがっかり。
一通り観終わって、ポストカードなどを物色していたら、「金魚」の絵が目に入りました。そこにあったのは、谷川俊太郎さんの詩とクレーの作品を合わせた「クレーの絵本(講談社)」。その表紙が「黄金の魚=金魚」。
以前、谷川俊太郎さんとご子息の谷川賢作さんのジョイントコンサートに行った際に、購入したお二人のCDのタイトルも「クレーの天使」だったなぁと思って絵本を読むと、谷川さんは若い頃からクレーの作品に触発されて、いくつも詩を書かれているとのこと。
確かに、クレーの作品は詩を感じさせてくれます。

ただ、作品も素敵、美術館もいい感じ、なのに満足度がもひとつ…。理由は、混んでいたからです(-_-;)。人混みはあまり好きじゃないので、暑さもあって、ちょっと人に酔った感じです。
お盆とはいえ、ウィークデーだし…と甘く見てましたが、今週末で展覧会が終わるからでしょうか。とても混雑してました。
以前はパワフルに展覧会を観て回っていた時期もあったのですが、どんな優れた作品も人の肩越しに観るのでは疲れるだけ…。今は、できるだけ人の少ない時間や時期にできるだけ作品と1対1で向き合えるような形で観たいなぁと思っています。
川村記念美術館の庭には、ゴーギャン(花びらがねじれてて原種って感じ)・マティス(巨大なダリアのような感じ)・ゴッホ(一番オーソドックスな感じ)が描いたひまわりが何種も咲きそろっていて面白かったです。今度は人の少なそうな時期に午後半休とって行ってみようかなヒマワリ

えんぴつで書く…

先日、本屋をうろついていたら、大学の時の1年先輩で書道を専攻していた方の本をみつけ、思わず手にとりました。タイトルは「えんぴつで奥の細道(ポプラ社)」。
早速、同期のメーリングリストで書いたら、「実家に帰った際にうちにあった」との報告が。実は先日、出張の帰りに田舎に寄ってきたのですが、うちにもありました(^^;)。
何でも母が行く美容室で教えてもらったそうで、うすく印刷してある奥の細道の文章を鉛筆でなぞる形式のその本が、身近でブームになっているとのことでした。

昨日の朝日新聞にも、「読み手が行動する『読む+α』企画」として紹介されていました。
実際に自分の手で塗る・書くという行為が脳を刺激するとのこと。先日のブログにも書きましたが、キーボードとマウスばかり使っていたので、私も本能的に脳が刺激を欲しがって、再び絵を描き出したのかもしれません(^^;)。

母は「次は徒然草らしい」と新刊を楽しみにしている様子。かなりのリピーターが期待できる企画のようです。
日販売上のトップ10にも入ってるし、悪筆は以前からの悩みだし、遅ればせながら、やっぱり私も買っとこうかなぁウサギ

タイムカプセル

先日、会社の同僚が「いやぁ、つくば博(1985年開催なので21年前)に行った時に友達が書いてくれた手紙が先日届いて、なんか恥ずかしかったよぉ」と言ってました。

そぉかぁ、21年前ねぇ…と思っていたら、つい昨日、私にも21年前の記憶がまるでタイムカプセルからの手紙のように蘇ってきました。
21年前、私が大学を卒業した年です。大学の卒業に際して、私たちは80号以上の絵を2点、自画像、卒業論文の提出が必要でした。
絵の題材は自由でしたので、コスモスを用いながら私が想う「女性」性のようなものを表現し、卒論では古今東西の女性の画家にはどんな人がいて、どんな作品をつくったかを取り上げることにしました。
卒論のテーマをこれにした理由は、授業の中では、作品の善し悪しに男女の別はなかったのに、高校までの美術の授業でも、大学の講義の中にも、ほとんど女性の画家が出てこないことに疑問を持っていたからです。
卒論の前半は、若桑みどりさんの「女流画家列伝(岩波新書)」(*当時はまだ本になってなくて、どこかの機関誌に連載されていた)を参考にさせてもらい、最後は、フェミニズムアートの旗手ジュディ・シカゴにたどりついて締めくくりました。もっと深く掘り下げれば面白いテーマだったのに、「こんな人いました」と並べるだけの実にお粗末な論文でした。ただ、当時の私は自分の女性性や社会や文化における「女性」ってことへの意識が薄かったので、そんなもんかもしれませんが…(^^;)。

21年ぶりにこのことを思い出して、当時、私がもやもやと疑問に思っていたのは、今でいう「ジェンダー(文化的社会的につくられる性差)」に起因するものだ、と気づきました。
外から押しつけられるジェンダーには、「受け入れる」「受け入れない」を反応しやすいのでわかりやすいのですが、一番やっかいなのは、自分の中に深く刷り込まれてしまっているもの。
底の方から自分のふるまいに多大な影響を与えるのに、それがさらにその奥の自分自身「自己(みたいなもの)」とずれてると、しんどい結果を生み出します。
描かなかった約20年の間の自分の行動・体験をジェンダーという観点から振り返ってみようかなと思ってます女の子男の子

ベロ藍

北斎や広重の浮世絵に用いられた「ベロ藍」。
版画の先生から「プルシャンブルー」という色だと教えてもらいました。
一番一般的なのは「藍色」という呼び方でしょうか。ちょっとだけ緑味を帯びた深い青色です。
「地球交響曲」という映画の中で、沖縄の染色家の方が藍を使って布を染めている場面を見たことがあります。
一瞬見えたとても美しい緑色。でも、それは見ているうちに青、いわゆる藍色に変わりました。
空気に触れて酸化することによって、この「藍色」が生まれるのだとか…。
その藍の元になった緑色。消えてしまった、変わってしまったからでしょうか。その美しさはしっかりと記憶に刻まれました。藍を見ると、その奥に隠された緑色のことを思い出しますカエル



















































































































































































































































































































































































































大判!

今回は、どのくらい大きな水彩の作品を描くことができるかというのも、一つのテーマにしています。

最初の個展の時は、静物画の最大は約15号(1号=葉書1枚)ちょっとくらい。(ただし、人物は静物と描き方変えているので、20号くらいのものもありました)
二度目の個展の時は、花や風景の20号弱のものが数点。

先日、9m巻のロールで紙を購入して、ようやく50号弱の大きさにカットし、下描きに入りました。
自分でも不思議だったのですが、大きな紙を前にすると、なんだかワクワクするのです(^^;)。線1本引くのも、腕の振り方が異なり、「なんか全身で描いてる!」という感じが嬉しかったのかもしれません。
一気に今までの倍以上の大きさにしたので、これから絵の具をのせる段階でどうなるかわかりません。新たな試みというのは、かすかな緊張感を伴い、感覚をシャープにすることとパワーを求められます。
卒業制作の油絵で100号描いたときのことを思い出しながら、水彩では80号程度の大きさまで描けるといいなぁ…コスモス

画材(紙)3

先週は、連続出張の週でした。

改造計画開始後、何日も連続して自宅を離れるのは初めてだったので、あぁでもない、こうでもないと思いを巡らせながら、計画を遂行するための準備をしていきました。

今回持参した紙は、短時間で描けるように小さくカットし、紙の種類には、先日ご紹介したアルシュ荒目300gに加えて、イタリアの水彩紙クラシコファブリアーノ荒目300gがありました。
以前から使ってみたい紙だったのですが、アルシュを気に入っていたので、買ったときのまましまってあったのです。今回初めて使ってみて、厚さ300gなのに、水と絵の具の吸収がよくてびっくり w川・o・川w(この顔文字「わぁーお」だそうです)!
とても魅力を感じて、今、クラシコファブリアーノをいろいろと試しているところ。小品の花や静物などを描く際や、スケッチなどで色で1回で決めてしまいたい場合には、この方が向いているような気がします。
ただ、水彩の透明感に加えて重厚感も欲しいときや、何度も重ねて(レイヤーといいます)色を出すときは、アルシュかなぁ。

これから、もっと使い分けて、紙質の違いを味わってみますヒツジ

AmaとPro

「ピカソは偉大なアマチュアだったと思う」と言ったある漫画家の話を聞いて、私は「ピカソと自分を同じ土俵に置くなんざ、たいしたもんだ(-""-;)」とちょっと反発を感じました。

この方は、「お金を払ってくれる人のニーズに応える人=プロ」という考え方からこの発言に及んだようですが、私は何のプロかによって違ってくると思います。
この場合、私が違和感というか反発を感じたのは、漫画家としてのプロと、アーティストとしてのプロという部分は分けて欲しい、というか一緒にしちゃいかんでしょ、というところからきています。漫画には漫画の使命があり、アートにはアートの使命がある。どっちが上か下かという問題ではなく、それが分別ってもんだと思うのですが、どうでしょう?
ボーダーレスの分野もあるとは思いますが、ここで話題になっているのはピカソ。やはりピカソは私の中でキングオブキング、アーティストオブアーティストなのです。


その後、使命の違いとは別に、「アマチュアとプロフェッショナルの違いはなんだろう」との考えが、私の中でエンドレス状態になりました(^^;)。
まず考えられるのが、その行為でお金をもらうかもらわないかの違い。これは非常にシンプルでわかりやすい分け方です。この時、「お金を出す人のニーズを意識して行為するかどうか」というのは、どんなジャンルのプロかによって異なります。
次に考えられるのが、職業としているかどうか。ここでいう職業とは、行為により得た金銭で生活しているかどうか。(職業は複数持つことが可能ですから、メインの職かどうかは問いません)この場合は、「デザイナーのなんとかです」などのように、自分で自分を「こういう職業の人」と定義づけします。
その次に考えられるのが、専門家か専門家でないか。専門家であるかないかは、第三者の判断により決まります。専門家って言葉は、なんだか適切じゃないように感じてますが、要は自分以外の人が「プロ」としての力量を認めるかどうかってことかなぁ…。

私自身を振り返ってみると、「絵ですか。いい趣味をお持ちですね」と言われるとカチンときます。
なぜカチンなのか?要は「あんたアマチュアですね」と言われてるように聞いてしまうからです。
辞書を引くと「アマチュア= 芸術・学問・スポーツなどを、職業ではなく、趣味や余技として行う人。」「趣味=専門としてではなく、楽しみにすること。余技。」(goo国語辞書より)とあります。
「わたしゃプロだから!」と胸を張って言えるほどの自信があるのかというと、また考えてしまいますが、「カチン」があるというのは、単に楽しみでやっているのではなく、もっと生きることの本質に近い部分で行っているつもりだからかもしれません。
私はそんなに強い人間ではないので、絵で食べる状況になると、つい、お金を払ってくれる人のニーズに応えなければいけないような気持ち(私はこれを「媚び」と呼んでます)になるのではないかという恐れがあります。
だから、絵描き1本で生きていくつもりはないのですが、かといって趣味では「カチン」とくる。今のところ、セミプロあたりが一番居心地の良いスタンスかなあし