S49年4月 本当のBOXINGの扉を開いた「ガッツ石松」 | HONDAのブログ

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元々「ヘビー級」「ミドル級」「ライト級」しかなかった

ボクシング 欧米から見たとき「ライト級」以下は ない

に等しい たとえるなら 「大阪の市内の人から見ると 

岸和田以南は みな和歌山」みたいな あつかいの中、初

めて 「ライト級」の世界王者になった「ガッツ石松」

1974年4月11日、東京・日大講堂で、WBC世界ライト級王

座挑戦。ロドルフォ・ゴンザレス(メキシコ)に8回KO勝ち

で王座奪取。ゴンザレス戦績59勝50KO5敗、しかもその前

5年間の敗北は一階級上の名王者アントニオ・セルバンテス

( コロンビア)に喫した1敗のみという王者に対し、ガッツ

の戦績は26勝14KO11敗6分であったため、下馬評はガッツ

は99%勝てない。と言われる程の圧倒的不利の予想であった。

ボクシングだけは「やってみないとわからない」圧倒的な強

さだった ゴンザレスがなぜか 石松の「幻の右」をよける

ことができなかった。

 

 

(石松伝説)

事件は1972年(昭和47年)10月15日夜の事で、WBA

世界ライト級王者ロベルト・デュラン(パナマ)挑戦失敗から

1ヶ月ほど後、チンピラにからまれた弟を助けるため たった

一人で全員KOしたという事件を起こし(この事件の新聞の見出

しは 「石松、場外で8人KO」だった)、 現行犯逮捕された

(後に正当防衛を認められ釈放された)。

その時の事情聴取で石松選手は、「チャンピオンは“いついかな

る時でも誰の挑戦でも受けなければならない”と賞状に書いてある」

と言い訳したという記録もある。よって、JBCはこの文面を

以後使わなくなったとか。ホントですかねェ。(~~)