巨人のV9を達成させた 星野仙一 | HONDAのブログ

HONDAのブログ

ブログの説明を入力します。

先日亡くなった 星野さん 打倒巨人に燃えた野球人生でした。 

S49年に巨人のV10 を阻止したのは有名な話ですが  

S48年 の巨人のV9を達成させたのも星野さんとというお

もしろい話1972年から監督に昇格した与那嶺要と星野 は、

もともと気が合ったという。
当時の中日監督「ウォーリー与那嶺は(選手生活)晩年に巨人

から追い出されたということもあって(ドラゴンズ移籍)、

巨人に対する反抗心、打倒巨人という意識が強烈で、そういう

意味でも星野とぴったり気が合いました。

アメリカナイズと浪花節がうまく混合したというか、選手の性

格をよく見ていました。あまり叱ってはいけない選手、うまく

褒めてやらんといかん選手。

そういうところをきちんと見ていた」

...

星野自身も「うまくのっけられたというか、意気に感じて投げ

た。おだてられたら木にも登るタイプだった」

それまでは先発、リリーフ併用だったのが、72年(S47)はほぼ

抑え専門で9勝8敗、防御率2.00をマーク。手ごたえもあった

シーズンだが、契約更改はもめた。球団は9勝の成績から100

万円アップを提示したのに対し、「セーブポイントの17も

考慮してくれ」と星野が主張。セーブ制度がまだなかった時代

だ。結果的には「セーブは0.5勝相当と評価する」となり、

210万円アップの680万円になった。入団4年目が終わり、

通算登板173試合、いまなら「0」が1つ多くて不思議ではない。
44試合に投げた73年(S48)は本人の希望もあるのか、ふたたび

先発が増えた。先発15試合(完投7)、リリーフも29試合。

フォークボールを習得したことで投球の幅が広がり、16勝11敗

の成績を残している。 この年は巨人がV9を達成したシーズン

だが、王者巨人にも衰えが見られ、阪神、中日らを交えた大激

戦となった。そして、ある意味、巨人V9を達成させたのが星野

とも言える。S48年10月20日、阪神との最終戦(中日球場)だ。

星野はこの試合に先発勝利。「調子はよくなかったのに、相手

が甘い球を見逃してばかり」と振り返った。表情はさえず、

「本当は、中日が優勝できないとしても、巨人のV9をなんとし

ても阻みたかった。」「田淵に真ん中にストレート投げている

のに 空振りしよる」そんなこんなで「阪神をストップさせちゃ

った」とも。阪神はこの試合に勝てば優勝だったが、敗れたた

め、22日、巨人との直接対決にVの行方は持ち越され、

阪神は0対9と惨敗。巨人は前人未踏のV9を達成してしまた。
私はこのとき 高専の4年生 阪神X巨人の世紀の一戦を 

図書館の白黒TVで観ていた記憶がある、田辺出身の 阪神

上田次朗投手がメッタ打ちされるたびに 図書館内に怒号が飛

び交っていたのは昨日のようです。