◆伊藤整『改訂 文学入門』講談社文芸文庫、2004年12月

『小説の方法』のしばらく後に書かれた本。伊藤は『文学入門』に続いて『小説の認識』を出している。

『小説の方法』はかなり面白い本だったので、続けてこの『文学入門』も読んでみることにした。『小説の方法』はやや難解な本であったが、『文学入門』は『小説の方法』の解説に位置するような本で、非常に読みやすい。具体的に文学作品を分析しながら論じているのが功を奏している。『文学入門』のほうが、伊藤整が何を考えようとしているのかが理解できるので、こちらを先に読むといいのかもしれない。

《ある社会をいかに見るか、ということは、その作品の内容に思想として現れるだけでなく、その文体にも現れるのである。(p.118)》

こうして文体と社会の関係を論じるところは、見逃せない。伊藤整は、しばしば音楽を引き合いに出すことがあるが、こうしたところもバフチンに似ている。

批評家、理論家としての伊藤整は再評価されるべきだなと思う。

伊藤 整
改訂 文学入門

◆伊藤整『小説の方法』岩波文庫、2006年6月

日本の小説について、特に私小説について、伊藤整がそれがいったい何なのか、西洋の小説との比較を通して解明しようとする。もとになった文章は、戦後すぐの1947年から48年にかけて発表されている。そして1948年に出版されている。そのわりには、今読んでも非常に新鮮な内容。最近の文芸批評となんら遜色がない。というか、現在の批評家よりも、はるかに高いレベルで、小説について思考を巡らせている。

本書には、亀井秀雄氏の解説がついている。この解説がよい。伊藤整の理論をバフチンの理論と比較して、その画期性について教えてくれる。この解説も必読すべき。

伊藤 整
小説の方法

◆中村光夫『日本の近代小説』岩波新書、1954年9月

文学史に興味がある。文学の歴史に興味があるのはもちろんのこと、文学の歴史がどのように語られてきたのかにも興味がある。

本書の「あとがき」を読んでいて面白かったのは、「今日の小説の停滞と混乱は、現代日本人の心理をそのまま反映したものといえます」(p.208)と述べている箇所だ。本書は、基本的に小説は社会の「鏡」として捉えているが、そのことの是非よりも、中村光夫が、「今日の小説」は「停滞と混乱」しているとみなしている点に私は興味が引かれる。1954年の時点でも、すでに小説は「停滞」していたのかと。

以前、川西政明の『小説の終焉』を読んだが、そこでは「小説はどうやら終焉の場所まで歩いてきてしまったらしい」と述べられていたが、となるともしかして日本の小説は戦後すぐに停滞がはじまり、以後過去の小説を凌駕するような小説を生み出せず、五十年後にとうとう終焉してしまったということになるだろうか。

おそらくこれは文学の歴史の語り方の一つなのだろう。文学の歴史を語る際、評論家は「今」の小説を否定的に捉えてしまう傾向があるのだろう。逆に、「今」の小説を讃美する評論家は、歴史を軽視する傾向がある。どちらにも一長一短がある。

中村 光夫
日本の近代小説 改版

◆山口仲美『日本語の歴史』岩波新書、2006年5月

奈良時代から明治期までの日本語の歴史を概観する。非常に面白い本。日本語が、これまでどのような変化を辿ってきたのか、よく理解できる。

日本語で、文の構造を明確にする動きが現れたのが鎌倉から室町時代にかけてだそうだ。古典の文法で係り結びを習ったが、この係り結びが衰弱していくのがちょうどこの頃。それにしたがって、たとえば主語を示す「が」が発達し、また論理構造を示す接続詞が現れてきたという。そもそも、係助詞は「主語であるとか、目的語であるとかいう、文の構造上の役割を明確にしない文中でこそ、活躍できるもの」なのである。したがって、係り結びの消滅と文の論理構造の明確化は深い関係があったのだ。

《 係り結びの消滅は、日本語の構造の根幹にかかわる重要な出来事です。日本人が情緒的な思考から脱皮し、論理的思考をとるようになったということなのですから。(p.120)》

高校生の頃、係り結びを「覚えるのが面倒なものだな」としか思っていなかったが、日本語の歴史において重要なものだったのだ。

山口 仲美
日本語の歴史

◆相原茂、木村英樹、杉村博文、中川正文『新版 中国語入門Q&A101』大修館書店、2003年3月

これは読みやすく、分かりやすい本。初心者の私にはちょうど良い。

語学の勉強は、たいていはじめのころは楽しい。新しい言葉を覚えて、少しずつ理解していっているのが分かるから。というわけで、今、中国語の仕組みがだんだん分かるにつれて、中国語が面白くなってきた。

しかし、これが半年とか一年すぎると、飽きてきたり、理解できないことが増えたりして、勉強をやめてしまうことが多い。今回はそうならないようにしなくては。

相原 茂, 杉村 博文, 木村 英樹, 中川 正之
中国語入門Q&A101

◆相原茂『謎解き中国語文法』講談社現代新書、1997年2月

中国語の勉強を始めたばかりの私には、やや難しい本だった。残念。しかし、非常に良い本だと思う。一年ぐらい勉強を続けて、その時にもう一度読み直したら少しは理解できるかもしれない。がんばって勉強を続けよう。

相原 茂
謎解き 中国語文法

◆中山元『高校生のための評論文キーワード100』ちくま新書、2005年6月

発売されてすぐに購入して、それから少しずつ読み続けてようやく読み終わった。「高校生のための」とあるが、もちろん大学生(1年生か2年生)が読んでも十分役に立つ内容。最近の思想関係の文章を読む際に必要な基本用語は、この本で知ることができる。特に可もなく不可もなしといったところか。

中山 元
高校生のための評論文キーワード100

◆石原千秋『『こころ』大人になれなかった先生』みすず書房、2005年7月

テクストの「ほころび」を読み解く。大人になれない、子どものままでいた「先生」の物語と、その一方で「先生」を越えて大人になる青年の物語がある。さらに、先生の奥さんである「静」からみれば、「大人ごっこをしている子供たちの物語」(p.148)だと指摘している。『こころ』というテクストは、一筋縄では行かない構造を持っている。

石原 千秋
『こころ』大人になれなかった先生

◆小林信彦『うらなり』文藝春秋、2006年6月

この本に関しては、『文學界』2006年8月号にある石原千秋の書評が参考になる。

「うらなり」は、夏目漱石の代表作『坊っちゃん』に出てくる人物のひとり。英語の先生で古賀という「大変顔色の悪い男」のことだ。小林信彦は、この人物の視点から『坊っちゃん』を語り直している。これが非常に面白い。

この小説は、古賀が数学の教師であった堀田(=山嵐)と再会するところから始まる。そこから、古賀が当時のこと(つまり『坊っちゃん』で語られる出来事)を振り返り、さらには古賀のその後の人生をも語られることになる。

古賀いや「うらなり」は、漱石の『坊っちゃん』では可哀想なキャラクターなのかもしれないが、まあまあそれなりの人生を送ったようだ。それにしても、可哀想なのは、古賀や堀田から「あいつ」とか「五分刈り」とか呼ばれるが、その名前を忘れられてしまった<男>だと思う。仮にも短い期間だったとはいえ、同僚だったのに、名前を覚えておいてもらえない<男>。四国の中学校へ来て、学校内の騒動に巻き込まれ東京へ戻っていってしまった<男>。彼は揶揄的に<坊っちゃん>と言われたわけであるが。

小林 信彦
うらなり

◆小谷野敦『谷崎潤一郎伝――堂々たる人生』中央公論社、2006年6月

小谷野氏による非常に緻密な内容の伝記。何年何月何日に何をしたかということをひたすら追いかけていく。谷崎ファンにはたまらない一冊。

それにしても、谷崎の人生も興味深いものだったが、本書における小谷野氏の論述の仕方も興味深い。ただ、谷崎に相当興味を持った人でないと最後まで読み通すのは難しいかもしれない。ほんとうに細かい情報まで、びっしりと書き込まれた希有な伝記である。

小谷野 敦
谷崎潤一郎伝―堂々たる人生