◆『世界は村上春樹をどう読むか』文藝春秋、2006年10月

今年はとにかく村上春樹が非常に注目された年であった。本書は、3月に行われた村上春樹をめぐるシンポジウムとワークショップの記録である。

世 界各国で翻訳され、また多くの熱狂的な読者を持つ、日本の作家としては希有な存在である村上春樹。なぜ、世界で村上春樹の作品が受け入れられるのか。村上 春樹というと、こうした問いが常につきまとう。今回は、こうした問いをめぐって、村上春樹の作品の翻訳者たちが議論をした。文学の研究者あるいは批評家と はまた違った観点からの議論が、とても新鮮だった。言語によって翻訳のする際の難しさは異なってくるのだが、それが言語の問題なのか、文化の問題なのか、 それとも村上春樹という作家性の問題なのか、非常に奥の深い問題が浮かび上がってくる。そういった点で、たとえば「夜のくもざる」という短編の翻訳につい て議論されたワークショップは、読んでいて非常に刺激を受ける内容だった。村上春樹の面白さを再発見することになった。

ただ、四方田犬彦だけが他の参加者とは若干温度差があって、それに違和感を覚えた。このあたりは、内田樹がよく言うように、日本の文学者・批評家(若い人はのぞく)がどうして村上春樹を避けるのかといった問題と絡んでくるのだろう。

柴田 元幸, 藤井 省三, 沼野 充義, 四方田 犬彦, 国際交流基金
世界は村上春樹をどう読むか

◆丸川哲史『日中一〇〇年史 二つの近代を問い直す』光文社新書、2006年1月

日・中・台の三国の近代について、知識人 を通して再考する。著者は本書で「悩む能力」をキーワードにして、知識人たちの「悩み」とその苦しみを追体験するように書く。本書で取り上げられている知 識人は、たとえば魯迅であり毛沢東であり、竹内好であり、丸山真男、尾崎秀実などだ。中国側の日本観、日本側の中国観がよくわかる内容となっているて、東 アジアの関係を考える上で参考になる本である。

知識人を通じて、歴史とくに「近代」の「歴史」を見つめ直す仕事は大切だ。とはいえ、歴史は知識人だけのものではないので、次に必要なのはもちろん民衆というか庶民の「悩み」であろう。庶民の「悩み」がいかなるものであったかという研究も知りたい。

日・中・台、知識人と庶民等々、線の引き方によって、「近代」あるいは「歴史」の姿は変わっていく。この複雑に入り組んだ問題を、ねばり強く考える、つまり著者の言う「悩む能力」がますます重要になってくるのだろう。

丸川 哲史
日中一00年史 二つの近代を問い直す

◆酒井邦嘉『言語の脳科学 脳はどのようにことばを生みだすか』中公新書、2002年7月

おもしろい。文系、理系の枠を越えたいわゆる学際的な研究テーマ。人間が言語をどうやって獲得するのか。興味深い問題である。

本 書は、「言語がサイエンスの対象であることを明らかにしたい」と冒頭で宣言される。著者曰く、「言語に規則があるのは、人間が規則的に言語を作ったためで はなく、言語が自然法則に従っているため」だ。チョムスキーは「人間に特有な言語能力は、脳の生得的な性質に由来する」と半世紀にわたって唱え続けている という。この生得説を脳科学が実証しようではないか、というわけなのだ。

まだまだ、言語の脳科学は始まったばかり。本書では、さまざまな言語の脳科学の研究が紹介されているが、依然として多くの未解決な問題が残っていそうだ。未知の問題が残っている研究分野を知るとわくわくする。この先、どんな展開をするのか楽しみだ。

本 書の「おわりに」のなかで、著者は「文系だから、逸話的な記述に専念して、科学的な厳密性や再現性を欠いていてもよいということにはならない。また、文系 の研究者が、脳機能の計測法などの科学的手段を用いてはならないという不文律もない。それにもかかわらず、研究費や研究スペース、研究スタッフの数といっ た研究の必要条件のすべてが、文系の研究室には不足している」(p.326-327)と記している。まったくそのとおりだと思う。文系だからといって、文 献だけに閉じこもってはいけないなあと。科学的な研究手段も身につけるべきだし、教育していく必要もあるのだろう。

酒井 邦嘉
言語の脳科学―脳はどのようにことばを生みだすか

◆橋本治『これで古典がよくわかる』ちくま文庫、2001年12月

これは名著。すばらしい。古典のどこに魅力があるのかを教えてくれる。古典は必要ないから、どうでもいいかなと思う前に、一度この本を読んでみるといいのかもしれない。

古 典の何がわかりにくいのかを指摘しているところに好感を持つ。現代に生きる私が、どうして数百年前の日本語の文章が読みにくいのか。日本語の文章の歴史を 丁寧にそしておもしろく説明している。この説明の仕方とか、橋本流の古典の読み方など、非常に参考になる。これはもう一流の芸だ。この本は私の座右の書に したい。

橋本 治
これで古典がよくわかる

◆太田光・中沢新一『憲法九条を世界遺産に』集英社新書、2006年8月

日本の歴史や社会・経済などを学生に教える授業をしているので、何かネタはないかと読んでみたが、期待はずれ。笑いについて語っているのに、笑えないのはたしかに芸がない。

愛 には毒がある、といったことが語られているけれど、本書自体には毒がないのだ。口当たりのよい言葉が続く。憲法九条を世界遺産にと言いつつも、そう唱える 自分も疑わないととか、日本国憲法は矛盾しているから良いのだといった、ポストモダン的な考え方が目立つ。いかにも現代思想で語られていそうな言説を薄め たといった印象だ。こういう考え方を否定する気はないのだが、目新しさがないのが不満。このあたりの考えで止まってしまうのが中沢新一の限界なのか。

正義を唱える自分自身を疑う、二項対立ですっきり分けるのではなく矛盾を矛盾のままに受け止める、などといった言説は当然すぎて、それよりむしろ、これらを踏まえた上でどう考えるのかといった一歩先の思想が、そろそろ登場してきてもいいのになあと思う。

太田 光, 中沢 新一
憲法九条を世界遺産に

◆加藤陽子『戦争の日本近現代史 征韓論から太平洋戦争まで』講談社現代新書、2002年3月

本書のねらいは冒頭部で明確に次のように述べられている。

 為政者や国民が、いかなる歴史的経緯と論理の筋道によって、「だから戦争にうったえなければならない」、あるいは、「だから戦争はやむをえない」という感覚までをも、もつようになったのか、そういった国民の視角や観点や感覚をかたちづくった論理とは何なのか、という切り口から、日本の近代を振り返ってみようというのが、本書(講義)の主題となります。(p.9)

冒頭でフーコーに触れているが、要するに、戦争に関する言説分析といったところだ。方法はなかなかおもしろくて、興味深いものだった。ただ、ちょっと内容が難しくてよく理解できなかった。

加藤 陽子
戦争の日本近現代史―東大式レッスン!征韓論から太平洋戦争まで

◆市川伸一『勉強法が変わる本』岩波ジュニア新書、2000年6月

最近は、岩波ジュニア新書をよく読んでいる。岩波ジュニ ア新書は、高校生向けに書かれてあるので、難解な内容をやさしく説明しているが、これがけっこう参考なる。私は説明が下手で、特に難解な内容をわかりやす く学生に説明するのに、毎日苦労している。知識を共有していない、あるいは共有している部分が少ない人々を相手に授業するのは、本当に難しい。ゲームの規 則を共有しない「他者」と向かい合っているというわけだ。「他者」をいかにして説得するのか。

それはともかく、本書は勉強法について、認知心理学からアプローチしている。人間の記憶がどのように行われているのか、理解するとはどういうことなのか。記憶や理解など、人間の心のメカニズムをもとに勉強法を説いていく。

この本で述べられている方法のいくつかは、普段自分でもやっていたので、自分の勉強法は間違っていなかったのかと確認できて安心した。

市川 伸一
勉強法が変わる本―心理学からのアドバイス

◆池田輝政、戸田山和久、近田政博、中井 俊樹『成長するティップス先生―授業デザインのための秘訣集』玉川大学出版部、2001年4月

最 近は、授業法に関して書かれているサイトや本を手当たり次第読んでいる。ひたすら授業法についての勉強の日々。どういう授業をしようかと考えるのは、難し いことでもあるが楽しいことでもある。とはいえ、毎回、授業が終わる度に「また失敗してしまった…」と落ち込んでいるのであるが。

この本や、ティップス先生の授業日誌の部分がおもしろい。「こういう失敗したなあ」と思い当たる節があったりして、ズキズキと胸が痛む。

池田 輝政, 戸田山 和久, 近田 政博, 中井 俊樹
成長するティップス先生―授業デザインのための秘訣集

◆網野善彦『日本中世に何が起きたか 都市と宗教と「資本主義」』洋泉社MC新書

この洋泉社のモダンクラシックス新書は、新書にしては値段が高い。なぜだろう。この本も1500円する。新書で1000円を超えると、良い本でも買うのにためらってしまうだろう。他にも読んでみたい本があるのだが、もうちょっと値段が安ければ買うのにと思う。

本書は、網野史学のエッセンスがわりとよく理解できる。たとえば、『日本の歴史をよみなおす』あたりを一緒に読むと、網野善彦の方法論というか歴史の考え方を把握することができそう。

もう一つおもしろかったのは、保立道久氏の解説だ。この解説が熱い。網野史学をなんとしても超えてやろうという強い意志と、しかし同時に網野史学に対する尊敬の念の両方が記されていて、読んでいて感動してしまう。学問を通じた人とのつながりっていいなあと改めて感じた。


網野 善彦
日本中世に何が起きたか―都市と宗教と「資本主義」


◆石原千秋『学生と読む『三四郎』』新潮社、2006年3月

授業の仕方の参考にするために読んでみた。この本に書かれてあ る石原千秋の講義は、とても厳しいけど、学生はきちんと付いていけば、それに見合った成果が出そう。やる気のある学生にとっては、こういう講義はおもしろ いだろうなと思う。授業にはポリシーというか一種の哲学が必要なのだということを知る。日本の大学がどのような状況にあるのか知ることもできる。

はたして、私自身はどうなのか。学生をどのような方向へ導いたらよいのか悩む。授業を受け持つ以上、学生が成長する姿を見たいとは思う。

石原 千秋
学生と読む『三四郎』