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教育改革はだれに必要か?

仕事が忙しく、久しぶりの更新ですが、(言い訳です)


巷で話題の教育改革と言うのは誰に必要か考えてみる。

一般的には小・中・高校生ということになるが、教育改革では家庭にも教育が必要という方向のようだ。


確かに、勝手な親はいるだろうが、家庭を巻き込むって、どうやってやるのだろうか?


隣組でも復活させて常時監視の下、家庭に行政が介入する?


まあ、それはいいとして、体罰の容認もされるようだ。


体罰は”愛”や”信頼関係”があればいいという意見があるがどうだろう。


だれがその愛、信頼関係を確認するの?

それは暴力を振るう側が勝手に思っていることじゃないの?

愛や信頼関係があればいいのなら、家庭内暴力、DVもOKになりますかね?

それに暴力を振るうと言うことは、最悪の場合、暴力を受けた人間が死ぬと言うことも考えないといけない。

たとえ、適度な暴力と言うものがあるとしても武道の達人でもない限り個人個人の耐久力を勘案して殴る、

蹴るということはできないと思うのだが・・・

(それとも教師を全員武道の有段者にでもする?それでも危険だとおもうけど)


よく、子供は身近な人の行いをみて育つと言うけど、体罰がOKということになれば、「愛があれば暴力はい

いんだ」と考えるようになってもおかしくないと思うが、それも教育の効果だということか。


あと、教育バウチャー制と言うものも導入するようだ。


親に児童の行く学校を選んでもらい、多くの親に選ばれた学校には予算を増やし、逆に選ばれなかった学校

は予算を減らし、最悪の場合つぶすと言うものだ。


一見よさそうな制度だが、貧困に苦しむ人や田舎の人間には過酷な制度だ。

多くの親が選ぶのは児童の学力が高い学校だが、そんな学校と言うのは金持ちの児童が多い。


なぜなら、教育と言うのはお金をかければかけるほど、高い水準になるからだ。

塾や家庭教師にお金をかけられる家庭の子供の成績は高いものになる。


(お金を湯水のごとく教育に使っても東京大学にいけなかったボンボンがいるがあれは例外だ。)


そんな金持ちばかりの学校に予算を多く使い、逆にお金が無く塾にいけず、遠くの学校にも行くことができない

子供の教育の質はどんどん落ちていく。


まさにすばらしき、格差の固定化!!


こんなすばらしい教育改革だが、

教育を語っている人たちが、教育の素人たちで、教え子を嫁にする元ヤンキーがいたりして、その元締めが

私立のエスカレーターで大学まで行って親のコネで大企業に就職しちゃったボンボンだから笑える。


しかも、自分たちの発言に自信がもてないからって会議を非公開にして、国民的議論を呼びかけるこの滑稽さ。


笑ってしまう。


ボランティア活動の必修化だとかいう矛盾満載の言質を吐いてしまうその教育レベルこそ改革すべきだろう。


すくなくとも、こんな人たちに日本の教育を”改革”してほしくはない。

人を殺すこと

先日、クリスマスの12月25日に死刑が執行された。


私は死刑という制度に反対だ。

反対する理由は二つ。


1.裁判の結果が本当に正しいとは限らない

 (冤罪の可能性)

2.国家が人を殺すことへの違和感


詳細は以下の通り


1.裁判の結果が本当に正しいとは限らない

 (冤罪の可能性)

まず、裁判の結果が被告に有罪を言い渡し、死刑が言い渡されたとしても、本当に

死刑に相当する罪を犯しているかわからない。


とくに、日本では裁判において自白が大きな比重を占めている。

密室で警察官とマンツーマンでずっとプレッシャーをかけられたら、「自分がやりま

した」という”自白”をしてしまうという事があると思う。


これを解消するためには、このような状況での弁護士立会いやビデオでの撮影が

考えられるが、全くそんな話が出てこない。


2.国家が人を殺すことへの違和感


次の理由だが、死刑が執行される理由というのは殺人を犯した者への”報復”が

大きい。

ハムラビ法典で言う「目には目を」だ。

(抑止効果を言う人がいるが、本当に抑止効果があるかどうかは疑わしいと思う。)


よく、自分ではできないから国家に代理してもらって”殺人者”に報復するという

意見があるが、国家を運営し、監視し、責任を持つのは国民では無いのか?

(少し乱暴だが、今の国家の状況には国民にも責任があると思う。)


回りまわって国家がやっていることは私を含む国民にも責任がある。

少なくとも自分と国家との関係を断ち切って考えることはできないと思う。


上記のハムラビ法典では「目には目を」とある。

では、犯罪者を殺した国家の責任者たる国民はどんな罪を背負うか?


     {友達(死刑には反対ではない)と死刑について話したとき

       「小指くらい差し出さなきゃいけないかもね」

       なんて、言われてハっとした)


人の命は地球よりも重い と言った政治家がいたが、これとハムラビ法典をかけ

合わせたら、僕たちはどうなってしまうのだろう。


(思うに任せて書いてしまった・・・)



教育改革

会話が満足にできず、今年の1文字と言われて、

「責任」と二文字で返してしまう人がトップを張っている国民の皆様、お元気でしょうか?


100万円で億単位の損失の「責任を取ったつもりのトップをどう思いますか?

公務員の責任の取り方らしいですが、首相も一応公務員(?)


それにしても、給料の三か月分が100万円とはずいぶん安い。


三世議員のボンボンにとっては「はした金」でしょう。


これで、責任を取ったと本人が思っている素振りを見せているのが、ある意味すごい。


野党議員に「お金で済まそうとしている」と突っ込まれると、逆切れする首相。

滑稽です。


教育が必要なのは そんな首相 の方ではないか?


これも戦後レジームでの公教育の弊害かと思ったら、安倍ちゃんは私学出身。


なるほど私立の学校と言うのはユニークな人材を育てるなあ。


(安倍ちゃんは日本を愛しているのに、やたらに英語を使いたがるレジームとかなんとか・・・

 欧米か!! いやいや使いたかっただけです。)



それにしても、色々なことで安倍ちゃんが叩かれている今日この頃。

そろそろ北朝鮮関係のビックニュースが飛び込んでくるのではないかと思う。


予想では

・核実験

・新たな拉致被害者判明というなんだかなあというもの

・朝鮮総連に対する弾圧的な検挙

etc


みなさんもそろそろおこる北朝鮮関係のニュースの予測をしてみてはどうでしょうか?

ガソリンで給食を

久しぶりに更新だけど、完全に思いつきで書いてみようと思う。


ガソリン税(自動車重量税もあるが、ガソリン税は道路特定財源の八割だから、これだけに絞る)

の一般財源化が結構話題になっている。


ガソリン税を一般の財源に組み入れ、道路だけではなく様々なものに使おうと言うものだ。

(まあ、多分骨抜きになるけど)


そして、一方で給食費を払わない(払えない?)親が批判の矢面に立っている。

本当にお金があるのに払わない親ばかりなのか疑問があり、大部分は払えない親なのではないかと思っている。


この二つをくっつけて、ガソリン税を使って、給食の費用をまかなおうと言う案を思いついた。


たとえ払いたくない親の子供でも、払えない親の子供でも給食費を払わなくていい。


学校には一定の年齢になったら誰でも行かなくてはならない。

  ↓

強制的に”給食費”を徴収される。

  ↓

貧乏な家庭は払うことができない。

  ↓

「食い逃げ」「ただ食い」などといじめられる


なんてこともあるかな・・・


それだったら、給食費を税金でまかなって、こどもに食事を提供してもいいのではないだろうか。

ついでに、貧しい老人や家庭にも配ってもいいかも。一気に沢山作ればコストも下がるし


学校が家庭から強制的にお金をとるというのはどうかな・・・

ついでに修学旅行というのもやめていいとおもう。

ただし、税金を使っても言いというのなら、その価値あるということでやればいいと思う。


とにかく、何がいいたいかというと、弱い人のことを考えてその人たちを助けるような”国”になってほしい。


良くわからない「美しい国」よりも、弱い人に「やさしい国」になってほしい。

(やさしい国というのは早朝のラジオのDJが言っていて、いい言葉だと思ったので、使わせてもらいました。)


改正狂騒曲

教育基本法の改”正”案が衆院を通過した。


教育基本法を変えれば、自殺がなくなり、学校が荒れなくなるとでも言うような論調が政府要人などから聞こえてくる。


自民党の改正案ではやたらに伝統自律愛国心ということが言われている。


伝統を守るならみんなで伝統的な着物を着て学校に通いますか・・・

というのは冗談だけれど、伝統を大切にするって具体的に何をすればいいのかわからないし、そんなことを教育しなくても守りたい人だけが守ればいい。

そんなにいいものだったら、守る人も多いでしょう。

みんながみんな伝統的なものを好きなわけじゃないんだし・・・


自律というのは、政治家にこそ肝に銘じてほしいものだ。

贈収賄をしてみたり、やらせで世論を誘導しようとしたり(ばれてるけど)、自分の思っていることと違うことを放送されそうになったらテレビ局に圧力をかけたり・・・・


愛”国”心と言うけれど、自然に湧き出てくると言いつつ強制するというのはどうだろう。

しかも、国=政府というような考えをしているとしか思えない。


いろんなところで書かれているが、NHKの「クローズアップ現代」で”愛国心ってなんですか?”という放送をしていた。

(興味のあるひとは検索してみてください。)

私も見たが、まああんまりいい内容ではなかった。


番組の表題にもなっているが、”愛国心”ってなんでしょうかね?

当然のように湧き出てくると言うことだけど、湧き出てこないひとがここにいる。

これも戦後教育のなせる業なのか・・・

教育によって押し付けてでも、身につけさせなくてはならない人間にとって必須のものだろうか?


とまあ、思うところを思うままに書いたので、ぐちゃぐちゃな文になっちゃいました。


これも私が受けてきた教育が悪いせいです。

教育基本法が改正されたら、立派な文章を書く子供が育てられるでしょうから、それまで我慢してください。


教育改革

教育改革と言う名の、戦前回帰が近年話題になっている。


日本の教育にかける費用は現在でもかなり低いレベルと言うことは皆さん知っていると思うが、

(対GDP比で比較した公教育の支出額が日本は4.1%アメリカが4.9%デンマークは8.4% 出所OECD 

 橘木俊詔 格差社会 より)


教育にお金をかけなければ、学校がよくなることは無いだろう。


私も大学にいたときには友達が学費をためるために苦労していたことを知っている。

(ちなみに出身は国立大学


まあ、それはいいとして、

教育改革が進むと、学校を生徒の親が選ぶことができるようになり、成績のいい学校は予算を多くもらえ、

逆に成績の悪い学校は廃校となるらしい。


学校を選ぶと言っても、遠くの学校まで子供を連れて行けるのは結構限られると思う。


まあ、それもいいとして・・・


この”改革”が進んだら、学校の職員はどんな対応を取るだろうか?

(ちなみにだめな教員は辞めさせられるということなので、”国を愛せない思想的に問題がある”とみなされた教員だけではなく、”生徒の成績の悪い”教員も辞めさせられるだろう。)


先生が必死に生徒に勉強を教えるだろう。


短期的に成績を上げる方法は簡単。

詰め込み教育をやり、スパルタ式の教育をして、生徒にも必死になってもらうのだ。

生徒にも成績、偏差値で競争してもらう。

生徒に必死になってもらうため、ペナルティーと言う名の体罰が続発するだろう。


ただでさえこの国の大人は体罰という名の暴力を容認するから。


生徒もどんどん追い詰められていくだろう。

ギスギスした雰囲気で、学校生活をおくり、勉強ができないということで絶望してしまうだろう。


せめて、小学校だけでもそんな競争社会ではなくのびのびと教育を受けてほしい。

そんな小さなうちから、優勝劣敗でやってきた人間が他人に優しくできるのか?


とくに”エリート”といわれる勝ち続けてきた人間が、他人に優しくなくなるのではないかと心配だ。




愛国心(備忘録)

あるホームページ で宮台真司がこんなことを言っている。


以前、当時文部大臣を務めていた閣僚と会ったときに、その人物が愛国心の義務化を吠えているわけですね。私は、「義務化しようがしまいが、どうでもよろしい」と申し上げて、しかし、「義務化したとしたら、それは大変うれしいことだ。なにゆえならば、基本的に愛国とは、近代国家の法を守る上では、抵抗権、あるいは革命権を意味する。もし、国民を屠る国家があれば、あるいは官僚や政治家がいれば、それを倒す、これを撃ち殺す。これこそが、愛国心だと教えられます。戦後初めて、二・二六事件の青年将校の蜂起を正当なものとして教えることができます。国民を屠る政治家を撃ち殺せ。そういうことを教えることが公教育で可能になるということは大変すばらしいことです」と申し上げたら、絶句して、二の句が一言もつけないでいました(笑)。


権力を握っている政治家が、愛国心と言うとき、国が=「政府」となっていおり、国を愛すると言うのが政府(お上)を愛するということを意味していると思える。


本当の愛国心とは、国民と国土のためなるように冷徹な計算によって功利を勘案し、行動することだと思う。


決して、政府の言ったことを鵜呑みにするイエスマンとなることではない。


そういえば、偉大なるイエスマンが政府の重要ポストにいたが、彼が愛国者とはいえないだろう。


しかし、宮台の言うよう”な愛国心”を義務化したら、日本の政治家の何割が生き残ることができるだろうか・・・

核核云々

お久しぶりです。

この頃、猛烈サラリーマンしているので、なかなか更新することができなかったです。


それにしても、唯一の被爆国たる日本の政治家は核が大好きなようで、しきりに「持ちたい持ちたい

とアピールしているようです。


核を持てば、安晋(あ、まちがえましたこの安晋については色々と興味深いことがあるが・・)などと言うのは幻想で、むしろ核をなくしていこうとアピールすることこそ、日本の役割だと思う。


こういうと、現実的じゃない!! 北朝鮮がミサイルを打ってきたらどうするんだ!!とかいうことを言う人がいる。


北朝鮮に対する抑止力として核ミサイルが有効という意見だが、大体追い詰められた北朝鮮がその抑止力にひるむのだろうか?

と思ってしまう。


窮鼠猫を噛むという気概でやってくるのだから、抑止力になるのかな?


それに、核ミサイルを持つことによるアジアでの緊張の上昇と日本のイメージの低下などを考慮したら、持たないで平和を愛する国としてアピールしたほうがはるかにプラスになる。


大体、日本海側にあんなに沢山の原発があるのに、国防なんてできるとは思えない。


一つの原発でテロがあれば、日本の半分以上は死の土地となる可能性があるのだから

権力のお犬さま

最近純ちゃんや晋ちゃんヨイショ番組が多すぎないかな?


日本テレビ (9/18)

「小泉純一郎を知っているか?小泉劇場の裏5つの謎が明らかに…次の総理も緊急生討論自民党をぶち壊した男政治が絶対面白くなる史上初!現役総理大臣2000日完全ドラマ化」


テレビ朝日 (9/23)

特報スクープ決定版!安倍晋三が号泣した日 妻と母が独占初告白…新総裁“お宅拝見


いくら総裁選が盛り上がらなくって、晋ちゃんの人気がそれほどでもないからって、これは無いんじゃない。


いくら政府に首根っこを握られてるからって、こんなに露骨に尻尾を振らなきゃいけないの?

そんなんじゃ、テレビ局が政府の犬ってことがばれちゃいますよ。

(といっても、徳川綱吉時代のお犬様みたいなものだけど)


でも、こんなに個人をもち上げる国は晋ちゃんの大好きな北朝鮮くらいじゃないかな。


安倍ちゃんの目指す「美しい国」は北朝鮮に近いような気がしていたのだけれど、

(国には絶対の忠誠を誓わなくてはいけないとか、軍隊が大好きなところとか)

こういうテレビ番組作りは「美しい国」運動の一環ですかね。


というか、死亡でもしない限り政治家を取り上げたこのような番組があった?

死亡してもこんなにヨイショすることって無い気がする。


たしかテレビでは(選挙の時だけだと思うけど)、ある政党を特別持ち上げてはいけなかったと思う。


そこで、提案。

こんな番組を作って政党間の格差を無くそう!!

題名は


「豪腕小澤物語」 豪腕はこうして生まれる


小澤一郎の幼少時代から、浪人時代、自民党、自由党のときの豪腕振りまですべてを公開しましょう。


多分、純ちゃんや晋ちゃんの番組より面白くなると思うんだけど、だめかな?

現実に近づけてったら・・・

久しぶりの更新です。

仕事が早く終わったので、更新したいと思う。


今日、こんなニュースが目に入った。


<防衛庁>新「軍人恩給」を検討 退職自衛官、年金に上積み


これは、もう自衛隊を軍隊だという既成事実を確実にするためのものだと思う。


これでまた、いつも聞く

「現実にそぐわない憲法は変えなくてはならない。」

という意見が勢いづく気がする。


こういう既成事実をつくって、それを根拠に、「だから憲法を変えなくては」というやり方が目に付くようになった。


最初に憲法に反することをやって、それをやった人間が、その事実を引用して憲法を変えようとしている。


戦後のことを言えば、「A級戦犯になっていた人でも、勲章を受けた」ということでA級戦犯はいないという主張がある。


でもちょっと待って、勲章を送るのを決めるのはどこなんでしょう?


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(内閣府のホームページより引用)

 候補者は,栄典に関する有識者の意見を聴取して内閣総理大臣が決定した「春秋叙勲候補者推薦要綱」に基づき,各省各庁の長から推薦されます。内閣府賞勲局は推薦された候補者について審査を行い,原案を取りまとめます。その後,内閣官房長官が主宰する叙勲等審査会議の議を経て,閣議に諮り,受章者が決定されます。


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決めるのは政府です。

仲間内で決めて、勲章をもらうのでから、仲間内のえらいえらい人に勲章をあげてもおかしくないでしょう。

(日本の政治家のレベルならなおさら・・・・)


それをもってA級戦犯がいないというのはどうでしょう?


話がそれましたが、既成事実を作って、それを基にその事象が現実に則していないというのなら、いっそのこと憲法に定める生存権などを変えてみてはどうでしょう?


国民には生存権があるはずなのに、生活保護を拒否されて餓死したり、借金や働きすぎなどにより自殺者が多数いるのですから。


現実に則していないから憲法を変えるというのなら、ここから主張した方がより”現実的”でしょう。



また、「北朝鮮が攻撃してきたらどうするんだ」 と主張する人も現実を見ましょう。

北朝鮮の軍隊にはそんな力はありません。

(軍事費が世界有数の日本に攻めてきても、海の上で殲滅されてしまいますよ)

それに日本を攻めるメリットがそれほどありません。


現実的に行きましょう。現実的に・・・



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