人を殺すこと
先日、クリスマスの12月25日に死刑が執行された。
私は死刑という制度に反対だ。
反対する理由は二つ。
1.裁判の結果が本当に正しいとは限らない
(冤罪の可能性)
2.国家が人を殺すことへの違和感
詳細は以下の通り
1.裁判の結果が本当に正しいとは限らない
(冤罪の可能性)
まず、裁判の結果が被告に有罪を言い渡し、死刑が言い渡されたとしても、本当に
死刑に相当する罪を犯しているかわからない。
とくに、日本では裁判において自白が大きな比重を占めている。
密室で警察官とマンツーマンでずっとプレッシャーをかけられたら、「自分がやりま
した」という”自白”をしてしまうという事があると思う。
これを解消するためには、このような状況での弁護士立会いやビデオでの撮影が
考えられるが、全くそんな話が出てこない。
2.国家が人を殺すことへの違和感
次の理由だが、死刑が執行される理由というのは殺人を犯した者への”報復”が
大きい。
ハムラビ法典で言う「目には目を」だ。
(抑止効果を言う人がいるが、本当に抑止効果があるかどうかは疑わしいと思う。)
よく、自分ではできないから国家に代理してもらって”殺人者”に報復するという
意見があるが、国家を運営し、監視し、責任を持つのは国民では無いのか?
(少し乱暴だが、今の国家の状況には国民にも責任があると思う。)
回りまわって国家がやっていることは私を含む国民にも責任がある。
少なくとも自分と国家との関係を断ち切って考えることはできないと思う。
上記のハムラビ法典では「目には目を」とある。
では、犯罪者を殺した国家の責任者たる国民はどんな罪を背負うか?
{友達(死刑には反対ではない)と死刑について話したとき
「小指くらい差し出さなきゃいけないかもね」
なんて、言われてハっとした)
人の命は地球よりも重い と言った政治家がいたが、これとハムラビ法典をかけ
合わせたら、僕たちはどうなってしまうのだろう。
(思うに任せて書いてしまった・・・)