アメリカでも日本でも、1960~1970年代に流行した音楽は、今の若い人達にも結構人気があることがYouTubeを見ていると良く分かる。若い人の感想の中に、「この時代に青春だった人がうらやましい」などの書き込みが見られる。
私が中学高校生の頃に、ビートルズが全世界で熱狂的に迎え入れらると、日本では、タイガーズなどを筆頭としたグループが表舞台に出てきている。個人で言えば、加山雄三も非常に人気が高かった。私が1970年4月に大学生になった頃、アメリカでは、フォークソングが盛んに流行し、日本では、その系統の音楽に影響を受けた軽快な乗りだが聞く人の心情に訴える曲が発表された。
キングストントリオは1962年に、Where have all the flowers gone?を演奏して唄った。私がまだ中学二年生の頃で、実を言えば、近くに住んでいた米軍家族のHiFiステレオから流れたこの曲を聴いた時、感動に震えて、ギターを弾く練習を始めた。今もその状況は忘れない。
Peter, Paul & Maryも同じく1962年に、500 Milesを唄った。この曲は、高校生の頃、良くギターを弾いて唄い、歌詞を理解して英語の勉強にもなった。
The Seekersは1964年に、 I'll Never Find Another Youを発表した。
Simon&Garfunkelは1966年に、Sound of Silience を発表した。これを初めて聴いた時、ギターの調べと二人の和音が私の脳内で響き渡り、陶然とした。
Scott McKenzeは1967年に、San Franciscoを唄った。これは完全にベトナム戦争反戦歌だ。でも非常に心地よい旋律は私がアメリカに行きたい、という気持ちを膨らませてくれた。
John Denverは1971年に、Country Roadsを唄った。私はこの頃米軍基地で働きながら大学に通っていた。ベトナム戦争に従事し、いつ命を落とすかもしれない多くの米兵達がこの曲を口ずさんでいたのを覚えている。みんな遠く離れていた故郷を思っていたのだろう、と想像した。
加山雄三は、1965年に君といつまでもを発表した。これは今も時々結婚式で唄われている。私は中学生で、この曲を登下校の途中の道で良く口ずさんで唄った。
ブロードサイドフォーは1966年に星に祈りを発表し、中学時代の音楽好きな友人と良くこれを即興和音を作って唄った。
井上陽水は、1972~1973年に傘がない、夢の中へ、心もようを立て続けに発表した。
吉田と井上の曲がアメリカのフォークソングに影響を受けていたとは言え、完全に彼ら独自の風味を出していて、私の心に響いた。
南こうせつとかぐや姫は1973年に、神田川を発表した。風呂のなかった6畳一間のアパートで過ごした東京時代にラジオから流れて来たこの曲を聴き、ただただ沈黙の中に沈んで行ったのを思い出す。
NHK電影小説のCome Come EeverybodyでNHKラジオ教育放送の基礎英語を放送していた役を演じているさだまさしは、1974年に精霊流しを発表した。これをラジオで聞いた時、私の魂が震えた。
アメリカと日本の若者が1960年代、1970年代にこういった曲を聴いていたのがうらやましい、と言ってくれるのは嬉しい。まさにそういう時代に私は青春時代を過ごした。