オイの背中ば良う見とけ | 異文化交差点

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平成元年に生まれた日本人は、現在33歳になっていて、平成以降に生まれた人達が30歳を超える。考えてみると、昭和26年に生まれた私は、既に70歳を過ぎた老人になっていて、電影や新聞雑誌で良く言われる昭和時代は、少し前まで、そんなのは古くないのに、なんで昭和、昭和ってこうもうるさいのだろう、と思ったものだ。

 

私は昭和時代を3つに分けている。初期は昭和元年から太平洋戦争が終わった昭和20年まで。中期は、昭和21年からニクソンショックが起きた昭和46年までで、昭和47年以降から昭和が終わった64年までが後期だ。昭和中期に生まれた私は、日本の高度経済成長とその崩壊(泡沫経済崩壊)をこの目で見て来ている。

 

昭和の第3期に生まれた人を、私は平成以降に生まれた人達と同じにしている。平成以降に生まれた人達が、昭和時代を古いと言う時、いささか違和感を覚える。

 

私が小学生の頃、世間は、明治は遠くなりにけり、と言い始めていた。恐らく今の若い人達は、それと似たような感覚で、昭和は遠くなりにけり、と思っているのかもしれない。明治は遠くなりにけり、と言われ始めた頃、明治生まれの日本人はたくさんいた。私の伯父も明治後期に生まれていたし、長崎県北松浦郡佐々町にいた我が親族には、明治初期に生まれた少々荒っぽい爺さんがいた。私が小学1年生に上がるか上がらない頃に、時々我が家を訪れてくれた彼から、江戸末期の頃の話を聞いたものだ。

 

昭和中期に生まれた日本人の筆頭は団塊の世代で、それが日本経済を牽引したし、また派手な学生運動も行った。かなり過激な連中でもある。それが今は、年金を食いつぶし、社会からは用無しだと烙印を押されている。孫達からは煙たがれる。

 

私は、そういった老人にはなりたくない。英語慣用句にturn over a new leafがある。これは心機一転新しい自分になる、という意味でもある。自分自身に私は語り掛ける。You got to turn over a new leaf, Shintaro. 私はまだ初々しい若葉になる。そして社会のお荷物にはならない。無理して孫達に好かれようとはせず、死ぬまで働き続け、その背中を彼らに見せる。

 

孫達に言いたい。「良かか、オイの背中ば良う見とけ」