お久しぶりです。
そろそろ書いてみようかな、という時期に来た気がするので書いてみます。
前回のブログ、2022年5月13日の翌日から家族は突然歩けなくなりました。
ひと月以上の入院を経て、半年ほど在宅療養となり、今年が明けてほどなく旅立ちました。
旅だち、、と書いてますが、家族の気配はいつもあるので、ただ”見えていない”というのが一番近いかもしれないなぁ、と感じてます。
不思議なもので、最後のあたりとかは身体もエネルギーもだいぶ優しく(弱く)なっていたので、あぁもう楽になっていったほうが良いのかもしれない。。とも思う時もありましたが、実際に旅立ち、その後のいろいろなことが落ち着いてきて、よれよれだった自分自身の体調も復活してきて、時に元気だったころの写真なんかを見返すようになると、”なぜ、今ここにいないのだろう?”などと本気でナゾに思ってしまいます。
介護していた日々や、その時の様子なんかが薄くなりはじめ、元気な時のことや楽しい思い出が浮かび上がってきているのだと思います。
普通にいるのが”いつも”なんだけどな、、と自分の頭の中での葛藤が時々おこり、あぁ今は見えていないところにいるのだな、という思いを学習している感じです。
私の身体は元気を取り戻し始めて、自分自身の好きな事(やっぱり踊り♪)を再開することが出来るようになってきましたが、時にいろいろな感情が出てくる不思議な日々です。
そんな日々の中、今の私を支えてくれている新しい習慣が、毎日の花の世話と陰膳(かげぜん)。
本当はお線香も毎日たいたほうが良いのかもしれませんが、軽く燻されてむせてしまうので、窓を開けながら焚ける日だけになってしまってます^^;
花は本当に元気をくれますね!
最初の1か月は家中が花の香りで包まれっぱなしで、リビングの半分が花で埋め尽くされました。
世話もたいへんでしたが、そのおかげでいつも良い香りとともにいられて自然と深呼吸に誘われた気がします。
先日、ようやく自分で季節の花を求めて花瓶に生けました。
みているだけで気持ちが穏やかになり、花の優しいたたずまいが本当にありがたいです。
陰膳(かげぜん)も私にはとても良いです。
最初のころはなんともたまらない気持ちにもなりましたが、時がたつにつれて自分と家族との新しい距離感がみえてきた気もします。
49日もすぎたので、本来はもうしなくても良いのかもしれません。
まぁでも、やりたいときには用意しよう、という軽い気持ちでなんとなく続けています。
どちらも自分の自己満足に近いものかもしれません。
けれども、その習慣とともに”見えないけどいるんだな”という新しい思いを育てているような気がしています。
先日の暖かい日に近所の川の土手沿いを散歩しました。
草の緑とダイコンの花の香りがすごくて、広くて青い空もすごくて、1,2輪咲き始めた桜も、膨らんだつぼみもなんだかすごくて、春が来ているなぁ、を全身で味わいました。
日々、ありがたいなぁと思います。
今日は寒くて冷たい雨だけど私なりにくつろいで過ごそうと思います♪
さいごまで読んでくださった方へ、ありがとうございます。
これからまたこのブログをのんびり書いていこうと思います。
日々是好日
三寒四温にお身体が負けないようどうぞお大事にお過ごしください^^