熊野三山斬り込みツアー 第②章
続きです。。
第①章はお客様共々しぼんだまま終わりました
でも、
そのまま終わらせるわけにいかないでしょう?
バスの中で隊長がお客様に何か言葉を切り出そうとするも、先に間髪入れず
「お金いっぺぇ~落としてっちゃるべやぁ~
なぁ~
お土産買っちゃるべやぁ~」
ひとりのおっちゃんの一声が、車内の負(ふ)の空気感を吹き飛ばし、正になりました
皆さん同じ想いだったみたい。
ツアー客として出来るのは必要以上にお土産物を買ってあげること。
御賽銭を奮発すること。
添乗員は「買え買え」と、お客様をけしかけること
そして添乗員の隊長自身は財布にあまり持ち合わせが無く(いつもねーよ)那智黒飴を買う
☆
壊れた住宅街を走り抜け、一軒の梅干屋さんでバスを停めました。
店前のベンチにパンダの縫いぐるみが寝てる
災害地でこのユーモアはいいですね
梅干屋さんはいつもツアーで立ち寄る場所なのですが、
お店は少し水に浸かった程度で商品は無事だったそうです
豪雨の日の夜、店主は自宅にいたそうなのですが、
川が氾濫して玄関前がトンデモナイ状況になってる事に気付いて逃げようとしたが、
自宅裏側の山も地滑りで崩れ落ちてきて八方塞がりに
逃げ場所が無くなったのでしょうがなく自宅に留まっていたと教えてくれました
無事で良かったです。。
それにしてもお客様はみんな大量の梅干を買ってましたが、
あんないっぱいどーしたんだか
梅干屋さんを出発したならあっという間に熊野古道の入口到着です!
大門坂と言われる古道で、この道を登りきると那智大社に到達するという佳境の部分です。
熊野古道を超おおざっぱに説明しますと、
①章で記しました速玉大社、熊野本宮大社、那智大社のいわゆる熊野三山と、
伊勢神宮、高野山にお詣りにゆくための参道です。
「参道です。」
なんて簡単に記しましたが、どれもこれもハンパなくトンデモナイ距離ですよ
昔の人達は何日も何日もかけて歩いてたんですね
現代のように観光バスや車でシャーッと巡ったってオッサンオバサンは「遠いっ!」と文句垂れますし、
添乗員の中にも「熊野古道はキツイから行かないよっ!」なんてのたまうボケナスがいます。
隊長の前でそんな事のたまう添乗員に対しては容赦なくケツの穴に割り箸突っ込んでグリグリしてやります
心当たりのある添乗員覚えておけよ
(笑)
熊野古道は出発地、目的地別に伊勢路、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路と区別され、
今となっては廃道になったり、車道に吸収されてしまったりと消滅した部分も多いです。
隊長は以前、中辺路を半日かけて歩いたことがありますが、余りのアップダウンの凄さに
「テメェー!これってまんま登山やろがっ!」
ι(`ロ´)ノ
て、お地蔵さんに文句垂れました
ごめんねお地蔵さん
自分でケツの穴に割り箸突っ込んで反省しますから
大門坂から古道を歩きます。
みかん畑
無人販売がありましたが、みかんをぶら下げて古道を登るのもやっかいなので買いませんでした
古道は杉林の中へ
バカデカイ杉林が続きますが、現役当時はまだ小杉だったかも知れないですね
熊野古道の石段は、後の登山道の石段造りの基礎となったものです。
登山をする人なら知ってらっしゃいますね。
木霊の気配を感じられる道です
平安時代の人とすれ違えるかも。。
石段を登り詰めると那智大社、清岸渡寺直下の商店街に出ます。
この画像はとても異常な光景‥
本来ならば人がウジャウジャいて、観光バスや乗用車が行列になってる場所なんですが‥
大社に伸びる表参道も人影無く
いつも喧嘩する食堂もスカスカ
隊長のお客様が右の隅っこで食事中です
通常ならすんごい混雑していて、食堂に到着前に電話して喧嘩します。
※隊長
「添乗員の隊長で~す!
中食(昼食)入れ込み電話で~す!
予定通り30分後に入りますよっ!」
※お店
「いや~その時間に来ても団体さんがいっぱいで無理だわぁ~!
悪いけどどっかで時間潰してから来てや~!」
※隊長
「なんやとぉ
こっちは予定通り進ましとんのにナメとんのかキサマ!
他の客どかしてでも席準備しとけやっ!」
※お店
「ほぉっ!
ボケナス添乗員さんよっ!
ここで店にイチャモンつけるっつーことは那智大社の神様に喧嘩売るも同然やどコラッ!
隊長
「うるさい
俺が神じゃっ」
※お店
「サッサと地元帰って牛の世話でもしとれやっ」
なんて感じで押し問答してる間にバスがお店に到着しちゃって食事の準備が出来てなくてお客様を怒らせて隊長もお店もアタフタ
o(T△T=T△T)o
なんて事は日常茶飯事です
尚、先の電話での会話はデタラメですから
バス乗務員さんと添乗員が食事をする施設も誰もいない
なんで観光客来てくれないんやろか
地元の人達みんな頑張って待ってるのに~
☆
お客様と一緒に那智大社のお詣りを済ませて表参道を下っていたら茶屋のオバチャンに捕まった
「てぇ~んじょ~いんさんお疲れさまぁ~
さぁ~さぁ~お茶でも飲んでって
美味しいこぉーひぃー入れてあげるからぁ~」
添乗員さえ取っ捕まえればツアーのお客様もゾロゾロと金魚の糞みたいについて来て店に入ることをオバチャンは心得ております
お店はオバチャンのもくろみ通り満杯になりました
まぁ、
これも救済です
この日最後の目的地は日本一の名瀑「那智の滝」です
豪雨の後はかなり様子が変わりました
滝壺がガラガラの岩で埋まってしまってますし、
川にも倒木が散乱していてものすごい事になってました
画像の滝を一般的に那智の滝と呼んでますが、本来は山の中に30以上もある滝を総称して那智の滝が正解です。
☆
今回は隊長もお客様もバス乗務員さんも運が良かったです。
頑張ってる人達に関わり合えたし、無事だったものは無事と確認出来た。
那智の滝では、本来予定に無かった団体写真を地元の写真屋さんにお願いして撮影した。
お客様は全員写真を買ってくれた。
写真屋さんはすごく喜んでくれた。
バス車内は沢山のお土産物で溢れ返った。
東北の事はよく分からないけれど、
熊野の人々は観光客を受け入れようと待ち構えてます。
観光客がドバーッと来れば町が整うレスポンスも上がる。
治って落ち着いてからお詣りに行くのではなく、
早く詣って治してあげること。
我々が治るの待ってたら治らないよ。
待ちくたびれて倒れちゃうから。
今年は熊野ツアーを大いに宣伝してあげて、食堂のオッサンと喧嘩を再開することが隊長の仕事のひとつになりました。
待ってろジジイ
終。。
第①章はお客様共々しぼんだまま終わりました
でも、
そのまま終わらせるわけにいかないでしょう?
バスの中で隊長がお客様に何か言葉を切り出そうとするも、先に間髪入れず
「お金いっぺぇ~落としてっちゃるべやぁ~
なぁ~
お土産買っちゃるべやぁ~」
ひとりのおっちゃんの一声が、車内の負(ふ)の空気感を吹き飛ばし、正になりました
皆さん同じ想いだったみたい。
ツアー客として出来るのは必要以上にお土産物を買ってあげること。
御賽銭を奮発すること。
添乗員は「買え買え」と、お客様をけしかけること
そして添乗員の隊長自身は財布にあまり持ち合わせが無く(いつもねーよ)那智黒飴を買う
☆
壊れた住宅街を走り抜け、一軒の梅干屋さんでバスを停めました。
店前のベンチにパンダの縫いぐるみが寝てる
災害地でこのユーモアはいいですね
梅干屋さんはいつもツアーで立ち寄る場所なのですが、
お店は少し水に浸かった程度で商品は無事だったそうです
豪雨の日の夜、店主は自宅にいたそうなのですが、
川が氾濫して玄関前がトンデモナイ状況になってる事に気付いて逃げようとしたが、
自宅裏側の山も地滑りで崩れ落ちてきて八方塞がりに
逃げ場所が無くなったのでしょうがなく自宅に留まっていたと教えてくれました
無事で良かったです。。
それにしてもお客様はみんな大量の梅干を買ってましたが、
あんないっぱいどーしたんだか
梅干屋さんを出発したならあっという間に熊野古道の入口到着です!
大門坂と言われる古道で、この道を登りきると那智大社に到達するという佳境の部分です。
熊野古道を超おおざっぱに説明しますと、
①章で記しました速玉大社、熊野本宮大社、那智大社のいわゆる熊野三山と、
伊勢神宮、高野山にお詣りにゆくための参道です。
「参道です。」
なんて簡単に記しましたが、どれもこれもハンパなくトンデモナイ距離ですよ
昔の人達は何日も何日もかけて歩いてたんですね
現代のように観光バスや車でシャーッと巡ったってオッサンオバサンは「遠いっ!」と文句垂れますし、
添乗員の中にも「熊野古道はキツイから行かないよっ!」なんてのたまうボケナスがいます。
隊長の前でそんな事のたまう添乗員に対しては容赦なくケツの穴に割り箸突っ込んでグリグリしてやります
心当たりのある添乗員覚えておけよ
(笑)
熊野古道は出発地、目的地別に伊勢路、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路と区別され、
今となっては廃道になったり、車道に吸収されてしまったりと消滅した部分も多いです。
隊長は以前、中辺路を半日かけて歩いたことがありますが、余りのアップダウンの凄さに
「テメェー!これってまんま登山やろがっ!」
ι(`ロ´)ノ
て、お地蔵さんに文句垂れました
ごめんねお地蔵さん
自分でケツの穴に割り箸突っ込んで反省しますから
大門坂から古道を歩きます。
みかん畑
無人販売がありましたが、みかんをぶら下げて古道を登るのもやっかいなので買いませんでした
古道は杉林の中へ
バカデカイ杉林が続きますが、現役当時はまだ小杉だったかも知れないですね
熊野古道の石段は、後の登山道の石段造りの基礎となったものです。
登山をする人なら知ってらっしゃいますね。
木霊の気配を感じられる道です
平安時代の人とすれ違えるかも。。
石段を登り詰めると那智大社、清岸渡寺直下の商店街に出ます。
この画像はとても異常な光景‥
本来ならば人がウジャウジャいて、観光バスや乗用車が行列になってる場所なんですが‥
大社に伸びる表参道も人影無く
いつも喧嘩する食堂もスカスカ
隊長のお客様が右の隅っこで食事中です
通常ならすんごい混雑していて、食堂に到着前に電話して喧嘩します。
※隊長
「添乗員の隊長で~す!
中食(昼食)入れ込み電話で~す!
予定通り30分後に入りますよっ!」
※お店
「いや~その時間に来ても団体さんがいっぱいで無理だわぁ~!
悪いけどどっかで時間潰してから来てや~!」
※隊長
「なんやとぉ
こっちは予定通り進ましとんのにナメとんのかキサマ!
他の客どかしてでも席準備しとけやっ!」
※お店
「ほぉっ!
ボケナス添乗員さんよっ!
ここで店にイチャモンつけるっつーことは那智大社の神様に喧嘩売るも同然やどコラッ!
隊長
「うるさい
俺が神じゃっ」
※お店
「サッサと地元帰って牛の世話でもしとれやっ」
なんて感じで押し問答してる間にバスがお店に到着しちゃって食事の準備が出来てなくてお客様を怒らせて隊長もお店もアタフタ
o(T△T=T△T)o
なんて事は日常茶飯事です
尚、先の電話での会話はデタラメですから
バス乗務員さんと添乗員が食事をする施設も誰もいない
なんで観光客来てくれないんやろか
地元の人達みんな頑張って待ってるのに~
☆
お客様と一緒に那智大社のお詣りを済ませて表参道を下っていたら茶屋のオバチャンに捕まった
「てぇ~んじょ~いんさんお疲れさまぁ~
さぁ~さぁ~お茶でも飲んでって
美味しいこぉーひぃー入れてあげるからぁ~」
添乗員さえ取っ捕まえればツアーのお客様もゾロゾロと金魚の糞みたいについて来て店に入ることをオバチャンは心得ております
お店はオバチャンのもくろみ通り満杯になりました
まぁ、
これも救済です
この日最後の目的地は日本一の名瀑「那智の滝」です
豪雨の後はかなり様子が変わりました
滝壺がガラガラの岩で埋まってしまってますし、
川にも倒木が散乱していてものすごい事になってました
画像の滝を一般的に那智の滝と呼んでますが、本来は山の中に30以上もある滝を総称して那智の滝が正解です。
☆
今回は隊長もお客様もバス乗務員さんも運が良かったです。
頑張ってる人達に関わり合えたし、無事だったものは無事と確認出来た。
那智の滝では、本来予定に無かった団体写真を地元の写真屋さんにお願いして撮影した。
お客様は全員写真を買ってくれた。
写真屋さんはすごく喜んでくれた。
バス車内は沢山のお土産物で溢れ返った。
東北の事はよく分からないけれど、
熊野の人々は観光客を受け入れようと待ち構えてます。
観光客がドバーッと来れば町が整うレスポンスも上がる。
治って落ち着いてからお詣りに行くのではなく、
早く詣って治してあげること。
我々が治るの待ってたら治らないよ。
待ちくたびれて倒れちゃうから。
今年は熊野ツアーを大いに宣伝してあげて、食堂のオッサンと喧嘩を再開することが隊長の仕事のひとつになりました。
待ってろジジイ
終。。
熊野三山斬り込みツアー 第①章
添乗員の隊長です。。
今回はおちゃらけた表現は無しです。
今さらですが昨年三月十一日、
お国そのものの骨幹を揺るがさんとする天変地異がありました。
隊長も影響をもろに被って長いこと仕事の無い期間が続き、
正直とても困窮しました。
でも、ちゃんと生きてるし家もあるし、今となってはどうってことない。
やっと仕事の流れが戻りかけた時、今度は紀伊半島の豪雨災害‥
3・11の、その破格のインパクトの強さに感性が麻痺してたのかどうか、、
豪雨で川が氾濫して家が流されてゆく映像を対岸の火事の如く眺めていました‥
雨かぁ。。
‥
その頃は既に山岳ガイドとしての仕事が目白押しで、
ほぼ毎日登山に関わっている状況であったために自身が浮世離れしていたというのは言い訳かも知れません。
登山シーズンが終わり、観光ツアーの添乗員に復帰してからの初っぱなの仕事は豪雨災害に遭った紀伊半島、
すなわち熊野を巡るものでした。
優雅なツアータイトルとは裏腹に、
お客様共々まるで災害現場を見学するのが主旨のような行程となったものです。
十数名のお客様と共に新千歳空港から名古屋セントレアにひとっ飛び
いつもお世話になっている和歌山の明光バスさんに乗り換えてツアー開始
全車両にこのステッカーが貼られてます
最初の目的地は伊勢神宮
いつもと変わらない沢山のバス
いつもと変わらない沢山の人
お伊勢さんはあまり影響なかったのかな。。
☆
翌日は大移動して速玉大社~熊野本宮大社~那智大社と、
昔の人達が熊野古道をひたすら歩いて巡った熊野詣(くまのもうで)をバスでチャッチャカと巡る行程
因みに先の三大社を総称して熊野三山と言い、全国に3000くらい点在する熊野大社の御大でもあります。
まずは速玉大社(はやたまたいしゃ)で20分停車し、
お客様がお詣りをしてる間に隊長は駐車場で弁当の仕出し屋さんと合流して昼食用弁当を受け取る段取りだったのですが、、
到着してみると仕出し屋さんがいない‥
待てど暮らせど来ない
出発時間が迫る
当然のようにクレームの電話を入れます
隊長
「オイオイこっちはもう出発時間だぞ!サッサと弁当持って来んかっ!」
仕出し屋
「申し訳ありません今向かわせてますから本当にごめんなさい」
時間厳守の業界にあって弁当を遅らせるなど言語道断!
討ち首ものですぞっ!
結局は出発時間を遅らせて積み込みとなる
出発してから車内で弁当をひろげました。
マグロステーキ弁当
勝浦で捕れたマグロをメインとした逸品
そう、
洪水被害をまともに喰らった勝浦です。
届くのが遅かったのには理由があったみたいなんです。
豪雨災害があってからというもの弁当の注文がパタリと止まってしまい、仕出し屋さんはとても困窮しながら少ないスタッフで頑張ってきてたみたいなんです‥
仕出し屋のおばちゃんは
「災害があって以来初めての注文なんですよ~!
わざわざ北海道から来て下さったお礼にお茶をサービスで付けさせて頂きますから~(笑)
本当にありがとうございました~!」
本当は泣きたいくらい(泣いたかも知れない)大変だったはずなのに笑顔でした‥
同時に隊長はクレームを入れた自分のバカさ加減に呆れ、食事が喉を通らなかったです、、
相手の立場を汲み取ることが出来なかった超バカタレ添乗員の隊長でした
☆
熊野本宮へ向けて穏やかな熊野川沿いを走る
が、
程なく視界に飛び込んできた物は‥
骨組みだけ残った瀞峡(どろきょう)遊覧船乗り場
建物は壊れて無くなってしまいましたが、
船は船員さん達が頑張って上流へ逃がして無事だったそうです
一日も早い再開を願う。。
写真では分かりませんが、橋の欄干には沢山の小枝やゴミが引っ掛かってます。
とんでもない高さまで水位が上がったのですね。
この覆道も天井まで水に浸かったそうです
対岸の村は辛うじて建物だけ残ってましたが、
壊滅して人がいなくなったそうです‥
ガレキを運び出すダンプカーが至るところに
本宮の町並みは撤去された家が多いのか建物間隔がスカスカに‥
大きな物産店の窓には水に浸かった痕跡が
熊野本宮大社の石柱がありますが、テッペン近くまで水に浸かったと地元の写真屋さんが教えてくれました。
階段のすぐ左脇に写真屋さんの控え室があったはずなのですが、
流されてしまったので今は車を控え室替わりにして仕事をしてるそう
控え室の並びにあった茶屋も流されて無くなってました
熊野本宮(くまのほんぐう)は山の上にあります
むかしむかし、
初代の本宮大社は熊野川の中に浮かぶように建てられてましたが、
当時の豪雨災害で流されてしまったので今現在の場所に再建されたのですね。
そのおかげで今回は無傷で済んでます
次の目的地は那智勝浦地区です
ここは現在も熊野古道が残っていますし、
名瀑「那智の滝」や那智大社、清岸渡寺(せいがんとじ)など見所満載の観光地です。
勝浦町内に入り、最初に目に飛び込んできたのは川が氾濫してひしゃげた橋‥
欄干がグニャグニャに‥
壊れた家が撤去されて空き地が目立つ
辛うじて残った家も半壊していてブルーシートのかかった光景が多く、画像の向こう側の家は完全に傾いてます
道路の左側にも家並みがあったはずなのですが全滅してました‥
川の中に家が
「もうヤメてくれっ!!」
そんな気持ちになって隊長はしぼんでしまいました
次の②章では熊野古道や那智の滝等を見てゆきます。
つづく
今回はおちゃらけた表現は無しです。
今さらですが昨年三月十一日、
お国そのものの骨幹を揺るがさんとする天変地異がありました。
隊長も影響をもろに被って長いこと仕事の無い期間が続き、
正直とても困窮しました。
でも、ちゃんと生きてるし家もあるし、今となってはどうってことない。
やっと仕事の流れが戻りかけた時、今度は紀伊半島の豪雨災害‥
3・11の、その破格のインパクトの強さに感性が麻痺してたのかどうか、、
豪雨で川が氾濫して家が流されてゆく映像を対岸の火事の如く眺めていました‥
雨かぁ。。
‥
その頃は既に山岳ガイドとしての仕事が目白押しで、
ほぼ毎日登山に関わっている状況であったために自身が浮世離れしていたというのは言い訳かも知れません。
登山シーズンが終わり、観光ツアーの添乗員に復帰してからの初っぱなの仕事は豪雨災害に遭った紀伊半島、
すなわち熊野を巡るものでした。
優雅なツアータイトルとは裏腹に、
お客様共々まるで災害現場を見学するのが主旨のような行程となったものです。
十数名のお客様と共に新千歳空港から名古屋セントレアにひとっ飛び
いつもお世話になっている和歌山の明光バスさんに乗り換えてツアー開始
全車両にこのステッカーが貼られてます
最初の目的地は伊勢神宮
いつもと変わらない沢山のバス
いつもと変わらない沢山の人
お伊勢さんはあまり影響なかったのかな。。
☆
翌日は大移動して速玉大社~熊野本宮大社~那智大社と、
昔の人達が熊野古道をひたすら歩いて巡った熊野詣(くまのもうで)をバスでチャッチャカと巡る行程
因みに先の三大社を総称して熊野三山と言い、全国に3000くらい点在する熊野大社の御大でもあります。
まずは速玉大社(はやたまたいしゃ)で20分停車し、
お客様がお詣りをしてる間に隊長は駐車場で弁当の仕出し屋さんと合流して昼食用弁当を受け取る段取りだったのですが、、
到着してみると仕出し屋さんがいない‥
待てど暮らせど来ない
出発時間が迫る
当然のようにクレームの電話を入れます
隊長
「オイオイこっちはもう出発時間だぞ!サッサと弁当持って来んかっ!」
仕出し屋
「申し訳ありません今向かわせてますから本当にごめんなさい」
時間厳守の業界にあって弁当を遅らせるなど言語道断!
討ち首ものですぞっ!
結局は出発時間を遅らせて積み込みとなる
出発してから車内で弁当をひろげました。
マグロステーキ弁当
勝浦で捕れたマグロをメインとした逸品
そう、
洪水被害をまともに喰らった勝浦です。
届くのが遅かったのには理由があったみたいなんです。
豪雨災害があってからというもの弁当の注文がパタリと止まってしまい、仕出し屋さんはとても困窮しながら少ないスタッフで頑張ってきてたみたいなんです‥
仕出し屋のおばちゃんは
「災害があって以来初めての注文なんですよ~!
わざわざ北海道から来て下さったお礼にお茶をサービスで付けさせて頂きますから~(笑)
本当にありがとうございました~!」
本当は泣きたいくらい(泣いたかも知れない)大変だったはずなのに笑顔でした‥
同時に隊長はクレームを入れた自分のバカさ加減に呆れ、食事が喉を通らなかったです、、
相手の立場を汲み取ることが出来なかった超バカタレ添乗員の隊長でした
☆
熊野本宮へ向けて穏やかな熊野川沿いを走る
が、
程なく視界に飛び込んできた物は‥
骨組みだけ残った瀞峡(どろきょう)遊覧船乗り場
建物は壊れて無くなってしまいましたが、
船は船員さん達が頑張って上流へ逃がして無事だったそうです
一日も早い再開を願う。。
写真では分かりませんが、橋の欄干には沢山の小枝やゴミが引っ掛かってます。
とんでもない高さまで水位が上がったのですね。
この覆道も天井まで水に浸かったそうです
対岸の村は辛うじて建物だけ残ってましたが、
壊滅して人がいなくなったそうです‥
ガレキを運び出すダンプカーが至るところに
本宮の町並みは撤去された家が多いのか建物間隔がスカスカに‥
大きな物産店の窓には水に浸かった痕跡が
熊野本宮大社の石柱がありますが、テッペン近くまで水に浸かったと地元の写真屋さんが教えてくれました。
階段のすぐ左脇に写真屋さんの控え室があったはずなのですが、
流されてしまったので今は車を控え室替わりにして仕事をしてるそう
控え室の並びにあった茶屋も流されて無くなってました
熊野本宮(くまのほんぐう)は山の上にあります
むかしむかし、
初代の本宮大社は熊野川の中に浮かぶように建てられてましたが、
当時の豪雨災害で流されてしまったので今現在の場所に再建されたのですね。
そのおかげで今回は無傷で済んでます
次の目的地は那智勝浦地区です
ここは現在も熊野古道が残っていますし、
名瀑「那智の滝」や那智大社、清岸渡寺(せいがんとじ)など見所満載の観光地です。
勝浦町内に入り、最初に目に飛び込んできたのは川が氾濫してひしゃげた橋‥
欄干がグニャグニャに‥
壊れた家が撤去されて空き地が目立つ
辛うじて残った家も半壊していてブルーシートのかかった光景が多く、画像の向こう側の家は完全に傾いてます
道路の左側にも家並みがあったはずなのですが全滅してました‥
川の中に家が
「もうヤメてくれっ!!」
そんな気持ちになって隊長はしぼんでしまいました
次の②章では熊野古道や那智の滝等を見てゆきます。
つづく
い"ゃぁ~っ 風邪引いてま"ったぁ~
この俺様が風邪を引くとわ‥
先週チューした○○ちゃんにうつされたのかなぁ~
それともきのうの○○ちゃん?
頭グラングランしてアホな妄想ばっか浮かぶわい
感謝感謝!!
(何にじゃい)
先週チューした○○ちゃんにうつされたのかなぁ~
それともきのうの○○ちゃん?
頭グラングランしてアホな妄想ばっか浮かぶわい
感謝感謝!!
(何にじゃい)