熊野三山斬り込みツアー 第②章
続きです。。
第①章はお客様共々しぼんだまま終わりました
でも、
そのまま終わらせるわけにいかないでしょう?
バスの中で隊長がお客様に何か言葉を切り出そうとするも、先に間髪入れず
「お金いっぺぇ~落としてっちゃるべやぁ~
なぁ~
お土産買っちゃるべやぁ~」
ひとりのおっちゃんの一声が、車内の負(ふ)の空気感を吹き飛ばし、正になりました
皆さん同じ想いだったみたい。
ツアー客として出来るのは必要以上にお土産物を買ってあげること。
御賽銭を奮発すること。
添乗員は「買え買え」と、お客様をけしかけること
そして添乗員の隊長自身は財布にあまり持ち合わせが無く(いつもねーよ)那智黒飴を買う
☆
壊れた住宅街を走り抜け、一軒の梅干屋さんでバスを停めました。
店前のベンチにパンダの縫いぐるみが寝てる
災害地でこのユーモアはいいですね
梅干屋さんはいつもツアーで立ち寄る場所なのですが、
お店は少し水に浸かった程度で商品は無事だったそうです
豪雨の日の夜、店主は自宅にいたそうなのですが、
川が氾濫して玄関前がトンデモナイ状況になってる事に気付いて逃げようとしたが、
自宅裏側の山も地滑りで崩れ落ちてきて八方塞がりに
逃げ場所が無くなったのでしょうがなく自宅に留まっていたと教えてくれました
無事で良かったです。。
それにしてもお客様はみんな大量の梅干を買ってましたが、
あんないっぱいどーしたんだか
梅干屋さんを出発したならあっという間に熊野古道の入口到着です!
大門坂と言われる古道で、この道を登りきると那智大社に到達するという佳境の部分です。
熊野古道を超おおざっぱに説明しますと、
①章で記しました速玉大社、熊野本宮大社、那智大社のいわゆる熊野三山と、
伊勢神宮、高野山にお詣りにゆくための参道です。
「参道です。」
なんて簡単に記しましたが、どれもこれもハンパなくトンデモナイ距離ですよ
昔の人達は何日も何日もかけて歩いてたんですね
現代のように観光バスや車でシャーッと巡ったってオッサンオバサンは「遠いっ!」と文句垂れますし、
添乗員の中にも「熊野古道はキツイから行かないよっ!」なんてのたまうボケナスがいます。
隊長の前でそんな事のたまう添乗員に対しては容赦なくケツの穴に割り箸突っ込んでグリグリしてやります
心当たりのある添乗員覚えておけよ
(笑)
熊野古道は出発地、目的地別に伊勢路、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路と区別され、
今となっては廃道になったり、車道に吸収されてしまったりと消滅した部分も多いです。
隊長は以前、中辺路を半日かけて歩いたことがありますが、余りのアップダウンの凄さに
「テメェー!これってまんま登山やろがっ!」
ι(`ロ´)ノ
て、お地蔵さんに文句垂れました
ごめんねお地蔵さん
自分でケツの穴に割り箸突っ込んで反省しますから
大門坂から古道を歩きます。
みかん畑
無人販売がありましたが、みかんをぶら下げて古道を登るのもやっかいなので買いませんでした
古道は杉林の中へ
バカデカイ杉林が続きますが、現役当時はまだ小杉だったかも知れないですね
熊野古道の石段は、後の登山道の石段造りの基礎となったものです。
登山をする人なら知ってらっしゃいますね。
木霊の気配を感じられる道です
平安時代の人とすれ違えるかも。。
石段を登り詰めると那智大社、清岸渡寺直下の商店街に出ます。
この画像はとても異常な光景‥
本来ならば人がウジャウジャいて、観光バスや乗用車が行列になってる場所なんですが‥
大社に伸びる表参道も人影無く
いつも喧嘩する食堂もスカスカ
隊長のお客様が右の隅っこで食事中です
通常ならすんごい混雑していて、食堂に到着前に電話して喧嘩します。
※隊長
「添乗員の隊長で~す!
中食(昼食)入れ込み電話で~す!
予定通り30分後に入りますよっ!」
※お店
「いや~その時間に来ても団体さんがいっぱいで無理だわぁ~!
悪いけどどっかで時間潰してから来てや~!」
※隊長
「なんやとぉ
こっちは予定通り進ましとんのにナメとんのかキサマ!
他の客どかしてでも席準備しとけやっ!」
※お店
「ほぉっ!
ボケナス添乗員さんよっ!
ここで店にイチャモンつけるっつーことは那智大社の神様に喧嘩売るも同然やどコラッ!
隊長
「うるさい
俺が神じゃっ」
※お店
「サッサと地元帰って牛の世話でもしとれやっ」
なんて感じで押し問答してる間にバスがお店に到着しちゃって食事の準備が出来てなくてお客様を怒らせて隊長もお店もアタフタ
o(T△T=T△T)o
なんて事は日常茶飯事です
尚、先の電話での会話はデタラメですから
バス乗務員さんと添乗員が食事をする施設も誰もいない
なんで観光客来てくれないんやろか
地元の人達みんな頑張って待ってるのに~
☆
お客様と一緒に那智大社のお詣りを済ませて表参道を下っていたら茶屋のオバチャンに捕まった
「てぇ~んじょ~いんさんお疲れさまぁ~
さぁ~さぁ~お茶でも飲んでって
美味しいこぉーひぃー入れてあげるからぁ~」
添乗員さえ取っ捕まえればツアーのお客様もゾロゾロと金魚の糞みたいについて来て店に入ることをオバチャンは心得ております
お店はオバチャンのもくろみ通り満杯になりました
まぁ、
これも救済です
この日最後の目的地は日本一の名瀑「那智の滝」です
豪雨の後はかなり様子が変わりました
滝壺がガラガラの岩で埋まってしまってますし、
川にも倒木が散乱していてものすごい事になってました
画像の滝を一般的に那智の滝と呼んでますが、本来は山の中に30以上もある滝を総称して那智の滝が正解です。
☆
今回は隊長もお客様もバス乗務員さんも運が良かったです。
頑張ってる人達に関わり合えたし、無事だったものは無事と確認出来た。
那智の滝では、本来予定に無かった団体写真を地元の写真屋さんにお願いして撮影した。
お客様は全員写真を買ってくれた。
写真屋さんはすごく喜んでくれた。
バス車内は沢山のお土産物で溢れ返った。
東北の事はよく分からないけれど、
熊野の人々は観光客を受け入れようと待ち構えてます。
観光客がドバーッと来れば町が整うレスポンスも上がる。
治って落ち着いてからお詣りに行くのではなく、
早く詣って治してあげること。
我々が治るの待ってたら治らないよ。
待ちくたびれて倒れちゃうから。
今年は熊野ツアーを大いに宣伝してあげて、食堂のオッサンと喧嘩を再開することが隊長の仕事のひとつになりました。
待ってろジジイ
終。。
第①章はお客様共々しぼんだまま終わりました
でも、
そのまま終わらせるわけにいかないでしょう?
バスの中で隊長がお客様に何か言葉を切り出そうとするも、先に間髪入れず
「お金いっぺぇ~落としてっちゃるべやぁ~
なぁ~
お土産買っちゃるべやぁ~」
ひとりのおっちゃんの一声が、車内の負(ふ)の空気感を吹き飛ばし、正になりました
皆さん同じ想いだったみたい。
ツアー客として出来るのは必要以上にお土産物を買ってあげること。
御賽銭を奮発すること。
添乗員は「買え買え」と、お客様をけしかけること
そして添乗員の隊長自身は財布にあまり持ち合わせが無く(いつもねーよ)那智黒飴を買う
☆
壊れた住宅街を走り抜け、一軒の梅干屋さんでバスを停めました。
店前のベンチにパンダの縫いぐるみが寝てる
災害地でこのユーモアはいいですね
梅干屋さんはいつもツアーで立ち寄る場所なのですが、
お店は少し水に浸かった程度で商品は無事だったそうです
豪雨の日の夜、店主は自宅にいたそうなのですが、
川が氾濫して玄関前がトンデモナイ状況になってる事に気付いて逃げようとしたが、
自宅裏側の山も地滑りで崩れ落ちてきて八方塞がりに
逃げ場所が無くなったのでしょうがなく自宅に留まっていたと教えてくれました
無事で良かったです。。
それにしてもお客様はみんな大量の梅干を買ってましたが、
あんないっぱいどーしたんだか
梅干屋さんを出発したならあっという間に熊野古道の入口到着です!
大門坂と言われる古道で、この道を登りきると那智大社に到達するという佳境の部分です。
熊野古道を超おおざっぱに説明しますと、
①章で記しました速玉大社、熊野本宮大社、那智大社のいわゆる熊野三山と、
伊勢神宮、高野山にお詣りにゆくための参道です。
「参道です。」
なんて簡単に記しましたが、どれもこれもハンパなくトンデモナイ距離ですよ
昔の人達は何日も何日もかけて歩いてたんですね
現代のように観光バスや車でシャーッと巡ったってオッサンオバサンは「遠いっ!」と文句垂れますし、
添乗員の中にも「熊野古道はキツイから行かないよっ!」なんてのたまうボケナスがいます。
隊長の前でそんな事のたまう添乗員に対しては容赦なくケツの穴に割り箸突っ込んでグリグリしてやります
心当たりのある添乗員覚えておけよ
(笑)
熊野古道は出発地、目的地別に伊勢路、紀伊路、小辺路、中辺路、大辺路と区別され、
今となっては廃道になったり、車道に吸収されてしまったりと消滅した部分も多いです。
隊長は以前、中辺路を半日かけて歩いたことがありますが、余りのアップダウンの凄さに
「テメェー!これってまんま登山やろがっ!」
ι(`ロ´)ノ
て、お地蔵さんに文句垂れました
ごめんねお地蔵さん
自分でケツの穴に割り箸突っ込んで反省しますから
大門坂から古道を歩きます。
みかん畑
無人販売がありましたが、みかんをぶら下げて古道を登るのもやっかいなので買いませんでした
古道は杉林の中へ
バカデカイ杉林が続きますが、現役当時はまだ小杉だったかも知れないですね
熊野古道の石段は、後の登山道の石段造りの基礎となったものです。
登山をする人なら知ってらっしゃいますね。
木霊の気配を感じられる道です
平安時代の人とすれ違えるかも。。
石段を登り詰めると那智大社、清岸渡寺直下の商店街に出ます。
この画像はとても異常な光景‥
本来ならば人がウジャウジャいて、観光バスや乗用車が行列になってる場所なんですが‥
大社に伸びる表参道も人影無く
いつも喧嘩する食堂もスカスカ
隊長のお客様が右の隅っこで食事中です
通常ならすんごい混雑していて、食堂に到着前に電話して喧嘩します。
※隊長
「添乗員の隊長で~す!
中食(昼食)入れ込み電話で~す!
予定通り30分後に入りますよっ!」
※お店
「いや~その時間に来ても団体さんがいっぱいで無理だわぁ~!
悪いけどどっかで時間潰してから来てや~!」
※隊長
「なんやとぉ
こっちは予定通り進ましとんのにナメとんのかキサマ!
他の客どかしてでも席準備しとけやっ!」
※お店
「ほぉっ!
ボケナス添乗員さんよっ!
ここで店にイチャモンつけるっつーことは那智大社の神様に喧嘩売るも同然やどコラッ!
隊長
「うるさい
俺が神じゃっ」
※お店
「サッサと地元帰って牛の世話でもしとれやっ」
なんて感じで押し問答してる間にバスがお店に到着しちゃって食事の準備が出来てなくてお客様を怒らせて隊長もお店もアタフタ
o(T△T=T△T)o
なんて事は日常茶飯事です
尚、先の電話での会話はデタラメですから
バス乗務員さんと添乗員が食事をする施設も誰もいない
なんで観光客来てくれないんやろか
地元の人達みんな頑張って待ってるのに~
☆
お客様と一緒に那智大社のお詣りを済ませて表参道を下っていたら茶屋のオバチャンに捕まった
「てぇ~んじょ~いんさんお疲れさまぁ~
さぁ~さぁ~お茶でも飲んでって
美味しいこぉーひぃー入れてあげるからぁ~」
添乗員さえ取っ捕まえればツアーのお客様もゾロゾロと金魚の糞みたいについて来て店に入ることをオバチャンは心得ております
お店はオバチャンのもくろみ通り満杯になりました
まぁ、
これも救済です
この日最後の目的地は日本一の名瀑「那智の滝」です
豪雨の後はかなり様子が変わりました
滝壺がガラガラの岩で埋まってしまってますし、
川にも倒木が散乱していてものすごい事になってました
画像の滝を一般的に那智の滝と呼んでますが、本来は山の中に30以上もある滝を総称して那智の滝が正解です。
☆
今回は隊長もお客様もバス乗務員さんも運が良かったです。
頑張ってる人達に関わり合えたし、無事だったものは無事と確認出来た。
那智の滝では、本来予定に無かった団体写真を地元の写真屋さんにお願いして撮影した。
お客様は全員写真を買ってくれた。
写真屋さんはすごく喜んでくれた。
バス車内は沢山のお土産物で溢れ返った。
東北の事はよく分からないけれど、
熊野の人々は観光客を受け入れようと待ち構えてます。
観光客がドバーッと来れば町が整うレスポンスも上がる。
治って落ち着いてからお詣りに行くのではなく、
早く詣って治してあげること。
我々が治るの待ってたら治らないよ。
待ちくたびれて倒れちゃうから。
今年は熊野ツアーを大いに宣伝してあげて、食堂のオッサンと喧嘩を再開することが隊長の仕事のひとつになりました。
待ってろジジイ
終。。