鉄道をテーマにしているブログにしては、ここのところ、全く鉄分が不足している。
他方、オリコン1位を取り上げるという、もはや、終わりの見えないブログテーマも立ち上げている。
そこで、「鉄分」が多い曲でオリコン1位を取り上げようかな?
冬の駅
小柳ルミ子(昭和49年)
「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」「京のにわか雨」に続いて通算4作目となる週間オリコン首位。
作詞:なかにし礼
作曲:加瀬邦彦
概して、歌謡曲の「駅」は、出会いよりも別れの場面設定が多い感じ。
出会いの場面を描いていても、それは別れた後の思い出だったりする。
例えば、野口五郎の「私鉄沿線」(昭和50年)もしかり。
♪改札口で君のこと いつも待ったものでした~
したがって、「駅」には、春や夏は似つかわしくなく、秋、冬が必須。
例えば、「終着駅」(奥村チヨ、昭和46年)
♪落ち葉の舞い散る停車場は
悲しい女の吹き溜まり
吹き溜まる落ち葉は、掃いて捨てるのが大変。
それは、悲しい女も一緒。どこに捨てようか?
これを踏まえて、「冬の駅」
曲のタイトルとしては、何の工夫もない。
♪白い朝もや流れる
冬の淋しい停車場
あなたの無事を祈って
これが運命(さだめ)と つぶやくの
→「冬の駅」と言いながら、実は「停車場」
奥村チヨの「終着駅」も「駅」と言いながら、停車場。
鉄道用語では、停車場(ていしゃじょう)は駅よりも意味が広く、
操車場や信号場等行き違いや待ち合わせなどを含めて列車が発着するところは全て停車場。
だけど、歌謡曲では、「ていしゃば」
例えば、
♪ 夜明けの停車場(ていしゃば)に降る雨は冷たい
(石橋正次「夜明けの停車場」昭和47年)
田舎の小駅。ホームに屋根もなく、単線。
そんなイメージだろうか?
だけど、石川啄木
ふるさとの 訛(なまり)なつかし停車場(ていしゃば)の
人ごみの中に そを聴きにゆく
これは、東北出身者が訛りを聞きに行く「上野駅」
「ああ上野駅」、♪上野はおいらの心の駅だ
なのだけど、上野駅は故郷の田舎の小駅につながっているから、「ていしゃば」なのかもな?
知らんけど。
恋はすべてを奪って
汽車の窓から手をふる
愛はすべてを与えて
涙こらえて 立っている
田舎の「停車場」には、電車もディーゼル車も停車しない。
「汽車」だ。
この歌がリリースされた昭和49年は、まだ、「汽車」が田舎では残っていた。
この翌年、昭和50年12月、室蘭発岩見沢行き、C57がけん引する列車が最後の定期列車。
ひと駅だけでも あなたと一緒に
朝の汽車に乗っていきたかった
昭和49年。オイルショックの翌年だけど、
過疎は止まらず、地方から都会に就職・進学。
支線の田舎の小駅から汽車に乗って、大きな駅で本線を走る急行に乗り換えて、花の東京に。
田舎に就職した彼女は、彼を駅で見送るだけ。
そういえば、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美、昭和50年)も同じような場面、時代背景だった。
わたし恨んでいないわ
悲しい思いしたけど
恋に苦しむ女は
きっときれいになるという
果たして、きれいになるかどうかは保証の限りにないが、
そうでも思わないと、高度成長が周回遅れの田舎に残った者は
やるせない。
テレビの民放は2局。そんな時代だった。
週刊誌も2日遅れ。
だが、このレコジャケみたいなおねえさんが、田舎の小駅にたたずんでいたら、
すぐに田舎では噂とか、評判になるに相違ない。









