職場のおとうさん、おかあさんの話によれば、
今年の高校の卒業式は、3月1日が日曜日なので、
2月27日派と、3月2日派に分かれているようだ。
この辺は学校長の判断なんだろうな?
で、季節柄、
ラジオからは、いわゆる「卒業ソング」が
ここぞとばかりに流れている。
MCのアナウンサーや、リスナーの世代によるのかもしれないけど、
・赤い夕陽が校舎を染める「高校三年生」世代
・悲しいことがあると開く「卒業写真」世代
・恋人よ僕は旅立つ「木綿のハンカチーフ」世代
・雨に濡れたメモには東京の住所が「制服」世代
・卒業だけが理由じゃない「春なのに」世代
とか、世代によって好みは違うだろうが、
卒業ソングが鬼リピで放送されている。
卒業って、保育園・幼稚園、小学校から大学まであるんだろうけど、
歌謡曲の世界では、やはり、高校の卒業が主流。
しかも、地方から都会に就職(進学)するっちゅうシチュエーションが
いたく好まれる。
これって、地方人にとっては、深刻な過疎化、人口の東京一極集中なので、
単純に感傷に浸ってばかりはいられないのだけどね。
さて、
「木綿のハンカチーフ」や「制服」といった昭和50年代、
ざっくり半世紀前は、
地方ではまだまだ大学進学率が低く、
男子は進学しても、女子は就職という時代だった。
修学旅行も女子だけ。
男子はどうせ受験で都会に行くからっちゅうのが理由。
男子の進学組は女子修学旅行の期間中は、模擬テスト三昧。
進学組の女子はどうしてたのか、知らんけど。
不適切にもほどがある時代だった。
しかも、就職であっても、男子は都会に、
女子は地元に、そして24歳までにはお嫁さんにという
コンプライアンスのない、そういう時代だった。
男女雇用均等法が昭和60年で、
いわゆる総合職のキャリアウーマン(すごいワード)もようやくこのころ。
弊社でも同期の女性総合職って数えるほどだったけど、
少数精鋭で幹部に登用されていた。
昭和50年代をリアルに生きてきたおじさんたちにとって、
太田裕美も聖子ちゃんも、地元で就職し、
その彼は東京に就職(聖子ちゃん世代だと進学率も高くなったけど)。
都会の絵の具に染まったら、帰ってこない
そういう青春を送ったものだと思っている。

去年リリースされた聖子ちゃんのシーデー
ユーミン(呉田軽穂)作品集。

「制服」は赤いスイートピーのB面扱い。
A面の「赤いスイートピー」は並みの売り上げだけど、
記憶に残るスタンダードになった。
ちなみに、「木綿のハンカチーフ」のハンカチ王子は、
東へと向かう列車で上京するんだけど、たぶん、九州から夜行急行なんだろう。
とある話によれば、太田裕美の担当ディレクターが、衰退していた北九州の炭鉱地域の出身で、
駅のホームでは集団就職のために都会へ出て行く家族や恋人を見送る人たちの姿をよく目にした、
という話を作詞の松本隆に話していて、それを素材にしたらしい。
木綿のハンカチーフは1975年冬のリリースだけど、
同年3月に山陽新幹線が博多開業。
だけど、作詞の世界は、山陽新幹線開業前なんだろうな?
ついでに、
博多界隈だと、
博多出身、チューリップ「心の旅」(1973年)
♪
あ~明日の今頃は、僕は汽車の中
田舎では、電車以外の、機関車が客車をけん引する列車は、すべて「汽車」。
なので、財津和夫は、博多発の夜行客車列車に乗り込んだんだろうと想像する。
例えば、急行「霧島」
西鹿児島 14時33分発
博多 20時46分発
東京 翌 15時56分着。
東京に着いたらもう夕方。
昭和の就職、進学は急行列車で一昼夜かけて花の東京に向かったんだ。
簡単には田舎には帰れない。
花の東京には、失うもの以上にあるものがあるはず。
そういう決意だったんだろうな?
田舎に暮らし、田舎で進学・就職し、田舎で前期高齢者になったおじさんにとって、
花の都に向かった同輩は偉く見えたもんだ。
以上!