軽音楽を「鉄」に  ~それが、どうしたと言うのだ。良いではないか。~  とはいえ,ここは,松田聖子

軽音楽を「鉄」に  ~それが、どうしたと言うのだ。良いではないか。~  とはいえ,ここは,松田聖子

親父の青春とは何だ!!
軽佻浮薄な音楽独り言。
巷の話題にも無責任に首をつっこむ「中高年日記」

POPSのリズムは、鉄路のリズム。





  日々是更新!! 加齢臭すら分からなくなった親父が、 


  昭和と平成の和洋POPSを回顧し、


  今までにもまして身勝手なブログに私はなりたい。



着拒。着信拒否の略語だけど、

黒電話の時代は、相手の電話番号もわからないので、迷惑電話対策はなかったに等しい。

いつぞや、ナンバーディスプレーの固定電話が普及して、ようやく、着信拒否ができるようになったし、

「非通知」番号を一律に着拒できるようにもなった。

 

非通知って、名も名乗らずに電話をするのだから、非礼極まりない。

 

「猪口才な小僧め名を、名を名乗れ!」 

「赤胴!鈴之助だ! 」

 

「名を名乗れ」って、「頭痛が痛い」と同じ重複表現っぽいけどね。

 

0800とか、0120とかは、まず出ない。

すると、4~5回のコールで向こうから切って来るし。

 

スマホへの迷惑電話は、速攻で着拒。

怪しげな番号は、ネット検索して着拒。

 

それを考えるに、黒電話時代の、特に夜更けとかの迷惑電話は困ったものだ。

 

誕生日には カトレアを忘れない

優しい人だったみたい けれどおしまい

 

夜更けの電話 あなたでしょ
話すことなど 何もない
Making good things better
愛は消えたのよ 二度とかけてこないで
疲れ果てたあなた 私の幻を愛したの

 

 

 

黒電話だと、せいぜい「二度とかけてこないで」って拒否するくらいしか術がない。

 

 

いまや、着拒。ラインなら消去。

未練たらしくがたがた言うものなら、ストーカー扱いで警察介入。

 

 

車中で、オリビアを聴きながらそう思う初夏だぜ!

 

 

 

オリビアを聴きながら

1978年 杏里デビュー曲

作詞・作曲 尾崎亜美

我が家の桜も、昨日の風雨、花散らしの雨、今朝の風で花吹雪状態。

最高気温も24℃とかで、もはや初夏。

街路樹のつつじも満開だし。

晩春なのか、初夏なのか。

 

とはいえ、気持ち的には、桜も咲いて、「春うらら」と言えば、

 

♪春のうららの隅田川

のぼりくだりの船人が

櫂のしずくも 花と散る

ながめを何に たとうべき

 

文部省唱歌「花」

タイトルが「墨田川」じゃないところがクイズのネタ。

 

 

♪ ウララ ウララ ウラウラで

ウララ ウララ ウラウラよ

ウララ ウララ ウラウラの

この世は私のためにある

 

これって、いまでも甲子園の高校野球、応援演奏の定番

1973年山本リンダ「狙いうち」

 

「ウララ」は何回歌われるか?というクイズのネタにもなっているみたいだった。

 

で、本日取り上げるのは、弊ブログだと、

田山雅充 「春うらら」(1976年)

なのだが、

 

そもそも「うらら」って、

漢字で「麗しい」の「麗ら」。

空が晴れて、日が柔らかくのどかに照っているさま。

っちゅう意味らしい。

 

 

 

 

みぞれまじりの春の宵
ふらりこたつにくるまって
ふれあう素足がほてるほてり
さそいかけよか 待ってよか

 

という風情で、

以下、お話が想像の通り進行していく。

 

吉田拓郎の「旅の宿」っぽい感じもある。

 

ともあれ、若い人はいいよな。

 

昭和のヤングには、知っている人も多いと思うけども、

 

「さようなら」って、「左様ならば」っちゅう接続詞が語源。

続いていた話題に一区切りをつけ、「それならば」「しからば」「そういうことでしたら」という結論へいたるための接続詞だとか。

 

 

以下、鎌倉女子大学の「たより」から抄録するに、

 

日本人は、ある出来事から次の出来事に移る時、そこで一旦立ち止まってその場を総括すると いう傾向がある。

そこを総括することが次のことに移っていく、新たな展開を可能にする というところがある。

つまり、日本人は、それまでの経験を振り返り、それを確認することによって、将まさ に来きた ら んとする新しい世界に臨もうと身構えるのだ、あるいは覚悟するのだというのです。

 

そし て、これまで何とか無事に歩んで来たことを確認出来たわけだから、そうであるならば ・・・・・・・・ 、

その先もきっと同じように歩んでいくことが出来るに違いない、だからきっと大丈夫だよ、 

「さようなら」という言葉の中には、そうした決然とした思いや祈りにも似た願いが込め られているというのです。

 

 

なるほど。

「さようなら」だけでは別れの意味はなく、「さようならば」といったん話を打ち切って、「これにて失礼します」と挨拶後を述べるのが正しい別れの挨拶ということのようだ。

 

 

「さらば」も同様で、漢字で「然らば」と書き、

「そうであるならば」という意味の接続詞が転じて、「さようなら」と同様に、別れの挨拶として使われるようになった。

 

「仰げば尊し」の「今こそわかれめ いざさらば」

ってそういう感じ。

 

ということを踏まえると、

「さよなら」よりも「さようなら」のほうが意味を実感しやすいっちゅうことだ。

 

いずれにせよ、

「さよならは別れのことばじゃなくて」というのは大正解。

 

さりとて、

「再び会うまでの遠い約束」なのかどうかは不明。

 

 

 

ともあれ、「さようならは五つのひらがな」に過ぎないわけであるけども、

「たった五つのひらがなに秘められた女のすすりなき」に留意しなければならない。

 

 

 

あしたから あしたから ただひとり

あなたのくれた 悲しみを

あなたの 代わりに抱いていくのよ

 

こりゃ、

昭和40年代中葉の演歌的女性観。

 

「さようならは五つのひらがな」

黒沢明とロス・プリモス(1968年)

作詞:星野哲郎

作曲:中川博之

 

ムード歌謡グループだけど、

ベースギターは、ポールマッカートニーご愛用の

バイオリンベース!!

時代を感じるぜ!

 

 

 

 

 

 

 

職場のおとうさん、おかあさんの話によれば、

今年の高校の卒業式は、3月1日が日曜日なので、

2月27日派と、3月2日派に分かれているようだ。

 

この辺は学校長の判断なんだろうな?

 

で、季節柄、

ラジオからは、いわゆる「卒業ソング」が

ここぞとばかりに流れている。

MCのアナウンサーや、リスナーの世代によるのかもしれないけど、

 

・赤い夕陽が校舎を染める「高校三年生」世代

・悲しいことがあると開く「卒業写真」世代

・恋人よ僕は旅立つ「木綿のハンカチーフ」世代

・雨に濡れたメモには東京の住所が「制服」世代

・卒業だけが理由じゃない「春なのに」世代

 

とか、世代によって好みは違うだろうが、

卒業ソングが鬼リピで放送されている。

 

 

卒業って、保育園・幼稚園、小学校から大学まであるんだろうけど、

歌謡曲の世界では、やはり、高校の卒業が主流。

しかも、地方から都会に就職(進学)するっちゅうシチュエーションが

いたく好まれる。

 

これって、地方人にとっては、深刻な過疎化、人口の東京一極集中なので、

単純に感傷に浸ってばかりはいられないのだけどね。

 

さて、

「木綿のハンカチーフ」や「制服」といった昭和50年代、

ざっくり半世紀前は、

地方ではまだまだ大学進学率が低く、

男子は進学しても、女子は就職という時代だった。

修学旅行も女子だけ。

男子はどうせ受験で都会に行くからっちゅうのが理由。

男子の進学組は女子修学旅行の期間中は、模擬テスト三昧。

進学組の女子はどうしてたのか、知らんけど。

不適切にもほどがある時代だった。

 

しかも、就職であっても、男子は都会に、

女子は地元に、そして24歳までにはお嫁さんにという

コンプライアンスのない、そういう時代だった。

 

 

男女雇用均等法が昭和60年で、

いわゆる総合職のキャリアウーマン(すごいワード)もようやくこのころ。

 

弊社でも同期の女性総合職って数えるほどだったけど、

少数精鋭で幹部に登用されていた。

 

 

昭和50年代をリアルに生きてきたおじさんたちにとって、

太田裕美も聖子ちゃんも、地元で就職し、

その彼は東京に就職(聖子ちゃん世代だと進学率も高くなったけど)。

都会の絵の具に染まったら、帰ってこない

そういう青春を送ったものだと思っている。

 

 

 

去年リリースされた聖子ちゃんのシーデー

ユーミン(呉田軽穂)作品集。

 

 

 

「制服」は赤いスイートピーのB面扱い。

A面の「赤いスイートピー」は並みの売り上げだけど、

記憶に残るスタンダードになった。

 

 

 

ちなみに、「木綿のハンカチーフ」のハンカチ王子は、

東へと向かう列車で上京するんだけど、たぶん、九州から夜行急行なんだろう。

 

とある話によれば、太田裕美の担当ディレクターが、衰退していた北九州の炭鉱地域の出身で、

駅のホームでは集団就職のために都会へ出て行く家族や恋人を見送る人たちの姿をよく目にした、

という話を作詞の松本隆に話していて、それを素材にしたらしい。

 

木綿のハンカチーフは1975年冬のリリースだけど、

同年3月に山陽新幹線が博多開業。

だけど、作詞の世界は、山陽新幹線開業前なんだろうな?

 

ついでに、

博多界隈だと、

博多出身、チューリップ「心の旅」(1973年)

あ~明日の今頃は、僕は汽車の中 

 

田舎では、電車以外の、機関車が客車をけん引する列車は、すべて「汽車」。

なので、財津和夫は、博多発の夜行客車列車に乗り込んだんだろうと想像する。

 

例えば、急行「霧島」

西鹿児島 14時33分発

博多   20時46分発

東京 翌 15時56分着。

 

東京に着いたらもう夕方。

 

昭和の就職、進学は急行列車で一昼夜かけて花の東京に向かったんだ。

簡単には田舎には帰れない。

花の東京には、失うもの以上にあるものがあるはず。

そういう決意だったんだろうな?

 

田舎に暮らし、田舎で進学・就職し、田舎で前期高齢者になったおじさんにとって、

花の都に向かった同輩は偉く見えたもんだ。

 

             以上!

前週末は、南国でも6cmの積雪。

北陸、東北、北海道の方々に比べれば、

誤差の範囲かもしれないのですが、

暖房を入れない部屋で一晩寝ていたら、

朝、室内が10度以下。

これは初めての事態でした。

 

小樽は寒かろ 東京も

こんなにしばれる 星空だから

 (小樽のひとよ 鶴岡雅義と東京ロマンチカ 1967)

 

 

北海道の人々にとって、 

小樽が寒いと、東京も寒いかも?

までは想像できても、

流石に、

南国九州も寒いところまでは、

想像がつかないんだろうな?

 

 

北海道の冬は寒いのは当然で、

当然、

冬のシベリアはかなり寒いはず。

 

「冬のシベリア」

1982年、松本隆、大瀧詠一のコンビで森進一が歌って大ヒット。

 

  あいつによろしく伝えてくれよ
  今ならホテルで寝ているはずさ
  泣いたら窓辺のラジオをつけて
  陽気な唄でも聞かせてやれよ

  アメリカの貨物船が
  桟橋で待ってるよ

 

東西冷戦中、シベリアにアメリカの貨物船??


  冬のリヴィエラ 男って奴は
  港を出てゆく船のようだね

 

リビエラ?

シベリアではなくて!!

 

  哀しければ哀しいほど
  黙りこむもんだね  

 

前年(1981年)、大いに売れた大瀧詠一のアルバム「A LONG VACATION」

これに収録されたのが、「さらばシベリア鉄道」で、

その前年、太田裕美のレコードで既に流行していたもの。

 

 

 

演歌の森進一は、かつて、歌謡曲系ではなくて、

フォーク・ニューミュージック系の

吉田拓郎の「襟裳岬」=北海道=で日本レコード大賞を受賞。

 

そういう前提で、

「さらばシベリア鉄道」を太田裕美に提供し、

セルフカバーもした

ポップ・ロック系の松本隆、大瀧詠一が、

森進一に提供した曲は、

「冬のシベリア」のはずという耳で、

ラジオやテレビを見聞きするので、

最初のころは、

「冬のリヴィエラ」に聴こえるはずもなく、

 

ふ~ゆ~の~

シベリア~

男ってやつは~~

 

って聞こえていたはず。

 

 

改めて、レコジャケを見てみよう。

どう見ても「冬のリヴィエラ」である。

 

だが、地中海の「リビエラ」って、夏のイメージであって、

冬はやはり「シベリア」であると、今でも思っている。

いずれ、

「冬のツンドラ」

をリリースしていただきたい。