今週火曜日(2月11日)は思いの外早く目覚められたので、着替え・洗顔等のすることを済ませてからことしのEaster postcard(イースターカードとも)のデータを組み上げていつでも打ち出せる(印刷できる)ようにした。

 

 『さっぽろ雪まつり』や中華圏の「旧正月」などもあり大事な仕事が思いの外忙しかった為か当初の予定通りにデーターの組み立てが進まなかった感は確かにあるが、ことしのEaster postcardも比較的サクッと組み上げられたのではなかろうかと感ずる{打ち出してから(印刷してから)このブログにて公開するつもりだ}。また、本稿執筆時点に於いてはこれまた当初の予定より幾分か遅い感があるけれども、早ければEaster postcard用のハガキを3月6日(木曜日)の退勤時に北広島市某所にある仕事の拠点の近くにある小さな郵便局に寄り購入・3月7日(金曜日)に栗山町の拙宅にて打ち出し、3月10日(月曜日)若しくは3月12日(水曜日)辺りに宛名から少しずつ書き始める計画でいる(本稿執筆時点に於いては、後者から始めたい)。ホンネとしては3月5日{ことしはこの日が「灰の水曜日」(Ash Wednesday)に当たる}から少なくとも宛名書きを始めてしまいたかったけれども、大事な仕事の忙しさから来る「心的疲労感」が要因として考えられる(>_<;)。

 

 2024年9月上旬に仕事の拠点の行事として栗山町を訪問する機会があり、そのときに地元の動物園にも行ったけれども、僕自身でもそれ以前にその動物園に行く機会を開拓して「ウサギ」さんの写真を撮っていた(exempli gratia: vide infra)。

 

 

本稿に掲載している「ウサギ」さんの写真は僕自身で地元の動物園へ出掛ける機会を開拓したときに撮った中のごく一部だが、誤解を恐れず正直に申し上げてしまうとそれぞれを撮るときことしのEaster postcardが視野にあったかも知れない。尚、2番目に掲載した「ウサギ」さんの写真は2024年のChristmas card(IPA:[kr̥ɪ́sməs kʰɑ̀ɚd]若しくは[kr̥ɪ́sməs kʰɑ̀ːd] クリスマスカードとも)の1つにも貼ったので今思えば(ヤヤ)意外な仕上がりとなったと申せよう(vide infra)。

昔、何かでEaster bunny([íːstɚ bʌ́ni], [íːstɚ bʌ̀ni], [íːstə bʌ́ni]若しくは[íːstə bʌ̀ni] イースターバニーとも)が家の中に卵を隠していくという伝説{と申し上げてしまうのは甚だ疑問だが……(焦)}を聴いたことがあるので、そのイメージにする狙いのもと「ウサギ」さんの写真を貼って作っている。勿論2024年のEaster postcardにも「ウサギ」さんの写真を貼ったけれども(vide infra)、同じ年に地元の動物園での「ウサギ」さんの子供(videlicet:「子ウサギ」さん)の誕生の報(シラセ)をSNSで知って撮りに出掛けたときもあるので、「『子ウサギ』さんの写真をも貼りたい」と考えていたかも知れない。今思えば。

 

 無論ことしもまた地元の動物園を訪問して「ウサギ」さんの写真を撮りたいが、きたる2026年のEaster postcardが「一切視野に無い」と申し上げると確かに嘘になってしまう。ただ、これは―いや、「これこそが」―「ウサギ」さんの写真を撮る「大きな目的の1つ」と言い切って差し支えなかろう。僕にとっての。

 京都在住というChristianのある方のブログを拝読すると関西式の日本語が織り込まれているので、その表現の仕方の愛着とそれらを大切にされていることが解る。

 

 実体験として、中学生と高校生との頃に北海道外へ学校行事で伺う機会があったときに、北海道外の場所で何故か北海道式の表現が妙に懐かしく感ぜられるときが増える現象が起きたことを覚えている(まあ、俗に言う「あるある」と申し上げても差し支えなかろう)。そして、社会人になって初めて在住する地域独特の表現(id est:俗に言う「お国訛り」)にそれ相応の「誇り」を持つことの大切さを痛感する僕がおり、その方のブログを拝読し始めたことをきっかけとして僕も「このブログの記事に北海道式の表現を所々に織り込んでみよう」と感ずる機会が少しだけ増えている印象を受ける{そのChristianの方には、心より感謝するばかりだm(_ _)m}。ちなみに、以前執筆した記事・『僕はどうだべか?』のタイトルも北海道式の表現だが、「~だべか?」という尋ね方についてもまた、「北海道式の尋ね方としては比較的ポピュラーなはずだ」と感ずる表現の1つなのでズバリタイトルとして用いてみたに過ぎない。

 

 そこで、北海道在住の者として密かに「広まれ~!」と感ずる表現の仕方を本稿でも2つ挙げてみようと思う。それはどのような表現か?「ばくる」とその名詞形・「ばくりっこ」とだ。あくまでも「恐らく」だが、「ばくる」という動詞が元々の活用で、そこから「ばくりっこ」という活用が派生し北海道に於いてこの活用が広まり・定着して軈(ヤガテ)名詞の1つとなった、という感じだろう。「ばくる」は「物々交換する」ことを示す動詞(exempli gratia:僕の家の家庭菜園で作ったナスと、そのカボチャとをばくりませんか?)として用いられ、その名詞形として「ばくりっこ」(物々交換)が存在する。無論この「ばくりっこ」という語がどのような経緯(イキサツ)で派生し・広まったのかについては不明だが、僕にとっては「物々交換」と「ばくりっこ」との違いとしてニュアンスが1つあるような気がする。あくまでも僕の言語感覚に過ぎないが、先ほど例示した表現の中の「ばくりませんか?」の部分で「物々交換しませんか?」を用いると稍(ヤヤ)硬い響きという印象を受けてしまうときがある。無論改まった場面やおおやけの場面では「物々交換する」や「物々交換」の語の方が相応しいと感ずるけれども、例えば親しい間柄同士ではそれらよりも寧ろ「ばくる」や「ばくりっこ」を用いる方がある種の「温かみ」を感ずるのではなかろうか。また、あとになってから時代の変遷に伴って「ばくりませんか?」と「ばくりっこしませんか?」のような活用のされ方が併存するようになった可能性は大いに考えられる。

 

 そこで、このブログをお読み下さる方々にあっては本稿を参考にして、「ばくる」の語と「ばくりっこ」の語とを親しい間柄同士では大いに広めて頂けると北海道在住の人間としては嬉しく思う。また、僕にとっても大切にしたい表現だ

 (観光マナーの悪化原因としてWeb動画が1つ考えられるけれど、だからと言って対象の観光客や観光業界などだけを糾弾するのは絶対違うべね……。)

 

 観光客のマナーの悪化は以前も申し上げている通り確かに深刻化するばかりの印象を受けるので、「これを受けて」という訳でないけれども「観光依存からの脱却」をこのブログに於いて繰り返し呼び掛けているのだが、僕たち北海道人も人間「でしかない」以上能力には必ず限界が存在する(>_<;)。無論本稿冒頭にて申し上げている通りWeb動画の急速な普及などの社会環境の大きな変化は観光マナーの悪化要因としてあり得るにはあり得るが、斯く申し上げる僕も北海道在住の人間だからと言って全道を「いつでも隈無く回れる」とは限らない。あまつさえ、以前も申し上げた通り僕の地元・栗山町でさえも伺ったことのない場所が多過ぎるので(詳細は、記事・『僕はどうだべか?』を参照せよ)、これを事実として真正面から受け止め、栗山町出身の僕もまた観光依存から脱却する為の取り組みを起こしていかなければならない。

 

 2月11日、北広島市某所の仕事の拠点に於ける夕食時に掛けられていたニュース番組の中でも『さっぽろ雪まつり』のスタッフに雪玉を投げ付ける暴挙を仕出かした外国人観光客を例とする観光客のマナーの悪化について取り上げられたときに、「雪像を設置してある間は観光客の会場への立ち入りを禁ずるっきャないべ!!」(id est:雪まつり会場の様子を、それこそInternetで中継・配信等すりャあ良いべさ!!)などと感ずる僕がいた。ただ、このように強いようモノならばそれこそ観光客は勿論観光業界の方々ばかりを糾弾してしまう結果となり、理不尽な苦情ばかり出すことに等しい(当然、これは僕も金輪際望まない)。斯く申し上げる僕は1度だけ、高等学校2年生の終わり頃に札幌の雪祭りを見に家族で行ったことがあるけれども、今思えばそれから既に20年が過ぎていて且つ本稿執筆時点に於いて僕にとっては唯一の機会だった。札幌の雪祭りに伺う。また、20年が経てば社会環境が大きく変化するのも至極当然だ

 

 以前何かで北海道の特徴として「観光資源が豊富」との旨を拝読したことがあり、この点があってそれなりに道内外問わず観光客の方々も訪問したくなる気持ちは解る部分がある。しかし、既述の通り僕たち北海道人も人間「でしかない」以上いつでも北海道を観光できる訳でなかろう。僕も「北海道」へ視野を広げると未踏の場所の多さと北海道の広さとを同時に心底痛感している。大学院生の頃にOkhotsk海側へ家族旅行で出掛ける機会もあったけれども、そのエリアも伺ったことがある場所は極一部だけだ。愛聴番組・『札駅前バンガーズ』の出演者・MAXXXINEさんのInstagramの「ストーリーズ」を拝見した時に『網走市』もまた未踏の場所である点が思い当たった。MAXXXINEさんが『博物館 網走監獄』を見学なさった旨をそこに投稿されていたけれども、「『博物館 網走監獄』以外にも重要な場所はあるはずだ」と予てより感ずる僕がおり、もし機会の開拓へと神さまが導いて下さるならば『網走市立郷土博物館』へ伺ってみようと思う。僕ならば。

 

 「北海道」へ視野を広げると未踏の場所の多さに唖然とする。特に「外国人観光客」に依存しない北海道を創るにも、北海道在住の人は可能な限り広く・深く北海道を知らなければならない。僕もその1人として痛感している。

 偉大なる天の父なる神さま、あなたのとうといお名前を心より崇めて讃美致します。

 

 人気歌手・Whitney Houston{出生名:Houston, Whitney Elizabeth(1963~2012)}があなたのみもとへ帰ってからきょうで13年の歳月が経つことになりました。その報(シラセ)はラジオを通して突然知り、思わず大声で「まさか!」と叫んでしまったことは今も鮮明に覚えており、あとからInternetで検索してその原因を知ったときは更にショックが大きくなってしまいました。僕自身Whitneyとお会いしたことも無ければWhitneyに詳しい訳でもないのですが、少なくとも2回、この北海道に於いてもWhitneyがコンサートを行ってくれたことを同じようにしてあとから知ったのでWhitneyがこの地上にいない事実を今も受け入れられないことは確かです。また、Whitney自身が「この地上の命をまだ生きていたかった」という悔しさを最も強く感じていることは間違いなかろうと思います。

 

 「Whitneyがもし僕たちと一緒にこの地上の命を生きているならば今の北海道を見てどのように感ずるのか」という思いを持つ僕がいることもまた確かですが、Whitneyにあっても人間「でしかない」以上思い煩ったからと言って地上の命をのばすことなどできる由など無く、あなたのご計画の上を歩むに過ぎません。勿論僕はWhitneyでないのでその悔しさに共感することは叶いませんけれども、仮令(タトエ)地上の視点からとらえて「まだ若い」と感ぜられながら召される結果となってもWhitneyにあっては地上の命に於ける「死」を以って「すべての終わり」ではありません

 

 どうぞ、Whitney自身がまずはあなたのみもとにて安らぐことのできますようにお願いします。そして、Whitneyのお子さんも既にあなたのみもとに帰っているとの旨を伺っていますので、親子共々あなたのみもとにある安らぎと喜びとを味わうことのできますようお願いします。また、Whitneyとつながりのあるすべての方々にあなたの御手(ミテ)にある憐れみと慰めとが示されますようお願いします。そして、Whitneyのサポーターお1人おひとりにもあなたが御手にある慰めを注いで下さいますようお願いします。そして神さま、Whitneyが遺してくれた楽曲がこれからも広く愛されつつ、あわよくばより多くの人に知られ、また歌い・演奏され継がれていくことのできますようお願いします。最後ですが、このお祈りが、この僕の素直な思いを込めつつもあなたとイエスさまとにしっかりと縋(スガ)り・信頼し・仮令どのような状況下に置かれても真実に感謝を以って、誰よりもWhitney及びつながりのあるすべての方々とサポーターの方々との為の執り成しのお祈りとして真実にお捧げする為のお祈りとなることのできますよう、何卒宜しくお願いします。

 

 あなたにすべてを期待し委ねて、愛するイエスさまのお名前によってお祈りをします。

 

アーメン

 

 

 本稿執筆時点に於いてはあくまでも「検討中」に過ぎないが、ことしのゴールデンウィークの後半初日{5月3日(土曜日・憲法記念日)}直前の出勤日(videlicet:5月2日)は勤務を終えたらCocono Susukinoを経由し、札幌から高速バスに乗って僕の地元・栗山町へ帰ることを検討している。

 

 何度も繰り返し申し上げている通りCocono Susukino(以下、Cocono)には「サテライトスタジオ」があって、僕の愛聴番組・『札駅前バンガーズ』(Every Friday, 5:00 PM~8:00 PM@FM North Wave)がそのサテライトスタジオから公開生放送されるからだ。当然実現するか否かは不明だが、もし可能なら(あくまでも「可能ならば」)その出演者・MAXXXINEさんとのツーショット写真を撮って頂いたり、僕がこれまでにCTS(New Chitose Airport)で撮ってきた旅客機の写真や28年振りに訪問する機会を手にした『泉記念館』や『開拓記念館』の外観、そして両記念館内の展示内容の写真をお配りしたりなどをしたい。無論「MAXXXINEさんもご多忙だろう」と感ずるので「何としても」と申し上げてしまうつもりは金輪際無い(id est:あくまでも「あわよくば」に過ぎない)。但し、両記念館の外観や展示内容の写真からMAXXXINEさんにとっても両記念館や栗山町をご訪問になるチャンスを開拓するきっかけの1つとなれば嬉しいことはここで改めて申し上げるまでも無いかも知れない。

 

 FM North Wave(Northと略することもある)を本格的に聴き始めたのは社会人になって3年目の6月からと比較的遅いが、俗に言う「プロ野球」のシーズンに左右されない番組ラインナップを魅力的に感じたことが特に大きい。中学生の頃は「町営バス」(Municipal bus)に乗っての通学が基本だったが、乗務員さんが車内でラジオ番組を掛けるときがある環境だったので何度か繰り返し乗車して通学することである種自然と「家でも聴いてみよう」という気持ちが芽生えたのかも知れない。それから25年の間「ラジオのある生活」を送っている僕だが、「ニーズの変遷」に伴ってNorthやAir-G'を聴くようになったのではなかろうか。今思えば。そして大学院生になってから、札幌で行われるラジオ局のイヴェントなどを通してアナウンサーさんやパーソナリティーさんとの触れ合う楽しさを知り、局のイヴェントもまた楽しみになった僕が居る。それ故、ことしもまた可能なときにこのような「ラジオ活動」(ラジ活とも)をしてみたいと考えている。

 

 もし5月2日にCocono Susukinoへの訪問が実現し、MAXXXINEさんと触れ合うチャンスが生まれれば僕にとって2025年初めての「ラジオ活動」の機会となる。勿論実現するか否かは不明だが、実現すれば嬉しい

 何度も繰り返し申し上げている通り、限りある地上の命を生きるにあたって僕は女性との結婚よりも遥かに重要な使命を神さまにあって拝命しており、その1つに「女性の社会進出や社会的地位の向上などへの献身」{『持続可能な開発目標』(Sustainable Development Goals 所謂SDGs)の1つにも掲げられる}がある。

 

 Satan(IPA:[séɪtn] 「悪魔」を含む敵対者。サタンとも)が手を変え品を変え且つ様々な事柄などに付け込んで僕たちに襲い掛かってくるこの世の中、神さまのご計画の成就に「献身し続ける」姿勢とこれを養い続けることの大切さをいま1度痛感する。神さまが僕をお作りになるにあたり女性との結婚に必要な能力を備えられず且つそれをモノにしようとどこまで努力してもモノにならないようお作りになったところにこそ、この北海道に於ける女性の社会進出や社会的地位の向上への献身の為のチャンスを下さっていて且つこれこそが地上の命に於ける僕の使命であることをいま1度神さまにあって自覚しなければならず、これへの確信をしっかりとしたモノにしなければいとも容易くSatanに付け込まれてしまう。「肉の思い」を敢えて申し上げるならば地上の命を生きるにあたって「生涯未婚」を貫くのは確かに本望ではない。けれども、神さまのご計画の成就に「献身し続ける」には「僕の本望」をどこまでも犠牲にし続けなければならない

 

 そしてこの使命を拝命する者として「見習わなければならない」と強く感ずる生き方をしたお方がいらっしゃる。それは何方か?僕の地元・栗山町の「開拓の父」・泉麟太郎さん(Mr. Rintaro Izumi 1842~1929…vide infra/僕も大変篤く尊敬する)に他ならない

{上:右が泉麟太郎さん、左はパートナーの満津(マツ)さん}

 

泉麟太郎さん(以下、麟太郎さん)は1870(イッセンハッピャクナナジュウ)年、角田藩士家族51名を率いて来道し、室蘭警察署室蘭分署長などを経て1888(イッセンハッピャクハチジュウハチ)年に阿野呂原野に入り開墾に着手なさり、その翌々年に「角田村」の名を公称として提案なさったのだという(泉記念館内のパネルより)。勿論当時を生きた訳でも麟太郎さんでもない僕が申し上げてしまうのは如何なものかと感ずるのが正直なところだが、1870(イッセンハッピャクナナジュウ)年の来道に至るにあたって麟太郎さんはじめ角田藩士家族の皆さんは恐らく「開拓使」としての「強い使命感」を持ったことはまず間違いない。そして麟太郎さんにとって「開拓以降が本格的な使命の始まり」と感じなさったからこそ1893(イッセンハッピャクキュウジュウサン)年の「水田試作」の敢行へと導かれたのだろう。そのように僕は感ずる(Ibidem)。水田試作にあたっては反対する声も少なからずあったといい(泉記念館内のパネルより)、当時の人々の中には「臍が茶を沸かす」などと感じた人ももしかしたらいたかも知れない。確かに当時の北海道は今よりも冬の環境が遥かに厳しく且つ今のように「美味しい」お米がある訳でもなかった。それでも麟太郎さんはこの厳しい環境にあって高瀬さんと手を組み水田試作を行われたというので(Ibidem)、「まさに『敢行』という語が相応しかろう」と感ずる。そしてこの年300~420kilogrammesという収量を得た旨は小学校の社会科の授業でも「副読本」で習っており、麟太郎さんが遺した大きな功績の1つ。

 

 もし僕が麟太郎さんの立場ならば水田試作に反対する声があるだけでまず間違いなく屈服してしまうところだ。勿論麟太郎さんご自身が当時どのように感ぜられたかは不明だが、「何としても成し遂げて見せるぞぉぉぉ!!」という思いや「今でなければ、そして僕でなければいつ・誰がするんぢゃい!!」などという思いもお持ちだったろうと感ずる(麟太郎さんが懸ける、言葉にならない程強い「熱情」を感ずる僕だ)。また、これもまた麟太郎さんご自身がどのように感じなさっているのか不明だけれども、麟太郎さんもまた神さまにあって品性を練られながら来道へと導かれたからこそ阿野呂原野の開墾や水田試作の敢行の為に必要な力を得、水田試作にあたっても麟太郎さんがお持ちの「使命感」の強さを神さまがご存知であられるからこそ御技(ミワザ)によって守られ300~420kilogrammes{副読本には5~7俵(ヒョウ)と記され、1俵が60kilogrammesに相当すると習ったことがある}という収量を得られたのだろう。

 

 このときの麟太郎さんの「熱情」と「使命感」とは神さまの御力なしに育ち得ない。僕は実に様々なことに起因し信仰が揺らいでしまい易いので、「使命」との向き合い方について特に麟太郎さんを見習わなければならない。神さまのご計画の成就に「献身し続ける」為に。

 限りある地上の命に於ける女性との結婚をキッパリと諦めたからと言っても、これへの願望を今尚断ち切れない僕がいる。

 

 2024年のうちに「遺言」(Will)を書けるだけ書いてみたけれども、「肉の思い」をここで敢えて申し上げてしまうならば地上の命は古稀{70歳(ナナジッサイ)}まで生きたくなく、あわよくば60代前半までに神さまの御もと(God's Kingdom)へ引き上げられたい。ただ、神さまが定めて下さっている「その時」が具体的にいつなのかは人間「でしかない」以上知る由もない(id est:イエスさまだからこそ「時が来ました」というお祈りができる)。無論「葬儀を考えるには、まだ早い」などというお声も解るには解るが、何度も繰り返し申し上げている通り地上の命に於いて女性との結婚をする資格など僕には無い(記事・『性欲を見つめ直す』をも見よ)。そのようである以上はそれよりも僕の葬儀の在り方について考え、且つそこへ意識を向け続ける方が何倍も効率的。それが現実だ。ただ、女性との結婚に必要な能力が無い存在として創られ、この地上へ神さまが派遣して下さっている僕だからこそ『持続可能な開発目標』(Sustainable Development Goals 所謂SDGs)の1つとして掲げられる「ジェンダー・フリー」の実現に献身する為のチャンスがある。

 

 おととい・きのうとこのブログに於いて示している通り、地上の命が尽きてから、イエスさまのおっしゃる「ゲヘナ」に落とされてしまいたくない(id est:既述の事柄を踏まえれば、まず間違いなく「ゲヘナ」に落とされる)。加えて、ここまでの歩みに於いてSatan{IPA:[séɪtn] 狭義には「悪魔」と解釈されるが、広義には「主(神さま)に敵対する存在」とされるので「悪魔」よりも寧ろ「敵対者」という日本語を充てる方が僕の言語感覚では相応しく感ずる。サタンとも}に対し「防戦一方」の感も強いのが正直なところだ。『四旬節』が近くなっている今、改めて痛感する。僕自身の感じ方としては2023年の終わり頃に前述した記事の冒頭に示した聖句が示され、これを力としつつ広汎性の発達障害の重度化を利用して限りある地上の命に於ける女性との結婚をキッパリ諦め「葬儀」へ意識を向けることでSatanに対し先制攻撃を敢行したつもりだった。だが2024年の1年間はこの故教会でお会いする方々に迷惑を掛け続けてしまい、その結果神さまとイエスさまとへの信頼が大きく揺らぎ「本当にこれで良いのだべか?」と感じさせる力の強い働きを痛感せざるを得なかった印象だ。また、性欲に関しても正直なところ断つに至らなかった(┬_┬)。そして2025年に入ってからもその強い力の存在をいま1度痛感している。無論キリスト教に於いて「性欲を断たなければならない」という製薬会社{制約:Professionalの将棋棋士・豊川孝弘さん(Mister Takahiro Toyokawa)式の使い方を参考にしている}を聴いたことは無いけれども(その製薬会社が存在する場合もあろう)、僕の場合はそれを徹底的に断つ為の手段が必要で、Felix Mendelssohn作曲のピアノ曲集の中の‘Funeral March’(Opus 62, No. 3 『葬送行進曲』とも)以外にそれが無いところは確かにもどかしい。

 

 普段通う地元の教会の牧師先生を通し、僕にとっての人生聖句(新約聖書『マタイによる福音書』Chapter 5、§27~30)は「自分を義とする者」(exempli gratia:律法学者)を前提にイエスさまが語られているとの旨を伺っているけれども、僕もいつ・何が引き金となって「自分を義とする歩み」をしてそのまま進んでしまう危険性を常に含んでいる。人間「でしかない」以上。事実、北海道内で最近しきりに取り沙汰されている某違法動物園に対しての怒りの感情が湧き、「この僕が必ずや、その営業会社の息の根を止めてやる!!」という思いに支配されてしまいこれを捨てるにも殊の外エネルギーを浪費してしまっている感がある。それ故に「心の中の律法学者」の存在を事実として受け止め―CTS(New Chitose Airport)へ旅客機を撮りに帰る機会を手にしてからは特に―「人生聖句」とこれの要約とをいま1度心の奥深くと王座とに深く刻み込み、女性との結婚願望から物理的に遠ざからなければならない。前述の通り、Felix Mendelssohnの書いた『葬送行進曲』を弾く以外に兜の緒を締める手段が無いのは確かにもどかしいけれども……。

 

 Satanは本当に様々なことに付け込んで、手を変え品を変え攻撃を僕たちに仕掛けてくる。それ故、僕にとっての「人生聖句」とその要約(id est:勝って兜の緒を締めろ)を常に思い起こし、神さまのご計画の成就に「献身し続ける」意思を育てなければならない。ゲヘナに落とされない為にも。

 “Away with you, Satan!!  It is eternally impossible for me to marry female!! Why the HELL do you try to force me NOT to abandon THAT!!?”{Japanese:退け、Satan(IPA:[séɪtn] 敵対者。サタンとも)!!俺にとっちゃ女性との結婚など夢のまた夢の遥か夢ぢゃい!!俺を誑かしャどうなんのかわかってんのか、ゴルァァァ!!}

 

 きのうの続き。女性との結婚に必要な能力の無い僕にとっては、女性との結婚をキッパリ諦めることからそれよりも遥かに重要な、神さまにある使命をまっとうする為の献身が始まる。

 

 僕も人間「でしかない」以上、「性的自制心」が仮令(タトエ)あっても十二分とは申し上げられない。それ故、前稿(ゼンコウ)の最後に示した「生涯聖句」(新約聖書『マタイによる福音書』Chapter 5、§27~30)が重要なのだ。事実、きのうも申し上げている通り受洗前は勿論受洗以降もそこに示される通り「情欲を抱いて」女性を見てしまう罪を何度も犯してしまっているので僕にとって女性との結婚へ向けての行動を起こすことは「罪」(Guilt)以外の何ものでもないのだ。そのことをいま1度きちんと思い起こし、「人間性」を練られ、そこから物理的に遠ざかる為に教会へ通うことが重要な役割を担う。しかし、本稿冒頭に示してある通りにSatanを撥ね退(ノ)けられる場所はCTS(New Chitose Airport)以外に無い。加えて、いつでもそこへ帰れる訳でないので、Satanの誑かしを撥ね退ける為には常に「自分の葬儀」へ意識を向ける以外に方法が無い。僕にとって。それ故、CTSへ帰れないときはFelix Mendelssohn作曲の‘Songs Without Words’(無言歌集)の中の第27曲{Opus 62-3: Funeral March(『葬送行進曲』とも)を弾き続けることがSatanを撥ね退ける為の唯一の武器となる

 

 確かに僕も人間で「しかない」以上純潔でいようとすると息苦しくなることを事実として真正面から受け止めなければならない。今思えば、地上の命を生きるにあたり女性との結婚をキッパリ諦めた理由としては「子を持ちたくない」一心だ。無論神さまのお導きによって子を授かり、親となるご夫婦もいらっしゃるので子を持とうとしたり望んだりすることについて「罪」と申し上げてしまうつもりは金輪際あり得ない(このように申し上げてしまうとまた、当然Satanに憑りつかれてしまう原因たり得る)。今の僕なら母親(Anti-Christian)が「お前には授かる子の世話ができない」と言う理由がある程度なら想像が付くので、「子を持ちたくない」思いは受洗以降も変わらない

 

 普段通う地元の教会に於ける何年か前のクリスマス礼拝にいらして下さり、そこでお会いする機会のあった、男性の方が見た目からわからないハンディーを抱えながら結婚へと導かれたご夫婦(そのご夫婦とはFacebook及びInstagramでもつながっている)との交わり合いを通し「女性との結婚を諦めない選択もあり得る」という励みを頂いたものの、それは一時的なモノだった。そのご夫婦(現在はOkhotsk海側のエリアに在住との旨)にもお子さんはいらっしゃらないけれども、母親を通して示される「女性は結婚したら必ず子を望むもの」という戒めがいま1度思い起こされているのでイエスさまに従うには女性との結婚願望を破壊して捨て、「性欲」から物理的に遠ざかるしか無いことがわかる。そして女性との結婚をキッパリ諦めたからこそ、1月31日にCTSへ帰還するとこれまでに撮ったことの無いエアラインに在籍する旅客機を2ヵ所もインター(International line 国際線)で撮れたり、基本的にCTSとつながるコースにアサインが掛からない(割り当てられない)JAL(Japan Airlines)在籍機を撮るチャンスに恵まれたりする僕が居て(vide infra)、女性との結婚よりも遥かに大きな喜びを覚えている

 

 

「なら『葬送行進曲』など弾かなくても良いべさ~」などというお声も解るには解るけれども、きのうも申し上げた通りSatanは様々なことに付け込んで巧妙に襲い掛かってくるので、常に「自分の葬儀」へ意識を向けなければいとも容易く付け込まれてしまう(id est:勝って兜の緒を締めろ)。

 

 尚、前稿へのコメントは本稿に於いてまとめてお受けする。それ故、コメントを頂くにあたっては【前稿分】・【本稿分】・【前稿及び本稿分】の断りを予め付けてから書き込んで頂くよう併せてお願いするm(_ _)m。

 「Satan(IPA:[séɪtn] 敵対者。サタンとも)よ、俺にャあ女性との結婚よりも大事な使命があるんぢゃい!!どれだけ俺を誑かそったってその手にャに乗らねェよ、てめェェ!!」

 

 Satanは本当に様々な事柄に付け込んで僕たちを誑かそうとすることをいま1度痛感している。ことしもまたここまで何度もSatanの攻撃に遭い、予てより申し上げている「性的不品行」に陥ってしまっても不思議でなかった。僕が限りある地上の命を生きるにあたって女性との結婚をキッパリ諦めるきっかけは、2024年の「年間聖句」に1つある(記事・『性欲を見つめ直す』を参照せよ)。無論その記事の冒頭に示した聖句を拝読し、僕もこれまでに「情欲を抱いて」女性を見る罪を何度も犯していることが思い当たりハッとしたことは事実だ。しかし、これは僕の能力だけででき得るコトでなく、聖霊の働きが必要なことをいま1度痛感している。そして聖霊が注がれているからこそ、前述の記事の冒頭に示した聖句(新約聖書『マタイによる福音書』Chapter 5、§27~30)を「生涯聖句」へと育てる為の最初の1歩を踏み出すに至った僕がおり、限りある地上の命を生きるにあたって背負う、女性との結婚よりも遥かに大切な使命の存在をいま1度痛感している{その1つに、『持続可能な開発目標』(Sustainable Development Goals 所謂SDGs)の1つに掲げられる『ジェンダー・フリー』の実現がある}。

 

 僕にとって、地上の命を生きるにあたって女性との結婚など夢のまた夢の遥か夢。広汎性の発達障害の重度化については、雑談の中に突如割り込んでしまう症状の表面化を避ける為普段通う地元の教会に於いて先週の日曜日(2月2日)に行われた礼拝の後(ノチ)にそこから拙宅へ直ちに戻る手を講じたところから一層強く感じている。「それ故に」と申し上げてしまうと性急に過ぎるが、俗に言われる「自閉症」の症状をも併発してしまっているように思えてならない(僕自身でも「自閉症」は疑っている)。改めて申し上げるが、僕にとって「性的不品行」から物理的に遠ざかる為の手は「自分の葬儀」へ意識を向けること以外に無い。それ故、教会に集われる方々に迷惑をかけないことを第1に考えるなら、礼拝の後(ノチ)の交わりに加わる資格が僕には無い。無論旅客機の撮影の為CTS(New Chitose Airport)へ帰れば仮令(タトエ)一時的でも性欲を抑える為の手段として大いに役立つので、言葉にせずとも心の中でSatanの攻撃には本稿冒頭に記してある通りに応ぜられている。当然いつでもCTSへ帰れる訳ではないので、そのようなときにFelix Mendelssohnの作曲した‘Songs Without Words’(無言歌集)の中の第27曲{Opus 62-3: Funeral March(『葬送行進曲』とも)}を弾くことが僕にとって重要だ。Satanに取り憑かれてしまわない為に。

 

 僕には女性との結婚に必要な能力が無い。このことをいま1度自覚する為に、僕にとっての「生涯聖句」を本稿の最後に示しておく。

 

 「あなた方も聞いている通り、『姦淫するな』と命ぜられている。しかし私は言っておく。情欲を抱(イダ)いて女を見る者は誰でも、既に心の中で姦淫を犯したのである。右の目があなたを躓(ツマズ)かせるなら抉(エグ)り出して捨てなさい。体の一部がなくなっても全身がゲヘナに投げ込まれない方がましである。右の手があなたを躓かせるなら切り取って捨てなさい。体の一部がなくなっても全身がゲヘナに落ちない方がましである。」