趣味活動の一環として、きのうCTS(New Chitose Airport)へ旅客機の撮影に帰還するとANA(All Nippon Airways)が動員したというB-8-10(Boeing 787-10)の撮影チャンスに何度か恵まれた。

 

 きのうのCTSは北風の為「左手側(北)へ上がって(離陸して)右手側(南)から降りて(着陸して)」という運用だったのでApproach(IPA:[əpr̥óʊʧ]若しくは[əpr̥ə́ʊʧ] 目的の空港へ向けて、高度を下げながら進んでいくこと。アプローチとも)こそ撮れなかったが、‘JA982A’というレジ(Registration number 登録番号)のB-8-10が狙った感じに限りなく近く撮れたので(vide infra)、Webページ・‘FlyTeam’への掲載にあたってもこの作品を「マイベストショット」に登録した。

ちなみにANA在籍のB-8-10という部分にFocusを当てて申し上げるならばことし8月にCTSへ帰還したときに初めて撮るチャンスに恵まれたけれども(vide infra)、この日は「異状」(Disease of Hokkaido climate)と申し上げて差し支えないほど暑過ぎたので暫くしてFoodcourtへ移動しての撮影を余儀なくされた(>_<)。

そのような中、きのうの撮影に限って申し上げるならばB-8(Boeing 787 Series)を撮るチャンスがこれまでよりも多い印象を受けながらの撮影となった。

 

 また、きのうは‘JA752A’というレジのB-7-3(Boeing 777-300)の撮影機会にも恵まれたけれども(vide infra)、ことしは‘JA752A’の撮影機会がとにかく多い印象を受けるのも事実だ。

前述の風向の関係もあるが、Portside([pʰɔ́ɚtsàɪd]若しくは[pʰɔ́ːtsàɪd] 機体の左半分)のマーキングが傷んでいるように見えるからか「如何にもベテラン機」という印象を受けざるを得ない感が確かにある。誤解を恐れず正直に申し上げてしまうならばマーキングを直して欲しいところだが、これが可能なのか否か不明で(exempli gratia:これの為の費用が十二分に確保されているか)且つB-7(Boeing 777 Series)のリタイアが世界的にも進行しつつある(id est:後継機種に取って代わられつつある)印象を受ける状況下なので「何としても直して欲しい」などと申し上げてしまうつもりは金輪際無い。勿論リタイア前にマーキングを直してくれると嬉しいけれども、直す前にリタイアする可能性が確かに捨て難い。僕の知る範囲に於いて、ANAに在籍するB-7-3のうちここまで既に2機がリタイアしていることを踏まえればJA752Aも思いの外早期にリタイアするかも知れないので、僕が購入して栗山町の拙宅に飾ってあるモデル(vide infra)を少し意識しつつ「撮れる限り大切に撮り続けたい」という思いを込めてシャッターを切った

その一方で、「これまでANAにいて、CTSでも撮るチャンスに恵まれたB-8-8(Boeing 787-8)のAJX(Air Japan)への移籍も始まりつつあるか?」と感ずる部分があった(exempli gratia: vide infra)。

このB-8-8はデビュー当初ANAにいたけれども(コチラを参照せよ)、‘Dreamliner’の文字の上方に‘Air Japan’の表記が追加されていることからAJXへ移籍した若しくはこれから移籍する可能性が考えられる。同名の新たなエアライン(Wikipediaによると、「ハイブリッドエアライン」として運航するという)が2020年に始まっているといい、その関係でB-8-8はANAからそのエアラインへ移籍する可能性が捨て難い。事実、かつてANAに在籍し、デビュー当初に「鯖一郎」として活躍したB-8-8がその新たなエアラインへ移籍したとの旨を何かで拝読したことがある

 

 尚、次回は12月24日(火曜日・Christmas Eve)にCTSへ帰還する計画をしている。この日がことしの年次休暇の初日だからだ。

 「気が急に変わった」という訳ではないけれども、栗山町にある拙宅の僕の部屋の壁にもWreath(IPA:[riːθ] リース、クリスマスリースなどとも)を飾ってみたくなった。

 

 拙宅の僕の部屋の卓上用十字架には、Christmas([kr̥ɪ́sməs] Xmasとも綴る。クリスマスとも)が近付くと栗山町内の某100円ショップで購入した小さなWreathを飾り付けるのが恒例だ(vide infra…ことしは10月19日の就寝前に飾り付けた)。

そしてこれと別に、折り紙で作ったWreathやヒイラギ、Poinsettia([pɔɪnsé]若しくは[pɔɪnsétɪə] ポインセチアとも)をことしは10月になるとほぼ同時に部屋の入り口付近に飾った(写真は記事・『まずは入り口から??』を見よ)。また、以前も申し上げている通りことしは10月19日の就寝前に去年作ったChristmasの飾りをほぼすべて所定の位置に飾っている(記事・『使えるモノは、繰り返し使う』を参照せよ)けれども、部屋の壁にもWreathを飾り付けたくなった僕がいる。先述の記事に写真を掲載した飾りのうちヒイラギとPoinsettiaとは裏に支えを付けて飾り棚に飾っているが、恐らく「部屋の入り口に折角Wreathを付けているのだから、室内にも『壁飾り』としてのWreathを」という思いが1つあるかも知れない。

 

 勿論本稿執筆時点に於いては部屋の壁飾りとしてWreathを別に作るか否か不明だ。記事・『使えるモノは、繰り返し使う』に於いて申し上げている通り糸で吊るして飾るタイプのヒイラギとPoinsettiaとをまず作って飾りたいところだが、当然ヒイラギとPoinsettiaとWreathを作って部屋の「壁飾り」としても良かろう。そこで、もしWreathを作るなら今度は下の写真を参考にしながら作ろうと考える。

このWreath(僕のお気に入りの女性アナウンサーさんにプレゼントした)はWebページ・『アイシーインフォ』の中にある「折り紙リースを12枚で作る方法」を参考にしながら土台を作り、ヒイラギ・Poinsettia・ベル・リボン・サンタブーツ・星はInternet上で見付けた作り方を参考にしながら、Christmas rose([kr̥ɪ́sməs ròˑʊz̥]若しくは[kr̥ɪ́sməs rə̀ˑʊz̥] クリスマスローズとも)についてはことし札幌市清田区某所にある書店で購入した折り紙の本を参考にしながら作ってそれぞれ飾り付けて仕上げたモノだが、「12枚の折り紙」とは言っても折り紙を3枚用意し十文字に4等分して作ったのだ。ちなみに、先述のWebページを参考にしてWreathを作ったのは2023年のChristmasが初めてで(vide infra…写真では伝わらないかも知れないが――)、北広島市某所にある仕事の拠点の「食堂」に飾る前提だったので折り紙を切らずに12枚用意して作ったところ思いの外大きなモノに仕上がった(^_^;)。

勿論別のWebページにもWreathを作る方法は掲載されているけれども(exempli gratia:『ぬくもり by boutique-sha』 最初に折り紙で作ったWreathはこのWebページを参照した)、コチラよりも『アイシーインフォ』の中にある、12枚の折り紙で作るWreathの方が作り易く感じたのは事実。

 

 何はともあれ、Christmasに向けての「壁飾り」をもう幾つか折り紙で作り、拙宅の僕の部屋の壁に飾りたい。それこそ、今度はSapporo Factoryに於ける『ジャンボクリスマスツリー』の点灯式に合わせて。

 偉大なる天の父なる神さま、あなたのとうといお名前をあがめて讃美致します。

 

 ゆうべ、双子のタレント・『おすぎとピーコ』として知られ、またファッション評論家でもあられるピーコさんがあなたのみもとに帰られたとの報(シラセ)に接しました。この僕がそのピーコさんを知るのは中学生の頃ですが、片眼(カタメ)にご病気があることを知るのはあとになってからでした。現在はお2方共に施設に於ける生活を送っていらっしゃる中だったとの旨をあとから知り、この僕は半ば勝手に「まだまだお2方共お元気だろう」と思っていた矢先に於けるピーコさんの召天の報でしたので、おすぎさんをはじめ、ピーコさんと親交のある方々にとってもやはり言葉にならない悲しみなのではなかろうかと察します。そして、お2方共に広く親しみやすいキャラクターが特徴なのでピーコさんの召天は一層惜しまれますが、最も悲しい思いをしているのはピーコさんご自身だと思います。そして、まだ79歳―80歳目前―との旨だったのでピーコさんご自身「まだまだ生きていたかった」という思いがあるかも知れませんけれどもピーコさんにあってはこの地上の命に於ける「死」が「すべての終わり」ではありません

 

 どうぞ、まずはピーコさんご自身があなたのみもとにて安らぐことのできますようお願いします。また、おすぎさんをはじめ、ピーコさんと親交のあるすべての方々にあなたにある憐れみと慰めとを示して下さいますようお願いします。そして、ピーコさんがこの地上の命を生きられた証が、あなたによって広く伝わっていくことのできますようお願いします。また、ピーコさんのすべてのファンの方々にあなたにある憐れみと慰めとを示して下さいますようお願いします。最後に、このお祈りが、この僕の素直な気持ちをこめつつあなたとイエスさまとにしっかりと信頼して縋(スガ)り、真実にすべてをお任せし、どのような状況下にたとえ置かれても真実なる感謝を込めて、誰よりもピーコさんの為の執りなしのお祈りとして真実にお捧げする為のお祈りとなることのできますよう、噫神さま、何卒宜しくお願いします。

 

 あなたにすべてを期待し委ねて、愛するイエスさまのお名前によってお祈りをします。

 

アーメン

 Sapporo Factoryに於けることしの『ジャンボクリスマスツリー』の点灯式の日程がわかったが、“Halloween”(IPA:[hæ̀ləwíːn]若しくは[hæ̀ləʊíːn] ハロウィーン、ハロウィンなどとも)に「抵抗する」思いから、ゆうべの就寝前にことしはChristmas([kr̥ɪ́sməs] Xmasとも綴る。クリスマスとも)の飾りを栗山町の拙宅の僕の部屋にも付けた。

 

 Christmas tree([kr̥ɪ́sməs tř̥ìː] クリスマスツリーとも)については折り紙で作ったモノをも含め、2023年も飾ったモノをほぼそのまま飾った(vide infra)。

 

 

このうち2番目に写真を掲載したChristmas treeは中学生の頃にクジで当てて以来毎年飾ってきており、これをことしもPCの近くに来るように飾った。そして最初に写真を掲載したChristmas treeは2022年に地元の某100円ショップで購入して飾り始めたモノだ。また、3番目に掲載した写真は去年折り紙で作ったモノで、これを旅客機のモデルの下に飾り、「Christmas treeの上を旅客機が通る」イメージになるようにしてある(vide infra)。

 

 また、折り紙で作った「ヒイラギ」や‘Poinsettia’([pɔɪnsé]若しくは[pɔɪnsétɪə] ポインセチアとも)についても去年作ったモノをことしもほぼそのまま飾った。

 

更に、「アドヴェント・キャンドル」についても折り紙で去年作ったモノをことしもほぼそのまま用いるつもりで、The Advent([ði ǽdvent]若しくは[ði ǽdvənt] Christmas前の4週間。待降節、アドヴェントなどとも)が始まったら日曜日の朝毎に「炎」のパーツ(これも折り紙で作ったモノだ)を折り紙で作ったろうそくに取り付けていく予定(vide infra…最終的にこのようになる)。

この「アドヴェント・キャンドル」は普段通う地元の教会に於ける‘The Advent’の期間の礼拝にて灯されるろうそくに着想を得、折り紙で作ったモノ。そして「折り紙で作ったモノ」であるが故に1度作れば次の年も繰り返し使えるところが1つのメリットだ。ちなみに、「ろうそく」の作り方はWebページ・『子供と楽しむ折り紙・工作』に“Halloween”へ向けての折り紙として掲載されているけれども、僕はこれを“Christmas”へ向けての折り紙として参考にし、「アドヴェント・キャンドル」とした。また、スタンドについては所謂「ポテトチップス」の入っていた筒を支えとして、フタを台として利用し、ボンドで接着するだけで作れる。また、「ろうそく」を安定して設置させたいときは厚紙か何かを補助パーツとしてフタに取り付け、その上でろうそくをかぶせれば良かろう(僕もそのようにして作った)。

 

 何はともあれ、繰り返し使えるモノは繰り返し使うことの大事さを痛感している。ただ、ことしは2023年よりも早くChristmas treeなどを飾ったので糸で吊るして飾るタイプのPoinsettiaとヒイラギとをそれぞれ1つずつ―本稿に掲載したモノとは別に―作り、それこそSapporo Factoryの『ジャンボクリスマスツリー』の点灯式に合わせて飾り付けたい思いがあるのも事実だ。

 今週、Internetをスマートフォンで調べると毎年恒例のSapporo Factoryに於ける『ジャンボクリスマスツリー』の点灯式は11月2日(同月第1土曜日)に予定されているとの旨が判明した(コチラ)。

 

 詳しくはSapporo FactoryのWebページよりPDFをダウンロードしてお読み頂きたいところだが、これで少し安心した僕がいる。何度か繰り返し申し上げているかも知れないが、栗山町の拙宅にある僕の部屋の場合ここ何年かは前述のSapporo Factoryに於ける『ジャンボクリスマスツリー』の点灯式に合わせてChristmas tree(IPA:[kr̥ɪ́sməs tř̥ìː] クリスマスツリーとも)などの飾りを付ける傾向を感ずるからだ。ただ、ことしは何故か可能な限り早くChristmas treeなどの飾りを拙宅の部屋にも飾りたくなっている。勿論「これがすべて」と申し上げてしまうと性急に過ぎるのだが、1つ考えられる事柄として、北広島市某所にある仕事の拠点の個室にChristmas([kr̥ɪ́sməs] Xmasとも綴る。クリスマスとも)の飾りを10月1日に付けたこと(写真は後日Instagramに掲載し、本ブログにもShareを行う予定だ)がある。

 

 「何をそこまで急ぐのか?」との旨のお尋ねが予想されるけれども、僕の中には(あくまでも「僕が感ずるに」に過ぎない)この北海道に於いても「秋」の行事として「定着した」と申し上げて差し支えない印象を受ける“Halloween”([hæ̀ləwíːn]若しくは[hæ̀ləʊíːn] ハロウィーン、ハロウィンなどとも)への「抵抗心」の存在が考えられる。僕の生活の中に“Halloween”を持ち込んでしまいたくない思いは確かにあるけれども、それよりも、予てより繰り返し申し上げている通り「少なくとも僕が小学生の頃の北海道に無かった光景だから」という感じ方の方が大きく影響していよう(先述のことから「移れば変わる世の習い」という格言を感ずるのは事実)。当然“Halloween”を否定してしまうつもりも「止めよ」などと申し上げてしまうつもりも金輪際無い。あくまでも“Halloween”だからと言って「特別に意識したり特別な事柄をしたりなどをせず過ごしたい」だけに過ぎない。そこで、拙宅の僕の部屋の入り口付近にChristmasの飾りを10月のうちに付けたに過ぎないつもりだった(記事・『まずは入り口から??』及び『10月に思うこと』をも参照せよ)。

 

 何はともあれ、Sapporo Factoryの『ジャンボクリスマスツリー』の点灯式の予定がわかって少し安心している僕がいる。

 きのうの続き。神さまとイエスさまとへの信頼が大きく揺らぐ中、神さまとイエスさまとに従って歩む明瞭なきっかけとなった、本州のある障害者施設に於ける大量殺傷事件(以下、本件)について思い起こす機会が最近あった。

 

 「19のいのち」というキーワードを用いて検索し、NHKのWebページにたどり着くと興味深い2種の書き込みがあった。その1つが本件を「植松聖氏個人の問題ではない」とする内容。そこには「家族を疲弊させているのは障害者と言うよりも日本の社会だと思います。」(原文ママ)という記述と「植松被告は障害者の家族が疲弊していると言っており、それは事実だと思います。」(原文ママ)というそれとがあり、見た目から解らないハンディー(広汎性の発達障害)を抱えながら限りある地上の命を歩む当事者として大変考えさせられる。両親や弟にとって僕は疲弊の最たる原因だろうと感ずる。そのような中僕はこの当事者としてこの障害を十二分以上に理解しようとしているのかについて厳しく吟味し、もしそのようでなければ「可能な方法でこの障害を十二分以上に理解する為の取り組みをまず起こさなければならない」と感ずる。更に、植松聖(ウエマツ・サトシ)氏(以下、植松氏)の供述等についてもラジオやInternetなどを通し読んだり聴いたりしているけれども、僕の胸中の何処かに植松氏と同じ若しくは限りなく近い思い(id est:生産性の無い人間は要らない)が今も尚ある危険性が極めて高い。それ故その方がおっしゃるように植松氏個人の問題でないことを、僕も事実として受け止めなければならない。更に、この旨を書き込まれた方曰く「日本社会を変えることがこの問題の根本的な解決」(原文ママ)との旨でもあるので、「これへの寄与もまた当事者の1人として僕が背負う重要な使命」と感ずる。

 

 もう1つの書き込みとしては本件を「社会の罪」とする内容。そこには「ある意味わたしたちの生きる社会のせいとも言える。」(原文ママ)という記述があり、見た目から解らないハンディーを抱えながら限りある地上の命を歩む当事者且つ社会を構成する者として、本件のような事件を起こさない社会の構築の為に「可能なあらゆることをしなければならない」といま1度感ずる。更にその書き込みを為さった方曰く「こんな悲惨な事件を起こしてしまって本当にごめんなさい。」(原文ママ)との旨でもあり、本件が誰にとっても他人事(ヒトゴト)でないこと(id est:本件若しくはこれに類似するような事件を、今の社会では誰でも起こしてしまい得る)が解る。そして「ハンディーを抱えながら歩む当事者でありながら本件のような事件を起こしてしまい得る」点を僕はどこまで自覚しているのかについて問われている印象をこの記述からは受け、いずれの記述からも本件が「植松氏を追及するだけでは答えが出ない」事件と感ずるところだ。

 

 この2つの書き込みを拝読し、「内なる植松」の存在をどこまで自覚しているのかについていま1度問い直さなければならないことを痛感する。日常生活に於いて刑事事件に関するニュースに接するときは僕にも勿論あるけれども、それらから被疑者を「絶対に生かしておけない」という思いに「支配」されてしまうときが今も尚ある(>_<)。具体的な例を示すならば、スマートフォンを用いてジョッキー(騎手)の引退に追い込まれた藤田菜七子(フジタ・ナナコ)氏に関するニュース。このニュースを拝読して間もない頃は「何という悪事を働いたのか!!」という感情からやはり藤田菜七子氏(以下、藤田氏)を許さない思いが確かに僕を「支配」していた。きのうになってから1歩踏み込んで、「藤田氏をそのような悪事にMisleadする要素の有無について考え・突き詰める必要があろう」と感ぜられるようになった。無論僕は競馬界以外の人間なので申し上げる資格は無いけれども、敢えて申し上げてしまうならスマートフォンの利用を全面禁止にするのは如何なものかというところだろう(但し、禁ずる場面や場合は絶対必要だ)。そして、今回の藤田氏に限らず「許さない思い」に「支配」されるとき「内なる植松」に僕も支配される危険性を含む。

 

 尚、前稿(ゼンコウ)へのコメントは本稿に於いて纏(マト)めてお受けする。その為、本稿にコメントを頂く場合は【前稿分】・【本稿分】・【前稿及び本稿分】の何れかの断りを予め付けてからコメント本文を書いて頂くよう併せてお願いするm(_ _)m。

 10月12日(土曜日)にCTS(New Chitose Airport)へ旅客機を撮る為帰還したとき、大谷翔平選手の活躍に因むスペマ機(Dream Sho Jet…vide infra)を撮るチャンスに恵まれたことは以前の記事・『久々のDKH』にて申し上げた通りだ。

 

 僕にとっては思いもよらないタイミングで‘Dream Sho Jet’の撮影チャンスに恵まれた。Webページ・‘Aviation Wire’によれば2026年の3月までこのスペマ機として活躍する予定との旨だが、「撮影チャンスはそれほど多くなかろう」と感ずる中でまず前述の日に撮影チャンスを得られ、ここから神さまが生きておられることと「地上の命に於ける女性との結婚よりも遥かに素晴らしい神さまのご計画」の存在とを同時に痛感するきっかけが生まれた(特に後者を心底痛感する)。加えて、「Gジャン」を着て帰ったお蔭か「寒過ぎず・暑過ぎず」尚且つ晴天という状況下でこのスペマ機の撮影チャンスに恵まれたので気兼ねなく展望デッキに入れて喜びは一層大きくなった。前回の帰還時(8月30日)は晴天だったもののあまりに暑過ぎてFoodcourtからの撮影を「余儀なくされた」というのが正直なところだ

 

 思えば、限りある地上の命を生きるにあたって女性との結婚に必要な能力を培おうとどれだけ頑張ってもモノにならず、息苦しい思いをするだけだ(┬_┬)。それ故胸中の何処かに「このような息苦しい思いをするのは、もうたくさんだ」という気持ちがあるかも知れない。そしてそしてそのような僕だから仮令(タトエ)神さまによって女性との結婚に導かれても程なく離婚につながってしまう状況が、容易に想像される。そのような状況下、思いもよらないタイミングで‘Dream Sho Jet’の撮影チャンスに恵まれたのは僕にとって大変大きく先述の事柄に起因する息苦しさからの解放の大きな喜びを改めて覚え、同時に限りある地上の命を生きるにあたっての「女性との結婚よりも遥かに重要な使命」の存在をも同時に痛感する僕だ。更に、「神さまのご計画の成就に献身するには、僕の本望を犠牲にしなければならない」ことを事実として真正面から受け止めることの大事さをも都度痛感する。CTSへ旅客機を撮りに帰ると。これと共に「新約聖書」を通して示される、「自分の願いを吟味する」ことの大切さを一層痛感する(新約聖書・『ヤコブの手紙』Chapter 4, §3)。そこで、「神さまのご計画の成就に献身することの大切さ」を忘れず自分の願いを「厳しく吟味する」為に必要な力が注がれるよう祈る為、その聖句を示して本稿を締めることとする。

 

 「求めても得られないのは、自分の欲望のままに使おうとよこしまな思いで求めるからです。」

 11月は11月2日(土曜日)~11月4日(月曜日・『文化の日』の振替休日)の間と11月29日(同月最終金曜日)~12月1日(日曜日)の間とに2回「3連休」がある。

 

 勿論特別なことを何もせずに過ごすのも悪くないけれども、折角の3連休だからこそ何もせずに栗山町の拙宅で過ごすだけでは中身のまったく無い3連休になってしまうのでその方が寧ろ勿体ない。そこで、11月は最初の3連休の初日(videlicet:11月2日)にも『泉記念館』(vide infra:1枚目)と『開拓記念館』(vide infra:2枚目)とを訪問してみようと考えているところだ。

 

北広島市某所にある仕事の拠点の行事で僕の地元・栗山町を訪問する機会があったものの当時は諸事情の為{この詳細は、後(ノチ)に支援員さんを通して伺った}後者(vide supra)のみの訪問となったので、特に前者へもう1度伺い、また外観を撮りたい思いがあるからだ。更に、仕事の拠点の行事に於ける栗山町訪問の実現への献身にあたり両者へ伺う機会を28年振りに開拓する力を神さまが注いで下さったことが大きく、きたる2025年も可能な限り広く深く僕の地元・栗山町を知る為に両者の訪問機会を開拓したい。可能な限り積極的に。

 

 そして、以前も申し上げた通り11月29日(同月最終金曜日)には『モユクサッポロ』に出掛ける計画がある(手帳にも記入済み。記事・『折角できたのだから』をも参照せよ)。無論このブログを含むSNSや職場などで「2025年のChristmas card(IPA:[kr̥ɪ́sməs kʰɑ̀ɚd]若しくは[kr̥ɪ́sməs kʰɑ̀ːd] クリスマスカードとも)を見据えての撮影を始めた」などと堂々と申し上げられれば格好良いかもしれないけれども、写真の撮影はあくまで本稿のテーマ・‘Leisure activities’(余暇活動)の一環に過ぎないのでとてもこのように申し上げられる立場にない(^_^;)。それが視野にあっても。ことしの場合は確かに時期的に厳しいけれども、もしきたる2025年に『モユクサッポロ』の訪問機会を開拓するときがあれば同じ年のChristmas cardを作るにあたり『モユクサッポロ』や『水族館』をテーマに設定して作っても確かに面白いかも知れない(これは神さまだけがご存知だ)。ただ、以前も申し上げた通り将来『水族館』をテーマとするChristmas cardを作りたい思いがあるのは確か(ことしも一時視野に入れたけれども、結果としては作らない見通しとなった)。

 

 いずれにせよ、11月にも3連休があるのでどこかに出掛ける機会を作らなければ中身のまったく無い3連休になってしまう。それ故、『泉記念館』と『開拓記念館』とに限らず『モユクサッポロ』へも足をのばしたい。