子孫姉妹とたどる箱館戦争・歳三の足あとツアー☆その四 | 土方歳三資料館日記 (Hijikata Toshizo Museum Blog)

土方歳三資料館日記 (Hijikata Toshizo Museum Blog)

土方歳三の生家跡に設けられた資料館にて運営に携わる子孫の綴る日記。

車中で折戸砲台跡、大滝古戦場など眺めながら、江差へとキラキラ

 

大滝古戦場のあたりの十三曲がりと言われる入り組んだ崖の続く海岸線地帯を抜け、江差へ近づくと、地形が変わり江差の港が視線の先に飛び込んできますキラキラ

 

ああ、やっと江差まで来たなと感慨にふける間も無く、歳三が目にしたのは、座礁して動けなくなった開陽丸でした。

 

旧幕府軍の希望であった最新式艦「開陽丸」

 

昭和期に海底から引き揚げられて、同じ大きさで復元された開陽丸記念館の中に、引き揚げられた遺物の数々が展示されていますキラキラ

入り口には、大砲

 

そして、スクリューシャフト。座礁して歪んでしまった痕跡が生々しい。

 

 

とにかく引き揚げられた武器、生活用品、遺物は膨大な量。

しかしながら、それらをきちんと整理して、展示保存されているのだから、素晴らしいキラキラ

 

ピストルもこんなに。

 

種類も沢山あります

幕末の銃砲に興味のある方には、時を忘れてしまう展示内容だと思います。

 

弾も山積み

 

革靴。

「誰の〜!?

 

砲弾も沢山

 

 

博物館などで、

「展示物に触らないで。(史料を保護するために)」

っていうキャプションはよく見ますが、

「手が汚れちゃうから気をつけてね」っていうキャプションは、いまだかつてここでしか見たことありませんガーンタラー

 

開陽丸記念館は、体験展示も充実していてすごく楽しいキラキラ

 

大砲を一発打つためにどういう順序で、何人がどういう仕事をしたか、というのがリアルに再現されていたりキラキラ

 

船員たちの眠ったハンモックに寝て、船員気分を味わえたりキラキラ

 

甲板では、解説してくださった方が、

「(指差して)あのあたりに停泊した開陽丸、イカリがタバ風(江差に吹く強烈な季節風)によって流されてしまい、ずるずる船体が浅瀬に移動してそちらのあたりで座礁してしまいました。」など具体的に教えてくださいました。

解説員のお父様は漁師さんで、昔から(引き揚げ前から)「晴れた日には、あのポイントでは海の底のほうに開陽丸のマストが見える」と漁師の間では有名だった、というお話も伺いましたキラキラ

 

 

やはり、地元の方のお話には説得力がありますね。

 

 

当時、湊町一の旅宿「能登屋(のとや)」にて、滞在していた榎本武揚と歳三にお茶を出した女中は、

「あれが偉い人が醸し出す雰囲気というんだろうか。空気が張り詰めていて、重苦しい感じで、なんだか恐ろしくてたまらなかった。」と語ったそうです。

 

バス車中より眺めたのとやのあった坂

 

そこから目と鼻の先にある「嘆きの松」

榎本と歳三が、何日かかけて沈没していく開陽丸の姿を眺めて嘆きあったという高台。何度もこぶしで松を叩いて嘆くうち、その叩いた場所がコブになってしまったという伝承が。

 

 

江差郷土資料館の学芸員・宮原様

 

 

重要文化財に指定されている江差爾志郡役所跡に設けられた郷土資料館の展示をご解説くださりながら、江差での箱館戦争や榎本土方の動向についても、詳しくご解説くださいましたキラキラ

 

渡辺市造玄孫様ご夫妻

 

一同、開陽丸の沈んだあたりを眺めながら、ようやく追討が功を成すというタイミングでの、旧幕府軍の不運に、思いを寄せました。

 

 

そ、そして

なぜかこの後、皆さんのリクエストで、嘆きの場面を再現することにアセアセ

 

まずは、歳三子孫姉妹による「嘆き」

 

宮原学芸員様もお茶目に嘆いてくださいました

(松を皆んなで押してる?ような、不審なポーズに)

 

ついに、渡辺市造ご子孫様も巻き込まれるアセアセ

(めちゃくちゃ嘆いてます流れ星

 

宮原学芸員様と、

「こんなに嘆いたら、もしやこの後新たなこぶができるのではないでしょうか?」

と新たな伝承が生まれる可能性をも確かめ合いました爆  笑爆  笑爆  笑

 

 

皆様も、江差を訪れたら、ぜひこの高台に足を運んでみてください。本当に歳三さんの拳で瘤が出来たかは定かではありませんが、榎本、歳三両人がここで開陽を眺めたのも納得できる、港を一望できる、気持ちの良い眺望の場所ですキラキラ

 

そして、江差の皆様にお別れを告げ、バスは函館へと

市内で降り立った場所は、武蔵野楼あと。

5月11日に新政府軍による総攻撃が行われることを予見していた旧幕府軍。当時両軍にはスパイが沢山いましたので、敵の情報はかなり入ってきていたようです。

最後の晩に、蝦夷共和国幹部で別れの酒宴を開いた武蔵野楼。

幕末時、富川町、豊川橋のあたりにあった茶屋で、埋立地の中にあり、屋形船でここに通うのが粋だったそう。

 

最後の晩を歳三さんはどう過ごしたんでしょうね、と考えながら、そこから徒歩数分の「五島軒」にて最後の酒宴、ならぬ、「最後の夜の懇親会」を行いました。

「五島軒」は、戊辰戦争に参戦した「五島英吉」が創始者の一人である、函館の町きっての老舗洋食店です。

懇親会では、函館の街の夜景を眺めながら、みんなが持ち寄った俳句コンテスト「歳三さんへのメッセージ・よみカル俳句コンテスト」の入賞作品発表や、記念品のくじ引き、などなどでまたまた大盛り上がりでしたキラキラ

 

今回、歳三ファンのための超わがままな特殊ツアー企画を実現してくださったよみうりカルチャー柏センター長の朝山様、読売旅行大手町支店の栗原様とルンルン

本当にありがとうございましたおねがいおねがいおねがい

 

最後にスタッフだけで撮ったこの写真だけでも懇親会の和気藹々した感じが伝わるかな爆  笑

 

2日目の行程もおわり、残すは後一日だけとなりましたキラキラ

 

その伍に続きますキラキラ