土方歳三資料館日記 (Hijikata Toshizo Museum Blog)

土方歳三資料館日記 (Hijikata Toshizo Museum Blog)

土方歳三の生家跡に設けられた資料館にて運営に携わる子孫の綴る日記。

「土方歳三資料館図録」発売中!
図録表紙

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6月2日は岐阜県博物館「兼定展」にて講演をさせていただきました。

タイトルは「和泉守兼定と土方歳三」キラキラ

 

初めてお話した内容もあるため、記事にして残しておきたいと思います。

 

 

今回、歳三の最後をずっと護ってくれた刀を鍛えてくださった会津十一代兼定さんのためにも、今伝えられるありのまま全てをお伝えしようと思い、準備をしました。

 

歳三佩刀の和泉守兼定に関しては、刀身の特徴、拵えは刀装具の一つ一つまで詳しくキラキラ

わかっていることはお伝えしようと、今までで一番詳細に時間を掛けてお話したかと思います。

 

そして、十一代兼定さんの人となりについては、曽孫にあたられるご子孫の古川様より

「講演に役立てて下さいね。」

と色々な資料を送っていただきましたので、一部紹介させていただきました。心より感謝しますキラキラ

 

この資料の中に、孫の兼秀様がお祖父様(十一代兼定)のことについてまとめた手記がありました。

そちらの内容が秘話の宝庫で、本当は全てお伝えしたかったくらいなのですが、もし今後古川家の方が直接語られる機会があればそちらの方が良いかなと思い、一部戊辰戦争にまつわる部分をご紹介しました。

 

「祖父兼定は近世の名刀匠として称せられているが、名人気質であり、また剛毅な人だったらしく、気が向かねば容易に刀を打たず、酒の強いのでその作品も多くは酒代に変わってしまったらしい。6尺豊かな偉丈夫で、長大な刀をわし掴みにし、肩幅が広くガッチリした体躯で、中々の男前で有る。俳優の阪妻(=阪東妻三郎)によく似ているのを覚えている。」

 

阪東妻三郎さん、検索してみてください。とってもかっこいい方ですキラキラ

 

「戊辰戦争の際、祖父は城中で弾薬や砲丸の製造を仰せつかっていた。攻防戦な最中に、たまたま台の町の自宅の刀蔵に「官軍占領」の大きなのぼりが掲げられたのを知って、無念やるかたなく、むしろ破壊しようと城中から火玉を放ったが、外れて愛宕山の民家に命中したとの話が伝えられている。」

 

など。自分が会津藩のために鍛えた刀が、敵軍に使われると思ったら、刀鍛冶として会津藩士として、本当に無念な思いだったことでしょう。会津藩降伏後刀蔵へ戻ると、散々官軍によって斬れ味を試すために試し斬りされた跡とみられる刀傷が柱などにあった、本当にやるせなかったとも書いてありました。

 

私にとって十一代兼定さんは、10代から父の代銘をうち鍛刀し、戊辰戦争後も加茂で鍛刀し、そして最後は陸軍の軍刀を鍛刀し…生涯を通して刀鍛冶であることにこだわった一徹の人。バラエティに富んだ作風を残したその探究心や好奇心の旺盛な人間性、そしてそのまっすぐな生き方は、どこか歳三さんに通じるものがあると感じています。

 

 

今回展示されている十一代の脇指で 

展示番号41

表 大日本鍛治宗匠 和泉守兼定 

裏 慶応四戊辰年仲秋日

という一振りがあります。

おそらく慶応4年8月に古川家の家督を継いだことを記念して鍛えたものであろうと言われていますが、

兼定が鶴ヶ城で籠城戦に入る8月23日の直前に会津で鍛えたことになります。

「大日本鍛治宗匠」。

どんな思いを込めた銘なんだろうといつも考えてしまいます。

 

 

歳三より2歳年下の兼定。

十一代は6月に会津に戻ってきていますが、その頃歳三は東山温泉で足の怪我の療養をしたりしていました。

歳三さんと会う機会があったかもしれませんねキラキラ

 

 

 

そして、今回初めてお話ししたのが、脇指・主水正正清についてです。

 

第2次世界大戦後は、連合国最高司令官マッカーサーによる刀狩りが行われました。

刀狩りというと、普通は秀吉の行った刀狩りのことを指しますが、

多摩の古老はこの戦争後の刀の供出のことも「刀狩り」と呼びます。

 

なんでも

「刀があると「ガーガーガー」と鳴る探知機を持って来るから逃れられないぞ」

とか色々なデマが飛んで、当時は皆恐れて、茅ふき屋根のかやに刀を刺して隠したり、木の箱にいれて田んぼに埋めたりしたそうです。

やはりその頃の日本人にとっては、まだまだ家に伝わる刀はその家の象徴、何より守りたいものだったんでしょうね。

それで、埋めたりしたものは、すぐに地熱で錆びて駄目になり、その時良い刀がずいぶん失われたとか、かやに刺したものは、囲炉裏で燻されて乾燥していたから大丈夫だったとか、色々な話が残っています。

 

 

 

土方家も所有していた刀は、供出しました。

その時の書類が残っています。

また先祖ゆかりの大切な刀は遺してもらえたそうです。

おそらく、供出にもある程度協力することでよしとされたのではないかと思います。

仮預り証明書

昭和21年1月5日。連合国最高司令官より武器引き渡し命令があったということで

日本刀(小刀)2本

日本刀(小刀)1本 銘 國光

を石田村隣の宮村の駐在所に預けています。

こちらの刀は結局戻ってはきませんでした。

 

 

その後、昭和26年に日本刀の登録制度が始まり、土方家からはその直後の3月31日に2本の刀が登録されました。

一本は「和泉守兼定」

もう一本は「葵葉一つ 主水正正清」です。

 

 

室町時代後期の十文字槍「助宗」は遅れて昭和31年に登録されています。

(下の登録証の写真はコピーですが、全て原本が手元にあります)

 

 

 

今月号の「刀剣界」の記事にも戦後の登録制度のことが載っています。

「昭和20年の終戦から数ヶ月は、日本刀は機関銃などと同様に武器と見なされ、GHQの司令に基づいて接収され、廃棄されました。その後先人たちの努力で、美術品と認められる日本刀に対しては、審査を経て所持することが許されました。

紆余曲折はありましたが、25年11月20日に「銃砲刀剣類等所持取締令」が施行になり、翌年2〜3月から都道府県ごとに「銃砲刀剣類登録証」の発行が始まり、現在に至っています。」(「刀剣界」2018.5.15 41号より)

 

 

そして、その2年後の昭和28年に発行された、地元多摩の文化財である刀の目録が掲載された冊子

「文化財 刀剣保存会 第一集」

 

 

そちらには、和泉守兼定のみで

主水正正清は掲載されていません。

 

その時点で主水正正清はもう手元に無かったのか、

理由があって掲載されていないのかはわかりません。

 

 

現在は主水正正清の登録証だけが手元にあります。

 

脇指は、誰かに譲ってしまったのか、

まだ探せばどこかにあるのか、

なんとも確証のない話で、

気になってはいましたが、

今までは中途半端な情報なので、公表することはありませんでした。

 

 

他人に譲ったとしたら、

登録証が手元にあるのはおかしいです。

必ず登録証も一緒にお譲りするものなので…。

 

盗難にあったのだとしたら話しが合いますが、じゃあなぜお蔵にあった刀のうち脇差だけが盗まれて、一緒の刀箱にあったであろう長刀の和泉守兼定は盗まれなかったのかと考えると不自然…。

 

実は、こんなこともありました。

平成NHK「新選組!」に合わせて日野市が大々的に新選組の展示を行うということで、その前年に各家の史料調査を行い、我が家も協力した時のこと。

昔の長持やら文書類やら史料をまとめてお渡しする際に、学芸員さんが一つ一つ確認していて

「あれ?これはなんですか?」と手にとったもの、

母は「それはね、多分お蔵の鍵だったと思うんですよね…」

私「お蔵に鍵なんてあったかな?しかもすごく大きな鍵。鍵にしては大きすぎない?」

学芸員さん「うーん、何だかこれ、引き抜けそうですねえ。抜いてみても良いですか?」

とカバーらしきものから引き出そうとして、

 

 

一同唖然アセアセびっくり

 

 

一文字槍だったのです。

時代は十文字槍の助宗と同じ室町後期の直槍でした。

 

お蔵に長い槍の拵えだけは3本ありましたから、

「この先(穂身)はどこにあるんだろうね。」なんて話してはいました。

 

まさかのお蔵の鍵と思っていたら、槍だったとは…キョロキョロ

母の天然エピソードです爆  笑爆  笑爆  笑

 

私も同じように、

「これなんだろうなあ、神棚にあるこの古ーい輪っかの。ナプキンリングのような?昔何かに使われていたものだろうけれど」

と思っていたら、それも槍の拵えの一部だった…という経験があり、

人のことを言えないのですがアセアセ

 

ですから、びっくりするような意外なところに意外なものがあったりする、という経験を通して、何かの折に見つかるかもしれないな…と思いつつ過ごしていました。

 

ただ、今回良い機会をいただきましたので、土方家の刀剣のことについてありのまま不確かなことも含めてお話をさせていただこうと思い、講演の中でご紹介しました。

 

 

ここからは個人的な推測なのですが、ポイントを整理すると…

 

●大名登録(登録制度が始まった直後の昭和26年3月という時期に登録されている刀をそう呼ぶそうです)されているふた振りであり、兼定同様にその価値(というか遺していく意義)が高かった

 

●主水正正清(もんどのしょうまさきよ)は寛文生まれ(1670−1730年)の江戸時代新刀期の薩摩国の刀工。享保6年1月、八代将軍徳川吉宗の命により江戸浜御殿において作刀、その出来の良さを認められ葵一葉紋を茎に切ることを許されるとともに、将軍家の斡旋により7月13日に主水正を受領。他にも刀の本には、最上大業物など、かなり位の高い作刀をされた刀工さんだと書いてあるものが多いです。

 

●土方家は、由緒書きなどは遺されていないものの、元は後北条氏に仕えた地侍集団三沢十騎衆の土方氏がルーツと伝わっており、後北条氏八王子城落城と共に帰農したと考えられるため、室町時代後期の2槍(うち十文字槍は駿河国刀匠・助宗)が伝わるのは時代的に自然。しかし、農民になり江戸時代になってから主水正正清のような位の高い刀を手に入れるのは、不自然。

ましては江戸時代は幕末期までは平和な時代でしたから。

ですから主水正正清は土方家伝来ではなく、歳三さんが幕末期に入手したものではと考える方が自然です。

 

●可能性としては、歳三さんが使っていた大小として土方家には和泉守兼定、主水正正清があり、その刀だけはすぐに登録することが必要だと認められた。のちに登録制度が落ち着き、土方家に戦後生活に余裕の出てきた5年後、お家伝来の槍も登録しておこうと登録されたと考えると自然かなと思います。

 

もう今は、確かなことは言えないのですが、今ある情報をありのままご紹介しました。

それぞれのお家で、いろいろな事情がありながら、日本刀は守られ、伝えられてきたと思います。

その価値がどうかとかそんなことより、大切なお家やご先祖さまの歴史を、その一振りは背負っているんだと思います。

 

これは、昭和48年頃お仏壇の前で撮影された写真キラキラ

中央には、歳三さんのお位牌。お仏壇の上には、歳三さんの人となりを詠んだ榎本武揚さんの書。

祖父・康が兼定を掲げて、2歳の私は母の膝の中で「わー」と兼定を眺めています。横に姉と祖母。

(あ、歳、バレますね^^)

 

 

 

そのものが今まで伝わっていることに感謝してキラキラ

だからこそ、そんな背景も含めて、兼定や史料、遺品類を

また次の世代に伝えていけたら良いなと思いますキラキラ

 

もしかしたら、「葵葉一つ 主水正正清」もどこかで存在していて、

土方家のことを見守っていてくれているかもしれませんし^^

 

 

 

長々、講演備忘記にお付き合いくださり、最後まで読んでくださってありがとうございましたキラキラ

 

 

 

そして、兼定展、素晴らしいです。

関住兼定、会津兼定の系譜の約50振りが広い展示室一同に会するきっと唯一の機会です。

 

今回展示に関わる学芸員さんはじめ館の皆様が本当に誠意ある熱心な方々で、日々良い展示になるように改善改良を重ねて、どんどん展示も進化を遂げていっています。展示配置表、愛好家にも初心者にもわかるような解説パネル、展示を見にいらした方も参加できるコメント欄、より刃文や地鉄が見やすいようにと改善を重ねる照明の角度、ペンライトの貸し出し…。

限られた予算の中、きっと大変な努力とマンパワーで展示に当たられているんだなと感じられて、本当に今回良いご縁をいただいてよかったと思います。

 

岐阜県博物館「兼定展」会期は6月24日までキラキラ

 

押し型とともに立派に展示していただき、

こちらでは、360度上からも下からも、刀身と向き合っていただけます。

 

どうぞお見逃しなく、です照れ照れ照れ

 

 

 

 


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4月29日(日)快晴の下、「第7回歳三生家で作ろう!石田散薬製造体験会」が

日野宿本陣文書検討会様と土方歳三資料館の共催にて開催されました。

 

 

朝早くから集合してくれた資料館スタッフキラキラ

ありがとうキラキラ

石田散薬Tシャツお揃いでウインク

 

 

日野宿本陣文書検討会の皆様も準備着々キラキラ

 

薬研は5台スタンバイキラキラ

 

一年に一度だけ土方家に復活する

「石田散薬製造所」星

 

本日の牛額草はこだわり産地のものです、ハイ爆  笑

 

 

体験まちの行列キラキラ

大盛況です流れ星

 

そして、待っている間も退屈しないように、

楽しんで頂けるようにと、

たくさん工夫が凝らしてあります。

写真やパネルで石田散薬のことをお勉強キラキラ

 

 

 

10年間かけて得意先台帳「村順帳」に載っているお得意先を

調べて下さった内容がまとめてある、冊子も頒布されました。

 

石田散薬に関する学術的な投稿論文もキラキラ

 

皆さん、最後は薬袋の包み方を覚えて、

自分で一方づつに包んだ石田散薬をお持ち帰りいただきます。

 

練習、練習流れ星

 

 

体験は、武道への決意をこめて歳三さんが植えた矢竹に見守られながらキラキラ

 

 

薬研で引くと、どんどん細かい粒子になって行くのが面白いキラキラ

 

ついつい夢中になる作業ですウインク

 

 

できたお薬は椀に入れて、いざ、薬包紙にキラキラ

 

 

 

 

 

 

 

日野宿本陣文書検討会の皆様、少し早いけれど、

歳三さんの5月5日の183歳のお誕生日を参加者みんなでお祝いしようじゃないのと、

とても素敵なメッセージボードを用意して下さいましたラブラブ

参加の皆様お一人お一人、

シールを貼って、

貼って、

貼って、

貼って…

 

完成〜星爆  笑星

このメッセージボードは、しばらく土方資料館入口掲示板に

飾らせていただきますねキラキラ

 

 

できた〜ラブラブ

 

満面の笑顔ラブラブ

 

台湾からみんなでご参加くださいました〜ラブラブ

ありがとう照れ照れ照れ

 

星ご参加者の感想ノートより抜粋星

星石田散薬体験とても楽しく参加させていただきました。本日の牛額草が燃えよ剣の決闘場所である分倍河原で採れたものだと解りとても嬉しいです。司馬遼太郎先生の「燃えよ剣」で新選組にどっぷりはまったので。

皆様、薬研が重いとおっしゃてましたが、体験できる喜びからかあっという間にできてしまいました。とても楽しかったので、来年は友人と参加したいです。本日は貴重な体験をさせていただき本当にありがとうございます。

 

星初めて石田散薬つくりができて楽しかったです。またやって見たい!和泉守兼定も見れてうれしかったです。大切にされていて感動しましら。またきます!(石川県より M様)

 

星函館出身で札幌の薬学生です。新撰組が大好きで、薬研体験もできて大大満足です!本当にありがとうございました。(H様)

 

星上海から来ました!ずっと前から土方歳三資料館のツイッターフォローしてました。今回は東京に刀ミュに見に来る機会があって、しかもちょうど兼さん限定期間展があって、しかもしかも石田散薬手作体験まであって、本当に幸せな旅でした。来年もまだこっちに来て、兼さん見て見たいとお思います。

 

星初めて体験しました爆  笑開催していただけて嬉しいです。ありがとうございました!わたしは歴史にはうといのですが、脈々と現代まで続いているんだな…と感慨深くなり貴重な経験となりました。ご苦労もあるでしょうが、このような機会を作ってくださり、どうもありがとうございました。(岐阜県より H様)

 

星今年も神戸から来ました!石田散薬作り2回目でしたが、薬研の使い方や薬包紙の折り方など今回はほめていただいて嬉しかったです!薬学部生なので、これからも頑張りたいと思います!またきますね!ありがとうございました。(R様)

 

星今日は始めて日本へ来て、体験会を参加してきます。本当に幸せです。中国でずっと土方さんが崇拝して、今日はやっと望みを実現する。夢が叶いました!これからも土方さんのために日本へ留学するを決ました。本当に素敵な体験です。

 

星石田散薬作りとても楽しかったです。何百件作くってたと思うと凄いなと思いました。土方さんと同じことができて嬉しかったです。資料館では初めて知ったことも色々あって、とてもいい体験ができました。家続は薩摩ですが、新選組・土方さん大好きです。

 

星土方歳三資料館には数えきれないほど来てますが、石田散薬製造体験は日程が合わず始めての参加でした!江戸時代から変わらない製法で体験できて、感動いたしました!来年もぜひ参加させていただきたいと思っております。本当にありがとうございました!(S様)

 

星山口県から来ました。申し上げにくい…笑 資料館も石田散薬体験もとても楽しかったです!!是非また来たいです!!!

 

星北海道から初めて来ました。展示も石田散薬の体験も楽しかったです。兼定見れてよかったー!!!

 

星去年先着に間に合わず、今年リベンジしました。とても素晴らしい体験ができて良い思い出となりました。札幌からきてよかったです!!

 

星初めて本物の薬作って楽しかったです!!またやりたーい!!

 

星来年も来ることが出来ますように 埼玉より

 

星土方さんはカッコいいです。彼に憧れてる 本当に嬉しいです!ありがとうございます!(中国 北京より)

 

星いつも楽しい体験会を企画してくださり感謝致しております。館長様、スタッフの皆様、石田散薬を継承して下さる方々にたくさんの感謝の気持ちと共に、これからも、沢山の方々に体験していただく機会を設けてくださることを願っております。

「(当時)これだけの人出があればな…」という歳三さんの声が天空の世界から聞こえてきそうでした。ありがとうございました。

(江戸の帽子職人 様)

 

星2回目です。兼定を見ると歴史を感じることが出来て心震えます…またゆっくり展示を見にきます!貴重な時間をありがとうございました!

 

星島根から来ました!貴重な体験ができて楽しかったです!薬研でゴリゴリすりつぶすのが楽しかった!ありがとうございました!!(M.K 様)

 

星初参加です!とっても貴重な体験ができてよかったです。薬研使うのが思ったより難しかったです。また来たいと思います。(長州の女 様)

 

星念願の和泉守兼定に会えて嬉しいです!!!!!そして、土方さんゆかりの品を目にすることができ、話できくのと見るのとでは、はくりょくが違うと思いました。石田散薬も作れて楽しかったです。スタッフの皆様、ステキな時間をありがとうございました!(旭川市 K様)

 

星愛さんと京都ツアーにご一緒させて頂きました。今日はその時であった方たちと一緒に石田散薬作りに参加させて頂きました。とっても楽しい1日がまた増えましたハートありがとうございます。歳三さんの気分を味わえました。(茅ヶ崎市 K様)

 

星台湾から参りました。I LOVE HIJIKATA SAN!!! This is a very precious experience,thank you very much.

有機会還会再来!  HIJIKATA LOVEハートハートハート 

 

星いつも見に行きたいです!やっと機会が取れました!台湾から参りました本当に良かった!また機会があればまたきます。

 

まだまだ、いただきましたがご紹介しきれなくてごめんなさいアセアセ

 

御参加頂きました皆様、

一年かけてご準備下さった日野宿本陣文書検討会の皆様

 

ありがとうございましたハート

 

 

 

 

 

 

 


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4月14日(土)姫路獨協大学・はりま会主催のはりま歴史講座

「明治維新の勝者と敗者・西郷隆盛と大鳥圭介の時代」全10回講座

の第1回「大鳥圭介と土方歳三」を担当させて頂きました。

 

講座では、200名弱の方がご受講下さいました。

大鳥圭介さんのご出身地・播磨國にて、

大鳥圭介、土方歳三について話す機会を頂き、

ご受講の皆様、姫路獨協大学様、はりま会様に、感謝申し上げます。

 

 

 

 

今回、有りがたいことに

大鳥圭介保存会長である小林ご夫妻様にお誘い頂き、講座の前日に、

大鳥圭介さんの生誕地である上郡町(かみごおり)を訪ねることが出来ました。

 

その旅、目からウロコの連続でしたのでご紹介したいと思いますキラキラ

 

姫路から乗換えながら30分くらい。

 

 

「イノシシと鹿が人間より多いような限界集落なんですよ。」と伺っていたのですが、

確かに自然豊かなのどかな景色キラキラ

 

上郡駅前にはどーんと大鳥圭介さんのご紹介が。

 

 

町役場の前には、大鳥さんの銅像どーん

 

 

地元の英雄なんですね。

ちなみに銅像は明治100年を記念して建てられたと記載があります。

 

車で10分ほどで生家あとに到着。

生誕地は、現在再建されて「いきいき交流ふるさと館」として、

大鳥圭介にまつわる史料を月二回第1/3日曜日に展示しています。

 

 

集落のみなさまが沢山集まってくださり、温かく出迎えて下さいました。

嬉しく、なんだかはずかしくあせる

 

この日は特別開館して頂き、猪尾塾長様に丁寧に案内して頂きました。

 

猪尾塾長様は長年コツコツと資料をまとめられ、お子様向けの紙芝居から、

大鳥圭介に関わった沢山の人物の特別資料ファイルまであり、

「これ、大鳥圭介さんに興味があるなら外せない!」が目白押し。

 

 貴重な史料もキラキラ

 

勿論大鳥さんの七言絶句の漢詩のお軸や書額なども沢山ありますが。

 

生家跡ならではのゆかりの品。

大鳥圭介さんのお医者さまだったお父様の診療カバンキラキラ

 

大鳥さんが用意した、日清講和条約調印時に使用された硯キラキラ

日本側の代表は、外務大臣・陸奥宗光。

 

そして、産湯の井戸もそのままに遺されキラキラ

 

子ども向けの紙芝居も、クオリテイが高いですキラキラ

 

 

天保の飢饉で、天保3年生まれの大鳥さんは

幼少時代とても貧しい環境のなか、工夫して食糧を調達して育ったとかキラキラ

 

楽しみは近くの滝ツボで沢ガニをつかまえて食すことだったとかキラキラ

近くの川では鮎が取れたとかキラキラ

 

相撲大好き少年で、一度負けた際には、すご〜く悔しがったとかキラキラ

 

箱館戦争後の獄中時代は、自分の作った牢獄に榎本武揚、相馬主計、荒井郁之助らとともに、

4畳半に7人で入牢するハメになったなんて事も。

(その後明治政府に必要な頭脳を持った人物として、後半生は日本の発展のために活躍します)

 

 

 

男爵になっていても、大伯母さんに叱られたら、「ごめんなさい」と素直に謝ったとかキラキラ

 

 

 

 

 

 

皆さん、お気付きになりました?

 

 

 

 

 

 

 

そうなんです!!

どれもこれもエピソードが歳三さんとかぶりすぎ爆  笑爆  笑爆  笑

(歳三さんも親戚のおばあさんに「ぼた餅も食って行く余裕が無いんじゃ戦に勝てんよ!」と一喝されて素直〜にいただきますをしたエピソードがありますね)

 

 

 

こちらをたずねるまでは、私のなかの大鳥さんは、お医者さんの家に生まれて幼い頃から一流の教養を身に付けた御坊ちゃまで、エリート街道まっしぐら、最新歩兵術も頭に入っているスーパーインテリ、のイメージでした。

 

 

でも、故郷に伝わる大鳥圭介さんは、歳三さんと同じように、川で遊んで相撲を取ったガキ大将で、のびのび育った人物キラキラ

 

 

目からウロコのエピソードを沢山伺い、

とーっても親近感を感じてしまいました。

 

 

やっぱり、実際に訪ねてみないとわからない事、

感じられることって沢山ありますねキラキラ星キラキラ

 

陸軍奉行大鳥圭介、陸軍奉行並土方歳三は、

結構気の会うコンビだったのではないかな〜と感じましたウインク

 

 

 

来月の5月4日は「圭介まつり」が催されるようですよ。

お近くの方は、ぜひお出かけになって見てはいかがでしょうか。

キラキラ素顔の大鳥圭介さんに出会えますよ〜キラキラ

 

 

 

いきいき交流ふるさと館

 

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