資料館日記復活☆土方家お稲荷様のこと | 土方歳三資料館日記 (Hijikata Toshizo Museum Blog)

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土方歳三の生家跡に設けられた資料館にて運営に携わる子孫の綴る日記。

アメブロ事務局よりご連絡を頂きまして、この度

「土方歳三資料館日記」

復活再生を遂げましたキラキラキラキラキラキラ

 

ツイッター、SNS、メールを通じて、

ご心配、アドバイスを頂きました皆様、本当にありがとうございました。

今年立ち上げた資料館公式新サイトを担当して下さいましたS様のご協力も有り、

無事復活致しました〜〜〜ウインク 

お心をよせてくださいました皆様のおかげです。

本当に本当にありがとうございましたキラキラキラキラキラキラ   

 

さて、実は土方家では、節々が傷んでしまっていたお稲荷様があり、その修復のことを記事に遺しておきたいと思っておりました。

下の土台部分が川原石をセメントで固めたものだったので、もしかしたら最近(昭和期)に修復されたものかなと思っておりましたが、今回大工さんに色々お話を伺い、色々と分かることがありましたので、記事に残しておければと思いました。

 

今回担当して下さいました大工さん、さすがです。

木を見ただけで、「ああ、これはケヤキを使ったんだね。雨にさらされる屋外の社だからね。こういう風に暴れるように傷んでしまうんだよ。」と。

そして、現代の業者さんにありがちな「写真でとって確認。それが唯一信じられる現況」を一切せずに、とにかく尺と寸を使って寸法を測り手書きでメモし、損傷した部分を全く同じに手作りして下さいました。

大工さんってすごいです。

 

作業の合間に、元の木材に使用されていた釘を見せて下さいました。

「これはね、当時の鍛冶屋さんがトンカン打って、一本一本鍛えた鋳物の釘だよ。

一見不格好だけどね。火で鍛えている分、今有る釘なんかよりずっと丈夫なんだよね。永〜いこと持つんだよ。」と。

 

 

 

 

多摩地区、生家に近い場所には、多摩市に鍛冶屋さんがありました。

そこで鍛えたものかどうかは分からないし、この稲荷社が、歳三さん12才の年に生家が玉川浅川の氾濫にて流されそうになり移築した際に、そのまま運んでこられたものなのか、それともその時に建て替えられたのか(とはいえ、新しくではなく同じ材料を組み直したのでしょうが)、現段階ではっきり分かる史料はみつかっていませんが、使われていた釘から推察するに江戸時代のものだということでした。

(土台の川原石のものは、樫の木で塀としているのを川原石を積んで塀とした時に一緒に整えたものか、現在の塀を整えたときに元々の塀に使用していた川原石を少しでも活かそうと土台だけ整えたものか、

 

お稲荷さんは、この辺りの旧家では、とても一般的です。

ご来館下さいました方より、

「ご近所は土方姓が多いのですね。」

とよくお言葉を頂きますが、ご近所には、土方姓が多いことと同時に旧家と思われる家の敷地にはお稲荷さんがある事が多いと気づかれる事も多いのではと思います。

 

これは、多摩地方が農業中心だったために、五穀豊穣をお祈りするお稲荷さんが尊ばれたことで、稲荷社信仰が盛んな地域だったことがあげられます。

当家のお稲荷様は伏見稲荷に縁のある社です。


 

 

また、数十年、無事にお祀り出来ると思うとありがたいことと存じます。

 

☆追記☆

ブログランキングに参加をやめたのですかとコメント頂きました。

実は、アメブロが新しくなってから、ブログランキングのリンクのやり方が分からなくなってしまったのです(涙)

以前はJAVA(なのかな?)の暗号の様な一文をコピーしておいて、都度ペーストしていたのですが、新しいアメブロ更新画面はそういうことは出来なくて…☆

 

ご心配下さってありがとうございました。

「ランキングをみて新たに先祖の事に興味を持て下さる方がいらっしゃれば…」と思い始めたランキング参加でしたが、自分の出来る範囲外の技術だったら、参加を見合わせようと思っています。ご心配おかけしました^^