上野戦争 彰義隊をあるく ツアー報告その壱 | 土方歳三資料館日記 (Hijikata Toshizo Museum Blog)

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土方歳三の生家跡に設けられた資料館にて運営に携わる子孫の綴る日記。

去る11月4日(金)5日(土)に

土方歳三資料館 大人の遠足

「上野戦争 彰義隊をあるく」ツアー

を催しました。

 

2日間とも同内容の半日日帰りツアーでしたが、

絵に描いたような遠足日和でした☆

 

まずは、彰義隊のあらましを10分間で

できる限り平易に、でもきちんと解説を☆

 

上野公園(=上野戦争舞台)周辺をくまなく解説しながら歩くので、

当時の様子がだんだん身近に感じられます。

いつもは美術館や動物園への往復でそそくさと通り過ぎた場所、

花見シートを敷いていた場所が実は…びっくりっと、

皆様の上野という地への幕末度を一気に上げて頂いたのではと思います。

 

 

 

 

戦争前に、西軍が「どうも彰義隊の一部が隠れているらしい」との噂を聞きつけて駆けつけた湯島天満宮

 

ちょうど菊祭りの最中で、何だか得した気分でしたキラキラ

 

 

湯島天神様の階段を降り、正面突き当たりにみえるのは

「上野松坂屋」

彰義隊戦争の際に西軍本陣となった場所です。

 

階段を降りたすぐ下は心城院。こちらにも彰義隊が潜んでいるとのことで、西軍の探索の手が入ったと伝わります。

 

戦争直前、西郷隆盛率いる西軍はここから本陣向けて進みました。

 

 

上野松坂屋の、この角に当時の店があったんですねー。

(今は拡張されてます)

歳三さんが11才で奉公し、番頭さんに頭をごつーんとやられた場所。

歳三さんはそれが気に入らず、生家まで40㎞の道のりを歩いて戻ってきたと言います。

11才で40㎞を追いはぎや夜盗なんかを畏れずに歩き倒せる子供って、今どれくらいいるでしょう。

すごいファイティングスピリットだと思います。

 

 

こちらが西軍の本陣にされたことは店の人には知らされていず、番頭はじめ、朝起きるとびっくりして訳がわからないまま、店の帳面などの貴重品はとにかく蔵に入れて、戦争後まで死守したんだそうです。

 

歳三さんが奉公していた頃より、20数年。

 

もしかしたら、

当時歳三さんをゴツーンした番頭さん、出世して代表格として、

震え上がりながら

当日お店にいたかもしれないですねアセアセ

 

歳三さんの奉公先だったなんて、西郷さんも知らなかったでしょうし、

歳三さんだってそんなこと想像もせずに奉公していたんですから、

 

それを理解しているのは後世に生きた私たちだけ。

歴史を振り返ると、こういう自分たちだけが知りうる情報もあったりしますね。

 

 

 

 

なんてお話を交えながら、

松坂屋(当時の本陣)から加えられた砲撃の様子や射程距離等の詳細な説明を聞きながら西軍のルート通りに黒門に近づきます。

 

その弐へつづきますキラキラ