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和して同ぜず

頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

もし人間が本能主体の動物であるなら、心理学が今日のように複雑にならないし、戦争なんかしないはずだ。(動物は例外なく個体よりも種を優先する。)
ならば人間の行動で本能によるものは僅かと言っていい。

また、人間は一人では生きられない。
さらに本能のようなマニュアルがなければ、集団で人間が行動することは難しい。
これもまた事実だ。(現に今は集団で暮らしている。)

では本能の役目をになっている別のものとはなんだろうか。
それは自らが生まれつき所属する社会の思想や発想の形式にちがいない。

支配者の言葉のもとに一定の行動型が設定される。
国民国家なら法律、地方公共団体なら条例、家庭なら道徳である。
魔術的な言い伝えや習わしなども型の一つだ。

生まれた瞬間から内部に属するので、人間はそれらの型を意識せずに生きることになる。
これは無意識で衝動的に行われる行動、すなわち本能による行動に構造的に似ている。




人間は文明によって、動物から離脱するのではなく、むしろ動物の行動のレベルに近づくのではないか。

2012/3/15


震災四日目


6:00起床


7:00<仙台市役所⇒山形駅・バス(臨時)・75分・900円>
・乗車するべく並ぶ。約2時間後、乗車。(新潟(16:30頃)に着いても並んでる人はいたと聴く)
・3/14現在、渋滞なし、ガソリン不足なし、仙台⇒山形間をバスが廻る回路を形成した模様


11:00頃山形駅着
・炊き出しあり、電気あり。人はごった返してはさほどないが、コンビニ品薄



12:00(山形駅⇒鶴岡駅・バス(臨時)・約2時間・2400円)
・同上(区間において回路形成の模様)
・3/14現在、渋滞なし、ガソリン不足なし、



14:00頃鶴岡着



14:30頃<鶴岡駅⇒新潟駅・羽越本線(いなば)・約2時間・約4000円>
・奇跡的に運行、駅に来るまで、運行可/不可は未知だった。
・大量の人、座席は無関係、立って新幹線に乗車するほどの混み具合
・日本海が間近に見えた。嫌な気分になる。
・途中、地震速報が泣き叫ぶも(長野、直下型)、揺れはなく無事、到着

16:30頃新潟駅着
・街はいつもの風景を呈する、違和感。
・auショップにて充電。
・ サイゼリヤ、震災後、初めて熱のあるものを口に運ぶ。
20:00<新潟駅⇒大阪駅・バス(夜行)予約必・約5000円>
・長野、直下型にてこの時、既に上越新幹線、運休


7:00大阪駅着


こんな感じで奇跡的に帰還。交通機関は独立して運行しているため、行き先からの見通しは立たなかった。ギャンブルでした。野宿も一応、視野に入れつつ、大きな余震で麻痺するのを恐れ、早め、早めに行動。他にも行き方あり。3/16現在においてはさらに多くの選択肢があると思う。民放にはもっと交通機関の運行状況を知らせて欲しかった。

2011/3/16


震災三日目


5:00<市役所において起床>
・風呂になど入ってないため臭う。昨日の夜の話を反芻しつつ…、仙台市役員の働きを観察。


8:30<情報収集、街へ>
・道中、既に開いているコンビニがちらほら。救援物資(視認出来たのは、ガスボンベ)、届き始める。変化、を視認と供に確認。
・突如、携帯が鳴きはじめた。吉報、音信不通の東北大の友人(地元は関西(以降J))からのメールだった。Jの宮城の家は停電、それゆえ、避難所へ。市役所で会う約束をする。
この時、ラジオと地元新聞の情報しか仙台市内においても浸透していなかった。


9:00<唯一の知り合い(J)と会う>
・お互い情報、仕入れ、携帯の充電を行う。


9:30<塩釜へ、状態の確認>
・Jはこちらの友達に、命が何より、と、止められる。が、二人の意見は一致。
・沿岸部、被害状況を視認したい。強い余震が起これば逃げ切れないのは重々承知であった。それでも、見ておかなければならない、と、強く感じた。
・自転車を仙台駅から東北に向かい、海岸のほうへ。
・Jの予想では仙台から数㌔で、津波だった。しかし、進んでも、中々津波の被害を見ることは出来ない。
・さらに駒を進め、国道沿いを進む。栗原市で家を流され、仙台へ向かう女性に会う。携帯を貸す、も、繋がらず、別れる。
・さらに進むと車の渋滞、しばらく行くと、あったのはガソリンスタンドであった。しかし、すでにガソリンは切れている模様。あえなく通過。



11:00<こ、これは…>
・目に飛び込んできたのは車達のオブジェ…調和が取れ過ぎてやしないかい?寒気がした。多賀城市に入って間もなくのことである。
・泥がいきなり出現、Jとの話の上、津波による、川の逆流によるものと仮定。ただし憶測が憶測を喚ぶ。ため、これ以上は控える。
・泥道を進む。建物の水の痕跡から、ここでの津波の高さは2~3mと窺える。おいおい、ここは少なくとも沖合10kmはあるんだが?無論、ここでは金などただの物体と化す。
・下水(雨水)から海水が溢れ出しているところもあった。救助隊の車両が見えた。調度、救助隊が徒歩で担架を持ち、救助に向かうのを見た。
・空を見上げるとそこにはまるで人間を威圧する巨人のような、黒煙。間接的にも沿岸の火災の酷さが伝わる。
・さすがにこれ以上は危険だと、Jも頷き、仙台へ折り返しことに。
・別ルートでの帰路において、多賀城小学校を発見。丁度、飲料水の配給を行っていた。


12:30<仙台市役所に戻る>
ホテルからご一緒さして頂いていた方々は続々と仙台を出ていき、午後にはJと二人になる。
僕らも出ることを決意。
Jは一端家へ。


19:00<本日の配給>
蒲鉾とお握り


Jと明日の計画をある程度構想し、就寝。

2011/3/16