5:00<市役所において起床>
・風呂になど入ってないため臭う。昨日の夜の話を反芻しつつ…、仙台市役員の働きを観察。
8:30<情報収集、街へ>
・道中、既に開いているコンビニがちらほら。救援物資(視認出来たのは、ガスボンベ)、届き始める。変化、を視認と供に確認。
・突如、携帯が鳴きはじめた。吉報、音信不通の東北大の友人(地元は関西(以降J))からのメールだった。Jの宮城の家は停電、それゆえ、避難所へ。市役所で会う約束をする。
この時、ラジオと地元新聞の情報しか仙台市内においても浸透していなかった。
9:00<唯一の知り合い(J)と会う>
・お互い情報、仕入れ、携帯の充電を行う。
9:30<塩釜へ、状態の確認>
・Jはこちらの友達に、命が何より、と、止められる。が、二人の意見は一致。
・沿岸部、被害状況を視認したい。強い余震が起これば逃げ切れないのは重々承知であった。それでも、見ておかなければならない、と、強く感じた。
・自転車を仙台駅から東北に向かい、海岸のほうへ。
・Jの予想では仙台から数㌔で、津波だった。しかし、進んでも、中々津波の被害を見ることは出来ない。
・さらに駒を進め、国道沿いを進む。栗原市で家を流され、仙台へ向かう女性に会う。携帯を貸す、も、繋がらず、別れる。
・さらに進むと車の渋滞、しばらく行くと、あったのはガソリンスタンドであった。しかし、すでにガソリンは切れている模様。あえなく通過。
11:00<こ、これは…>
・目に飛び込んできたのは車達のオブジェ…調和が取れ過ぎてやしないかい?寒気がした。多賀城市に入って間もなくのことである。
・泥がいきなり出現、Jとの話の上、津波による、川の逆流によるものと仮定。ただし憶測が憶測を喚ぶ。ため、これ以上は控える。
・泥道を進む。建物の水の痕跡から、ここでの津波の高さは2~3mと窺える。おいおい、ここは少なくとも沖合10kmはあるんだが?無論、ここでは金などただの物体と化す。
・下水(雨水)から海水が溢れ出しているところもあった。救助隊の車両が見えた。調度、救助隊が徒歩で担架を持ち、救助に向かうのを見た。
・空を見上げるとそこにはまるで人間を威圧する巨人のような、黒煙。間接的にも沿岸の火災の酷さが伝わる。
・さすがにこれ以上は危険だと、Jも頷き、仙台へ折り返しことに。
・別ルートでの帰路において、多賀城小学校を発見。丁度、飲料水の配給を行っていた。
12:30<仙台市役所に戻る>
ホテルからご一緒さして頂いていた方々は続々と仙台を出ていき、午後にはJと二人になる。
僕らも出ることを決意。
Jは一端家へ。
19:00<本日の配給>
蒲鉾とお握り
Jと明日の計画をある程度構想し、就寝。
2011/3/16