型の必要性 | 和して同ぜず

和して同ぜず

頭の中の整理、アウトプットの場として利用さしていただいています。書籍の解釈にはネタバレを含みます。

もし人間が本能主体の動物であるなら、心理学が今日のように複雑にならないし、戦争なんかしないはずだ。(動物は例外なく個体よりも種を優先する。)
ならば人間の行動で本能によるものは僅かと言っていい。

また、人間は一人では生きられない。
さらに本能のようなマニュアルがなければ、集団で人間が行動することは難しい。
これもまた事実だ。(現に今は集団で暮らしている。)

では本能の役目をになっている別のものとはなんだろうか。
それは自らが生まれつき所属する社会の思想や発想の形式にちがいない。

支配者の言葉のもとに一定の行動型が設定される。
国民国家なら法律、地方公共団体なら条例、家庭なら道徳である。
魔術的な言い伝えや習わしなども型の一つだ。

生まれた瞬間から内部に属するので、人間はそれらの型を意識せずに生きることになる。
これは無意識で衝動的に行われる行動、すなわち本能による行動に構造的に似ている。




人間は文明によって、動物から離脱するのではなく、むしろ動物の行動のレベルに近づくのではないか。

2012/3/15