今日は休日出勤でしたー。
普段と違って集中して仕事ができるので、嫌いではない。絶景.comで壁紙を更新(仕事しろ)
休出組の中では一番の年長なので、指揮をとるっぽいことをしたが、激しくぎこちない。1コ下のコのほうが、目の付け所・勘どころが習慣化されていて、観ていてなるほどと思った。
帰りに書店に寄る。
文春文庫で宮城谷氏の『三国志』が出ていることを知った。学部の大先輩。
中学のころ『子産』を読み、『楽毅』を途中まで読んで嫌になってやめた覚えがある。
今日ぱらぱらとめくってみたら、以前とひどく文体が変わった気が…。
司馬さん(遼太郎)の匂いがする。
買おうかどうか迷ったが、やめた。
丸干しをかみ砕く訓練をしているのにケーキを食べては、顎にも舌にも悪影響。
自分で読み切るまでは、他人の解釈に触れるのはやめようと思う。
※
中勘助『銀の匙』がやたらと目につく。灘高の先生が3年間、このたった一冊を手に授業をしていたそうで、いろんな書店で表紙を向いて置かれているのを見る。
スローリーディング
急いで読んではいけない。
古典を読むのもそんな心構えが必要だろうと思う。
さらっと流すとそこに自分が取り巻かれている世界を読み込み逃してしまう。
ただでさえ、何を言っているのがはっきりしない言葉たちなのだから、行間を一句を捉えて何かとっかかりを探さねばならない。
※
法正伝。いわゆる蜀の英雄として認知されてないだけに新鮮な気持ちで読める。まだ途中。
伝中「劉璋に大事を行う器量がないことを心中嘆息していた」とある。
法正はどんな大事を秘めていたのだろうか。諸葛亮と同じ方向を向いていたのだろうか。輔漢か簒奪か。
蜀人というと引きこもりが多いような感覚があるが、こんなこと考えていた法正は職場で浮いてたろうなどと思ったりする。法正の青写真を見てみたい。
劉璋が焦土作戦を薦める鄭度に対して「民を守るのが主」と突っぱねるところがある。
劉璋ってなんだか韓馥に似てるんだよなぁと思う。
言っていることはそれなりに理が立っている。が徹底的に戦うのかどうかという点になると中途半端。
器量というところに話を落ち着けてもいいけれども、その結論も中途半端。
鄭度と劉璋、どちらに与するか?
ひとつの判断の訓練であって、そうして自己の原則を磨いていく。
決めないままだといつまでもそのままだから、一度白黒つけてみる。形にしてみる。
(つづく)
(11月12日追記)
しばらく放置しておりました。
見栄をきったら面倒くさくなってしまった……。
さて、劉璋vs鄭度の話。
劉璋の言う「護民」という理念は州牧として誤りないし、鄭度も異論が無いところ。
いかにその「護民」を実現させるかという方法に二者で相違がある模様。
結局、効果測定というところに話が落ち着くのか。
争点(1) 焦土作戦による被害と焦土作戦を行わなかった場合の被害はどちらが大きいか?
鄭度が言うには、この作戦による一時的な被害はあるものの、
効果として敵は100日を待たずして引き上げるだろう、という話。
※実際には、劉備軍は足掛け3年の間、劉璋軍と戦える兵糧を持っていた。
もちろん、巴西・梓潼の兵糧を接収したのもあるだろうが。
劉璋が弱いのは、「じゃぁ、焦土作戦を行わなかった場合、どうするんだ」
という点に全く答えてないこと。
この後、成都を数十日攻囲され、民衆に迷惑をかけられない、と降伏する。
きれいに戦って勝ちたいけれど、駄目なら途中でやめる、
というのはとてもはた迷惑に見える。
そもそも、黄権や王累の諫言を無視して、劉備を迎え入れたのは劉璋。
「誰もが、私(劉璋)の手助けをしてくれ、戦うにあたっても民衆に迷惑を掛けずに勝てる」
というぼんやりとした想像しかもっていなかったのではないか。
他人が手助けしてくれるには代償が必要であるし、
戦うにあたっては、それなりの準備がないと勝てない。
ということが基本的にわかっていなかったのではないだろうか。
そういう意味で、
争点(2) そもそもこんな劉璋が益州を治めているのが間違いなのでは?
ということで、大きな歴史の流れ的に、劉璋の判断に軍配が上がるように見えて、
(※より有能な統治者に代わることは、価値であろう。
しかし、有能な統治者に代わることが護民に繋がるとは必ずしもいえない。)
争点(3) 弱者が強者に奪い取られることが歴史の軍配か?
という点でまた分からなくなる。
どう見ても、これは劉備による簒奪なのだから。
で、ぐちゃぐちゃと考えてきましたが、今日はここで強引に結論を出します。
劉璋に軍配。
それも、もっと積極的に、早く降伏すべきだったという意見に与することにします。
益州に混乱(東州兵の略奪など)を招いたのは彼だったようにみえるし、
州牧としての資質にやはり欠けるところがあったと、判断することにします。
最後に、護民の論理を振りかざすならば、その降伏はもっと早くてもよかったのでは。
(※蜀や呉の滅亡の際の書をみると、降伏文のテンプレートがあるような気がし、
それ(護民)がただの建前のような気もするけれども)
かなりしんどい(苦しい)結論になりました。
いろんなことが思いあわされ、ちょっとこういう議論を展開しようとするのは、
やめようと思いました。