宰予の昼寝。 -4ページ目

宰予の昼寝。

気の向くまま。
生業:システムエンジニア
知識傾向:東洋史

今日は休日出勤でしたー。
普段と違って集中して仕事ができるので、嫌いではない。絶景.comで壁紙を更新(仕事しろ)
休出組の中では一番の年長なので、指揮をとるっぽいことをしたが、激しくぎこちない。1コ下のコのほうが、目の付け所・勘どころが習慣化されていて、観ていてなるほどと思った。

帰りに書店に寄る。
文春文庫で宮城谷氏の『三国志』が出ていることを知った。学部の大先輩。
中学のころ『子産』を読み、『楽毅』を途中まで読んで嫌になってやめた覚えがある。

今日ぱらぱらとめくってみたら、以前とひどく文体が変わった気が…。
司馬さん(遼太郎)の匂いがする。

買おうかどうか迷ったが、やめた。
丸干しをかみ砕く訓練をしているのにケーキを食べては、顎にも舌にも悪影響。
自分で読み切るまでは、他人の解釈に触れるのはやめようと思う。



中勘助『銀の匙』がやたらと目につく。灘高の先生が3年間、このたった一冊を手に授業をしていたそうで、いろんな書店で表紙を向いて置かれているのを見る。

スローリーディング
急いで読んではいけない。

古典を読むのもそんな心構えが必要だろうと思う。
さらっと流すとそこに自分が取り巻かれている世界を読み込み逃してしまう。
ただでさえ、何を言っているのがはっきりしない言葉たちなのだから、行間を一句を捉えて何かとっかかりを探さねばならない。



法正伝。いわゆる蜀の英雄として認知されてないだけに新鮮な気持ちで読める。まだ途中。

伝中「劉璋に大事を行う器量がないことを心中嘆息していた」とある。
法正はどんな大事を秘めていたのだろうか。諸葛亮と同じ方向を向いていたのだろうか。輔漢か簒奪か。
蜀人というと引きこもりが多いような感覚があるが、こんなこと考えていた法正は職場で浮いてたろうなどと思ったりする。法正の青写真を見てみたい。

劉璋が焦土作戦を薦める鄭度に対して「民を守るのが主」と突っぱねるところがある。
劉璋ってなんだか韓馥に似てるんだよなぁと思う。
言っていることはそれなりに理が立っている。が徹底的に戦うのかどうかという点になると中途半端。
器量というところに話を落ち着けてもいいけれども、その結論も中途半端。
鄭度と劉璋、どちらに与するか?
ひとつの判断の訓練であって、そうして自己の原則を磨いていく。

決めないままだといつまでもそのままだから、一度白黒つけてみる。形にしてみる。
(つづく)


(11月12日追記)

しばらく放置しておりました。

見栄をきったら面倒くさくなってしまった……。

さて、劉璋vs鄭度の話。


劉璋の言う「護民」という理念は州牧として誤りないし、鄭度も異論が無いところ。

いかにその「護民」を実現させるかという方法に二者で相違がある模様。

結局、効果測定というところに話が落ち着くのか。


争点(1) 焦土作戦による被害と焦土作戦を行わなかった場合の被害はどちらが大きいか?


鄭度が言うには、この作戦による一時的な被害はあるものの、

効果として敵は100日を待たずして引き上げるだろう、という話。

※実際には、劉備軍は足掛け3年の間、劉璋軍と戦える兵糧を持っていた。

 もちろん、巴西・梓潼の兵糧を接収したのもあるだろうが。


劉璋が弱いのは、「じゃぁ、焦土作戦を行わなかった場合、どうするんだ」

という点に全く答えてないこと。

この後、成都を数十日攻囲され、民衆に迷惑をかけられない、と降伏する。


きれいに戦って勝ちたいけれど、駄目なら途中でやめる、

というのはとてもはた迷惑に見える。


そもそも、黄権や王累の諫言を無視して、劉備を迎え入れたのは劉璋。

「誰もが、私(劉璋)の手助けをしてくれ、戦うにあたっても民衆に迷惑を掛けずに勝てる」

というぼんやりとした想像しかもっていなかったのではないか。


他人が手助けしてくれるには代償が必要であるし、

戦うにあたっては、それなりの準備がないと勝てない。


ということが基本的にわかっていなかったのではないだろうか。


そういう意味で、

争点(2) そもそもこんな劉璋が益州を治めているのが間違いなのでは?


ということで、大きな歴史の流れ的に、劉璋の判断に軍配が上がるように見えて、

(※より有能な統治者に代わることは、価値であろう。

しかし、有能な統治者に代わることが護民に繋がるとは必ずしもいえない。)


争点(3) 弱者が強者に奪い取られることが歴史の軍配か?


という点でまた分からなくなる。


どう見ても、これは劉備による簒奪なのだから。


で、ぐちゃぐちゃと考えてきましたが、今日はここで強引に結論を出します。


劉璋に軍配。

それも、もっと積極的に、早く降伏すべきだったという意見に与することにします。

益州に混乱(東州兵の略奪など)を招いたのは彼だったようにみえるし、

州牧としての資質にやはり欠けるところがあったと、判断することにします。


最後に、護民の論理を振りかざすならば、その降伏はもっと早くてもよかったのでは。

(※蜀や呉の滅亡の際の書をみると、降伏文のテンプレートがあるような気がし、

それ(護民)がただの建前のような気もするけれども)


かなりしんどい(苦しい)結論になりました。

いろんなことが思いあわされ、ちょっとこういう議論を展開しようとするのは、

やめようと思いました。

今日は番外。

三国志を読んでいると、それを読んでおけば、もっと豊かにその世界が感じ取れるだろうと思える書物群を発見する。

五経(易経・書経・礼記・詩経・春秋)と史漢(史記・漢書)。

至るところに故事が引かれて、その出典はだいたい上の書物群。
三国志を読み終えるまで、余裕もないなと思いつつ、同じ味ばかりだと時に飽きてしまい、つい買ってしまった角川ビギナーズクラシック『詩経・楚辞』。



その中に中国古典の歴史は解釈の歴史とあった(そんな意味だったと思う)。
古典の記述は断片的で、その本義をたどるに由無く、後世、色々な解釈がつけられる。艶な詩が、政治批判の詩だと読み替えられたりし、微言大意などと言われたりする。


論語という書物との出会いは、自分の人生の中では早く、付き合いは(真面目な学習者では決してないが)それなりに長い。
時々、生活の中で、句の意味が見えてくることがある。それが古義・本義と大きくずれても、そんな形で、論語という書物を読み込み、論語という書物で生活を読み込み込んでいる。解釈は私家版しかありえないのではないか。


論語・為政第二に
「人にして信なくば、その可なるを知らざるなり」
(人として生きていて、「信」がなければ、何がよいのかわからない。(信こそが最も尊い価値だ))
とある。

「信」とは何か。
今日、職場で5メートル四方を見渡してははぁと思ったのは、正直な人は信だという、至極あたりまえのことだった。
仕事をしているとたくさん不都合なことが起こる。面倒で正面から自分で取り組みたくないようなことなど山のように。
ある人はそれを取り繕おうとし、善を装って、人に押し付ける。だいたい底意は見えている。取り繕わない人は正直だ。何もできなくても、少なくとも自らの思いをそのまま開陳できるひととは、共に行いやすく、上にも仰ぎやすく、下にも持ちやすい。
その人に他にいかなる難点があったとしても、その人は「信」であり、「信」である人とは、やはり親しみたいという気持ちが湧く。

大変にあたりまえのことを書いていると、改めて思う。

中島敦が「弟子」の中で描いた孔子は、なにかに有用なひとではなく、居るだけで満たされている、どういう意味でも大丈夫なひとだった。
今日の読書から。
〇諸葛亮伝を読む。先主伝(劉備伝)でも感じたことだが、これまで色々のイメージの氾濫がありすぎ、正史を読んでもそれが邪魔になって新鮮な形で頭にはいってこない。

〇今回目についたのは、「諸葛亮褒め」の紀事。
相変わらず陳寿先生は抑制的な文章だが、先生自ら撰した「諸葛亮集」の序文はかなりテンションが高めだ。
同時代の司馬懿は天下の奇才といい、ショウ[金重]会はその墓を詣でる。
孫盛だの裴松之だの後世の注釈者も熱っぽく、諸葛亮を語る。
武帝紀(曹操伝)などよりよほど熱気がある。他にこんな熱気を感じる伝はあるのだろうか。魏の荀イク・呉の陸遜あたりが拮抗するか。

〇北伐・中原の回復運動はやはり尋常でない気迫を感じる。

以上!
昨日の読書から。

〇蜀書・後主伝(劉禅伝)をよむ。阿斗=阿呆と名高い劉禅だけども、本文(陳寿の)からはそんな記述は観られない。評で陳寿は「白糸」(如何様にも染まる)というばかりで、この伝だけではそれも裏付けに乏しい。
わずかに裴注のひく「漢晋春秋」のなかに、司馬昭への劉禅の愚かしい回答があるばかり(楽しすぎて蜀のことは思い出しません)。

淡々とした蜀漢の年表。
そんな印象の後主伝。この薄さも史官を置かなかった蜀ゆえか。
最近の読書から。
〇呉書の孫討逆破虜~呉主~三嗣主伝(呉書の本紀的部分)を読みました。
〇呉は叛徒がやたらと多い印象。山越なのだか、漢人なのだか解らないが。しょっちゅう討伐の話&郡の統廃合が出てくる。魏の郡太守は民政官ぽいが、呉の郡太守は保安官ぽい。
〇宴会&酒の話が多い気がする。
〇諌言と孫権の「皆を信頼しているよ」話(時に詔勅)が印象に残る。張昭の諌言はどストレート。諸葛瑾の諌言はそれとなく。顧雍の諌言は黙って。個性が面白い。
〇周昭の讃を載せて諸葛瑾や顧雍を褒めたたえ、「策略を用いて覇道に貢献するようなことは何もしなかったが、高い人格で世を照らした云々」(うろ覚え意訳)とある。知識人(名士)にもこうした区別があるらしい。
〇蜀書を読みはじめる。
〇劉備にはどうしてこうも人が与えるのだろう。曹操は自ら取りにゆき、そして得、劉備は流浪する先々て与えられる。演義の刷り込みがあるからそうみえるのか?
〇6巻の吉川忠夫氏の解説がいい。(陳寿について)
以上!