「夢」と「理想」の違いとは何か | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

日本人の大人は往々にして、軽々しく青少年に対して「夢を持て! 」と言う事が多い。                                      此の傾向は社会で成功した者のみならず、教育者、そして子供を持つ親に至るまで見受けられる。

しかしながら余は個人的には実現する見込みの無い夢を抱かせるのは寧ろ危険であると思えるのである。                                          

何故なら「夢」と言う物自体、必ずしも人間の能力や人格を向上させ、其の人生に成功や幸福をもたらすとは限らないからである。                              

其れどころか反って夢を追い過ぎて「現実」を見失ったり、場合によっては間違った道に進んでしまう事もあるからである。                                   

此の随筆を書いている余自身が「芸術家」等と言う俗世離れした道に進み、そして恰(あたか)も「夢物語」の如き奇跡的な成功や幸福を獲得して来た。

其れ故に「貴方は自分の人生の中で現実を見ていたのか?」と疑問視されるかもしれない。

(同ブログの「プロフィール」参照)

今だからこそ書けるのだが、余は既に12歳頃から将来、芸術家(画家)に成りたい!(そして此れ以外に人生の道は無い)と思っていた。                            

しかし過去の歴史に名と作品を残す芸術家のBiographie(伝記)やKarriere(経歴)を読んで見ても、其の道は「苦行」又は「試練」とも言うべき人生になると覚悟はしていた。             

故にドイツに住む事になると、最初はLumpazius(ルンペン)の如く「放浪の画家」になるか、又はいずこの塗装業者の下働きにでもなる事から始めるしかないと思っていた位である。

 

しかし1989年に初めてドイツ(Goethe-Institut)に留学した折、放浪するのは国内滞在の理由として認定されない事、そして塗装工になるにも「資格」が必要である事が判り、これ等の考えは取り消しとなった。

Heinrich Gustav:  Stadtansicht  Schwäbisch=Hall mit St.Michael kirche und Rathaus (1989)                     

当時、余がBaden-Würtenberg州の歴史的町Schwäbisch=HallにあるGoethe-Institutの先生に自分が将来ドイツで画家として活動したいとの希望を打ち明けると、先生は>Also am besten ist, sollen Sie erst an die Kunsthochschule Prüfung bestehen und dort studieren, dann Kunstmaler zu werden.< (ならば芸大を受験して、そこで学んでから画家に成るのが最良の方法ですよ。)と教示してくれた。      

正直当時の自分の能力ではドイツの国立芸大に入学出来る等、思っても見なかったが、他に方法も無いので「駄目で元々」位の気持ちでいざ受験してみると、当時の旧・西ドイツの各芸大では上手く行かなかったが、明くる年1990年の10月3日に東西ドイツが予想以上に早く統一された事が幸いして、最後には3大名門校の1つであるKunstakademie Dresdenに(推薦)入学出来たのであった!                                 

(同ブログの記事「奇跡が起こった!ドイツ統一と我が学生時代の事、そして芸術の都Dresden復興の事」参照)

以来、自分が思うがままに制作、学習したのが高く評価されて卓抜した成績を収めて卒業して、引き続き同国の首都BerlinやBrandenburg州、そして日本に於いては天台宗総本山・比叡山延暦寺と徳島県・鳴門市の公認の芸術家にまで成り、通算20回も個展を開催し、これ等の都市に自分の作品を大量に寄贈し、一部は常設展示してもらえる様になっている。

しかし余は当初、現実の人生が自分が思い描いた以上の結果に成る等と思ってもみなかった。

此れにて我が作品と名前を「未来永劫不滅」に出来たと確信、満足しきっている。

余は以前の随筆「人が学ぶべき成功と失敗の関係、及び格言」の中に、人が大きな成功を得る条件として「才・知・勇・思・努・人・運」を挙げている。

余の場合は自分の(天性の)「才能」に偉大な人物達との「良縁」と「強運」が作用してくれた事が最も大きいと思えるし、此の事には心より感謝している。

 

扨、是より題名の通りTraum「」とIdee「理想」の違いについて定義付けてみる事にする。 

先ずDeutsches Wörterbuch(ドイツ語の辞書)にはIdee(理想)について以下の通り説明している。

1.Den Ersheinungen zugrundeliegender reiner Begriff der Dinge(あらゆる出来事の根底となる物事の純粋な概念)         

2.Vorstellung od, Begriff, von etwas auf einer hohen Stufe der Abstraktion (ある事物に関して抽象的に高い境地にある観念、又は概念)

3.Leitbild das jemandem in seinem Denken, Handeln bestimmt(人間の思想、行為を決定付ける模範、手本)

4.Schöpferischer Gedanke, Vorsstellung, guter Einfall

(創造的な思想、観念、見事な閃き)

人間の「」と「理想」に共通している事柄として、「あの様になりたい」とか「此の様になって欲しい」又は「ある事を実現したい」とか「ある物(者)を獲得したい」等がある。

しかし両方のHerkunft(派生)については大きな違いがある。即ち余は「夢」は欲望と情念から発生し、「理想」は希望と理念から発生すると考えている。

「夢」とは単に自分の欲望や情念を満たす為だけに見る物であるが、理想」とは崇高な希望と理念によって形成された最終目的なのである。

更には「夢」は私事で終わる。「理想」は他人と共有出来る。

此れも両者の大きな違いである。

「夢」とは個人又は其の人の身内だけで見る物で終わるが、理想」とは他人と共有する事に依って、共通の理念の実現や、目的の達成に向かって進めるのである。
そして、「夢」は一代で終わる。「理想」は後世まで続く。とも考えられる。

「夢」とは所詮、前記の様に個人や其の人の身内だけで見る物で終わる故に、其の一代だけで終わる事が多いが、理想」とは後世の人々にまで受け継がれると、永続的な存在価値が生じるのである。

更に余は「夢」は自力では叶わない願い事、「理想」は自力で実現可能な願い事であると定義している。
 

余が個人的に収集しているドイツの古書"Der Neue Deutsche Jugendfreund"(新・ドイツ青年の友) の第43巻(1888年発行)の最後のページに”Nicht träumen!”(夢を見るな!)と言う以下の格言的な詩がある。 

Leben sollen wir nicht träumen!  Ein Träumer ist immer schuld daran, daß er träumt.  Ers folgt nicht dem Rufe:  "Erwache und arbeite!  ―diesem Morgenrufe, mit dem das Leben uns  täglich begrüßt.  Träumen macht aber schwach.  Wirken und handeln macht stark.  ―Lebe, wache, und wirke!

和訳:「人生に於いて夢を見るな! 夢見る者は其の夢に常に負債を抱える事になる。 其れは「目覚めて仕事をしろ!」と言う呼び掛けを妨げる。― 此の朝の呼び掛けで、我等の人生は毎日歓迎される。 夢を見るだけでは人間は弱くなる。 活動する事、実行する事が人間を強くする。― 生きて行け、目覚めて居ろ、そして活動せよ!」 

 

又、余が最も尊敬する戦国大名・武田信玄公と其の軍師・山本勘助を描いた、井上靖・原作の映画「風林火山(1969年製作)の中に「夢を追い過ぎれば、夢に溺れます。 夢が大き過ぎれば、力及ばず破れてしまいます。 依って全てを甘く見てはいけないと思います。」と言う名台詞がある。

此の映画を余は少年時代より何度も繰り返して見て来たので、特に此の台詞は印象深く心に刻まれたのであった。

其の他、1980年代のあるテレビCMの中の台詞「どうせ破れる夢なら大きい方が良い。 どうせ散る花なら咲き誇った方が良い。」と言うのがあったのを今でも覚えている。

余は今までの人生の中で、浅はかな又は儚い夢は見ない様に心得ていたが、己のIdee「理想」だけはEntschloßenheit(断固たる意志)で追及し、そして幸運にも大抵の理想は実現して来た。                    例:芸術家としての成功、自分の肉体美、自らデザイン設計した我が館、及び別荘、美術工芸品のコレクション、其の他。

(同ブログの記事「久し振りにウェイトトレーニングに復帰した事、及び我が容姿について」参照)

未だ実現出来てない唯一の「夢」と言えば、(自分と家柄、容姿共に釣り合う)「貴族出身の爆乳美人」と巡り合い結ばれる事位である。

                

Krönung von Kurfürst Friedrich I. als König in Preußen, Königsberg 1701

ドイツの歴史を振り返って見ると、国民共通の理想と希望として1701年のKönigreich Preußen(プロイセン王国)成立,                                          

Kaiserproklamation in Versailles, Gründung Deutsches Kaiserreich 1871

1871年のDeutsches Kaiserreich(ドイツ帝国)成立、

Gedenk Krug u, Teller der Deutschen Einheit 1990

そして1990年  の”Deutsche Einheit”(東西ドイツ統一) 等が挙げられる。

今日でこそドイツは1871年の国家統一以来、ヨーロッパの一大国家として君臨して来ているが、此れ以前はドイツ語圏内でKönigreich(王国)、Herzogtum(公爵領)、Kurfürstentum(選帝侯領)、Fürstentum(侯爵領)、Grafentum(伯爵領)、Bistum(僧正領)、Freistadt(自由都市)等と、あたかも日本の「戦国時代」の様に「群雄割拠」して存在していたのである。

周囲をフランス、オーストリア、ロシア等の大国に取り囲まれてた中で、これ等の小規模な国々が独立した国家や民族の存続を守る事は決して容易な事ではなかった。

だからこそ当時小国に属するドイツ人達にとって、他のヨーロッパの列強国に対抗出来る「巨大国家」を形成する事は

”Gemeinsame Idee u, Hoffnung”(共通の理想と希望)だったのである。

 

其れとは対照的に、最近の若い世代は「夢」を語れど、努力しない者が多い、又は「理想」の無い者も多い。

以前にも書いた事だが、人間は「理想」と言う物があるからこそ、其れを目指して追求なり努力なり続けて、自分を向上させて行く事が出来るのではなかろうか。                                         

確かに今日の日本社会が、将来のある若者が「夢」も「理想」も持てない様な状況である事が問題であるのかも知れないが、此の様な人達は少なくとも自分の人生に於ける「価値観」や「目的」そして「希望」だけは見失ってはならないのである。
又、今日の日本人は先進国の中で「幸福感」や「自己満足度」が最も低いとの統計も出ている。
心理学的に分析すると、これ等のNegativ Mentality(自己否定的な精神構造)も原因であると余は推測している。  

イギリスの歴史家A.J.Toynbee(1889~1975年)は「滅亡する民族の共通点」として、以下の3項目を定義付けている。                                     

1.自国の歴史を忘却した民族 

2.全ての事を金銭価値だけで評価し、精神的価値を失った民族 

3.理想(理念)を失った民族
残念な事に余が現在の日本人を見ていると、此のToynbeeの提唱している3つの要素がいずれも該当する人が少なくない様に感じられる。
かつて「帝政時代」以前の日本人達は上記の「自国の歴史への認識」「精神的価観」「理想」(理念)そして「愛国心」をしっかりと保持していた。                                

願わくは国家民族存続の為に、現在の日本国民にもこれ等を再び認識してもらいたい者である!

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