政治家・安倍晋三元総理を偲んで、そして明治の政治家達に寄せて | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

2020年7月8日、午前11時30分頃、安倍晋三元総理(67歳)が奈良市のJR大和西大寺駅前で街頭演説中、同市在住の無職の男(41歳)に背後から約3mの至近距離から2発銃撃され、心肺停止の重体に陥られた。

犯人はこの凶行の直後にSPに取り押さえられ、奈良県警に「殺人未遂」の罪状で逮捕された。

約20分後に安倍元総理は、ヘリコプターで奈良県立医大病院に救急搬送され、同病院内の救命センターにて医師達に依って懸命の蘇生措置が行われたが、残念ながら午後5時3分に亡くなられてしまった。

安倍元総理の治療に当たった奈良県立医大病院の会見によると、頸部に2カ所の銃創があり、弾丸による傷は心臓にまで達していて、心臓及び大血管の損傷があったという事で、 死因は此の銃撃による失血死であった。

警察の取り調べによると、此度の許されざる凶行の動機は、犯人の母親が極悪新興宗教「世界平和統一家庭連合」(統一チョン教会)に洗脳され財産を巻き上げられて破産した事、そして安倍元総理が此の新興宗教と近しい関係であると言う妄想を勝手に抱いて犯行に及んだと言うのである。

余は安倍元総理の予期せぬ突然の御最期を知って悲痛な思いに駆られたと同時に、凶悪犯罪者と人間を不幸に陥れる悪質極まりない新興宗教に一層の怒りと憎悪を感じたのである。

 

2日後の「参議院選挙」を控えての選挙活動の真っ最中に、まして世界的に治安維持力の高い日本で元内閣総理大臣が突然殺害されると云う事件は余りにも衝撃的であった!

此の緊急ニュースは大多数の日本国民を震撼させたのみならず、瞬時に海外に於いてもニュースで報じられ、世界中の人々が驚愕している。

既に自民党及び其の他の与野党の政治家達が、政党や政治理念を超えて、安倍元総理が此の様な凶行によって亡くなられた事への悲しみ、無念、そして哀悼の意を表すると同時に、此の凶行を「民主主義」に対する挑戦として絶対に許してはならず、断固非難・究明する事を表明している。

其の上、世界各国の首脳からも安倍元総理の予期せぬ御最期を悼む声明や、彼の政治家としての偉大なる業績を讃える言葉が相次いで述べられている。

又、安倍晋三氏を「個人」として知っている御家族、政治家、資本家、ジャーナリスト、其の他の友人、知人方の話を聞いても、彼の真面目で直向きな、そして他人を思いやる優しい人柄を皆で褒めていた。

中でも特に同じ自民党で山口県出身の高村正彦・副総裁は安倍元総理の人柄を「安倍さんは自分と政治理念や思想観念の異なる政治家(外国人を含む)とも表面上は衝突する事なく、和やかに話の出来る人だった。それでいて自分の考え(政治理念や思想観念)がぶれる事は決して無かった。正に「和して同ぜず」の言葉に相応しい人だった。」と評価している。

日本の民間にに於ける安倍総理に関する評価は「賛否両論」が著しいが、史上最長となる3188日(8年8カ月)もの間、総理大臣を御務めになられた事から、有能で偉大な政治家であった事は否み様が無い。

又、日本経済で問題となっていた「デフレ」からの脱却、及び社会と国民の富の拡大を目指しての経済政策「アベノミクス」を展開させ、社会での雇用を増化させ、停滞していた景気を上方修正した事、そして自民党政権下で、「安全保障関連法案」や「特定秘密保護法案」等を成立させた事等は歴史に残る立派な業績である。

 

政権与党の自民党にとって、党全体の指導者的存在であった安倍元総理が突然御他界された事は正に「青天の霹靂」どころか「突然の大地震」程の衝撃、そして取り返しの付かない程の損失であると推察される。

此の事は10日の「参議院選挙」の投票に影響するのみでなく、今後の自民党の勢力関係、更には国会、そして全国の地方議会にまで影響を及ぼす物と見られる。

日本では親族、知人、同じ町内のある家庭に不幸(死亡者)があった場合、御悔みを込めて葬式代を援助する「香典」を贈る独特の習慣がある。

此の様な習慣のある日本人の国民性から考えると、安倍元総理の突然の御不幸に御悔みを込めて「香典」の代わりとして自民党に投票する人がかなり多くなるのではないかと推測される。

其れにも増して御遺族の方々の衝撃や悲しみは誠に察して余る程である!

余も同様に安倍元首相に今までの内閣総理大臣としての御勤めと業績に敬意を表すると同時に、御遺族である御母上の洋子様、妻の昭恵夫人、実弟の岸信夫・防衛相に心からの御悔みと哀悼の意を表させて頂きたい!

 

此度の驚愕すべき襲撃事件が起きた原因として、地元警察の警護の緩慢を指摘する人もいるが、社会心理学の観点から推察すると、根本的な原因は現代社会にはびこる「世知辛さ」、「絶望感」、「不平不満」、「閉塞感」、「無気力」、等の「病的な社会通念」ではないかと思われてならない。

即ち社会が病んでいるから、そこに住む人間も(精神的に)病んでしまうと云う構図である。

これ等のNegatives Element(負の要素)は平成時代から続く経済格差と不景気、2020年初めから続くコロナウィルスの大流行による社会の封鎖と停滞、そして今年の2月下旬より勃発した「ロシア・ウクライナ戦争」による食料品等の物価、エネルギー代、燃料代の上昇、等が更に増長させているのである。

これ等の「社会の闇」を駆逐出来る様なPositives Element(正の要素)や、効果的な解決策は未だ見出せていない状況である。

 

安倍元総理の御逝去から間も無く、彼の功績を讃えて今年の9月に国葬を行う事が自民党で決議された。

ところが其れ以来、安倍元総理の事を激しく非難、中傷誹謗したり、反対デモに参加する輩まで出てくる始末である。

余は此の連中を見ていて、2015年9月に成立した「安全保障関連法案改正」に対して国会前で反対デモを行っていた輩を思い出し、こやつらに共通している事に改めて気付いた。
其れはこの連中の大部分が自分の生活(人生)に何らかの不満を抱えていると言う事である。
(例:仕事、経済、家庭、人間関係、其の他)
「自分の生活(人生)が上手く行っていないのは社会のせいだ!とどの詰まりは政府のせいだ!」と、所謂「理論のすり替え」(逆恨み)をしている様に見受けられる。
又、普段社会での自分の存在感が希薄な故、こんな時に徒党を組んで「自己顕示」をしようとしている心理も読み取る事が出来る。
大抵の人間には、人だかりのある所に何があるのか、好奇心を持って近付く習性がある。
其れによって集まった群衆は、往々にして感情的になっていて、理性的な思考が出来ていないのである。

(そこへデマが流れ込むと、一気に動揺、又は混乱する危険がある。)

 

因みにドイツ語のPöbelと云う単語のDeutsches Wörterbuch (ドイツ国語辞典)による説明を直訳すると、<無教養で、凡庸で、粗雑な人、考え方や行いが低級で、自分に原因、動機を持たず、同じ感覚を持つ人々と集団を形成して、社会で愚行や暴動を起こす人。>とある。 

此れを独和辞典では「下層庶民」「愚民」「賤民」と訳している。
見下した言い方ではあるが、此の様な無意味な反対デモに参加する者共に相応しい表現であると思われてならない。

(彼らの一部は腐れ外道の左翼に洗脳されているか、又は端金(はしたがね)で雇われている操り人形との噂すらある。)
本当に人格、品格のある者なら、たとえ戦争(殺し合い)をしている敵国の優れた軍人が戦死しても喜んだりせず、其れどころか其の人の功績、能力を評価して哀悼の意を表する位の度量があるのである。

まして自国の戦後最も長い期間に渡り総理大臣を勤め上げた「人傑」を非難、中傷誹謗するとは何事であろうか!と思えるのである。

(綺麗事を書く様だが)

世の中を1人の人間だけで変えて行く事は到底不可能である。

其れでも尚、せめて人間1人1人が、人生に於いて決して希望を失わない事、何か目的ないしは生き甲斐を持つ事、心身を共に健康に保つ事、位は守って行かなければならない。

 

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2023年12月14日の追伸:

安倍元総理の死後、自民党内では党員の不祥事が相次ぎ、所謂「辞職ドミノ」と形容される程の辞任が相次いだ。

今回も東京地検特捜部は政治資金規正法違反(不記載・虚偽記入)の疑いで同党の安倍派に属する政府要職にある者10人を調査している。

今後調査を進めると、「芋蔓式」に違反者が発覚するのではないかと推測される。

そして本日、前記の内4人が辞表を提出した。

安倍元総理と言う「重鎮」が亡くなって以来、「安倍派」を中心に自民党の腐敗そして崩壊が始まるのではないかと懸念していたが、悪い予感が的中してしまった!


美術史を学んでいる芸術家の余としては、今日の日本の行政を観察していると、Renaissance時代のスイス文学作家Sebastian Brantの物語を元に同時代Nederland(現オランダ)の画家Hieronymus Bosch(1450~1516年)の描いた名作“Der Narren schiff”(愚か者の船)を思い起こしてしまうのである。 民衆の堕落と社会の腐敗を象徴する此の船の末路は、当然の如く座礁か沈没かのいずれかである。
実に嘆かわしき事ではあるが、此の無能で利己的な政治家に愚民共が従うと云うお粗末な状況を改善するのは最早不可能とまで思えるのである。

往年の名作映画「明治天皇と日露大戦争」(1957)の中で嵐寛寿郎さんの演じる明治天皇の以下の印象的な御言葉がある。
政治家は辞職さえすれば一切の責任から免れる事が出来るが、 天皇に辞職は無いぞ!」(「最後まで責務を全うせよ!」の意味)
こう云う時に余が度々好例として引き合いに出すのが明治時代の政治家達である。
彼らは江戸時代の鎖国に依って文明の立ち遅れた日本を、欧米列強に対抗出来るまでの近代国家に作り変える事に「熱意」を以って粉骨砕身の「努力」を費やした。
そして18世紀終わりの"Industrial Revolution"(産業革命)以来、欧米諸国が約100年かけて成し遂げた近代化を、僅か40年足らずで見事に実現したのであった!
(此の「実行力」には欧米諸国の政治家、学者達も驚嘆している。)
其の一方で、当時の(島国としての)日本の国力の限界を認識していたので、「慎みの精神」をも併せ持っていたのである。
此の様に、奉仕・貢献の精神」を以って私利、党利を忘れて、国家と国民の為に有益な政治を成し遂げた明治時代の政治家達は尊敬も信頼も出来る御歴々であった。
余は士族出身者として今日の政治屋共にはとうに幻滅して、当時の政治家達、「貴族院」の存在にただ憧れるばかりである。

 

我が親類の幼馴染は「最近の糞政治家共は金に困ったら国民から搾り取りゃええ位に思いやがっとんじゃ! 国民も皆「いつまでも騙して、金を搾り取れると思っとたら大間違いぞ!」と言う意思表示をせにゃあおえんで。」と言っている。
此の言葉は正に日本国民の本音を象徴していると思えてならない。
同様に今日では圧倒的多数の国民が政治・経済ニュースのコメント欄に、無能で腐った政治家共に対する厳しい批判や激しい怒り、不満を書き込んでいる。
余は個人的には「このままじゃ将来、日本でまともに生活出来るのは富裕層だけになるんじゃないか?」と書き込まれていたのが印象に残っている。

自民党はしばしば「富裕層優遇の政党」と形容される事があるが、この様なあさましき現状では、富裕層ですら幻滅し、愛想尽かしをするのでななかろうか?
現在、自民党への国民からの支持率は遂に10%代にまで落ち込んでしまった。

あるマスコミが「最も信用出来ない職業とは何か?」と言う問いに対し、圧倒的に多かった答えが「政治家」であった。
(此の結果は当然、又は然るべきと言えば其れまでかも知れない。)
一方で各野党も小粒になってしまい、自民党に代わって政権与党に成れる程の理念も実行力も見受けられない現状である。

「戦国時代」に有力な国主が逝去する事によって、其の大名家及び支配する国が没落、滅亡して行く事例が何個もあったが、今の自民党はまるで「滅びゆく大名家」の様に思えてならない。

 

E.Delacroix La Liberté guidant le peuple 

とは言え多くの日本人は如何せん権力に従順過ぎるので政府に対する抵抗力、反発力が無いのである。

かつて1789年7月14日に勃発した”La Révolution française”(フランス革命)に於いては、国民が王政に対し怒りと不満を爆発させ、La prise de la Bastille(牢獄)の襲撃に始まり、首都Parisの各王立省庁を占拠し、捕らえた120人程の貴族をPlace de la Concorde(広場)で公開処刑した程であった。
(余が1987年にParisを訪ねた折、此の歴史の詳細を知った時は、流石に士族出身者としても身の毛がよだつ思いであった。)
日本国民も此れに習い国会を襲撃、占拠して無能で腐った糞政治家共を袋叩きにして、溝(ドブ)河に放り込んでやる位の事はしても良いのではと思える位である。
戦後、長年に渡り政権与党を担って来た大政党が腐敗、崩壊するに事よって、日本国までもが没落する事だけは絶対に避けなければならない!

以前にも書いた事だが、「明治時代」の様な、私利私欲を度外視してでも国家や国民の為に努められる政治家が出現しない限り、今日の日本を立て直す事は難しいのではなかろうか。

 

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