画家Burne Jonesの世界 ”Antique Dream and Elegance” | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

8月28日は我が最愛のイギリスの画家Edward Burne Jones(バーン・ジョーンズ)の誕生日である。

Burne Jonesは1833年の此の日、イギリス南部の工業都市BirminghamのBennett's Hill 11番地にて額縁職人の父Edward Richard Jonesと母Elizabeth Coleyの間に生まれた。

ところが彼の誕生から1週間も経たない内に母が他界してしまった。

其の後、家政婦のSampson婦人が彼を母親代わりに育てた。

1844~52年の間、故郷のKing Edward Ⅲ世(中・高等)学校で学び、此の頃から自作の漫画を描き始めた。

同時に1848年より故郷のデザイン学校の夜間クラスに週3回通う様になる。

1851年彼は18歳の時、Methodist派の牧師の娘であり、同級生の妹であるGeorgiana Macdonald(当時11歳)と初めて知り合う。

其の後2人は1860年に結婚する事になる。

1852年、Oxford Collegeの神学科を受験する。

此の際、生涯の親友となるWilliam Morris(1834~1896年)と隣同士になった。

尚、W.Morrisも牧師にはならず、デザイナー、思想家、及び実業家となり、彼独自の芸術理念に基づく所謂"Arts and Crafts Movement"(美術工芸運動)を推進した。

Burne Jonesにとって此の2人との出会いは正に”運命”と言っても良い。

1853~56年、同校で学んでいる時代にW. Morrisと共に北フランスで大聖堂を巡る旅をし、神の教えを言葉や文章で伝えるよりも、絵画で伝える事に意義を見出し決意する。

1856年の夏には1848年に"Pre-Raphaelites"(ラファエル前派)を若手画家達と共に結成した画家Dante Gabriel Rossetti(1828~1882年)と知り合い、大学を退き首都Londonに移り、彼の弟子となった。

更に秋には"Pre-Raphaelites"の擁護者となる哲学者で美学者であるJohn Ruskin(1819~1900年)とも知り合う。

1857年頃より油彩画、フレスコ画、並びにステンドグラスの下絵も手掛ける様になる。

1862年、J.Ruskinと妻のGeorgianaと共に北イタリアを訪れ、Renaissanceの巨匠達の作品を模写し、彼らの影響を受ける。

1860年から1866年頃まで親友W. Morrisの新居"RedHouse"、及び商会の室内装飾のデザインや下絵、更には彼の詩集の挿絵を請け負った。

此れ以降、Burne Jonesが油彩で制作した代表的な作品は次の通りである。

Princes Sabra(1866),  The Four Seasons(1869~70),  Day and Night(1870),  Pan and Psyche(1872~74),  Vivian and Merlin(1874),  The Day of Creation(1870~76),  Le Chant d' Amour(1868~77),  The Mirror of Venus(1870~76), 

Pygmalion and the Image(1868~78),  

Laus Veneris(1868), 

 The Annunciation(1879),  The Golden Stairs(1872~80),  The Mill(1872~80),  The Hours(1870~82),  The Tree of Forgiveness(1881~82),  The Wheel of Fortune(1875~83),  King Cophetua and Beggar Maid(1884),  

Perseus and Andromeda(1885~87),  

Danae and BrazenTower(18887~88),  The Heart of the Rose(1889),  The Briar Rose(1870~90),  The Star of Bethlehem(1881~91),  Sponsa de Lebano(1891),  Love among the ruins(1894),  The Wedding of Psyche(1894~95),  

Love leading the Pilgrim(1896~97).

晩年の1885年にはRoyal Academyの准会員に選出され、故郷のBirmingham Society of Artの会長にも就任した。

1889年にはフランスの首都Parisで開催された万国博覧会に出品した作品が絶賛され、Region d'honneur勲章(5等)を授かる。

1894年にはイギリス王室よりSir(准男爵)の称号を授かる。

1897年、ドイツのMünchenに於ける万国博覧会では、Goldmedaille(金メダル)を受賞する。

1898年6月17日未明、狭心症により逝去。(享年65歳)

Rottingdear に埋葬され、Westminster寺院にて葬儀が執り行われる。

同年末から翌年にかけてNew Galleryにて追悼展が開催され、絵画、デッサン、装飾作品、計235点が展示される。

 

余が初めてBurne Jonesを知ったのは高校1年生の時、"Pre-Raphaelites"(ラファエル前派)を特集した美術雑誌によってであった。

当時彼の作品に現れる”Antique Dream and Elegance”(古代の夢想と優美)に何とも魅了されてしまった。

1987年に初めてParisを訪れた時、1年前に開館したばかりのMusee d'Orsay(オルセー美術館)にて初めて彼の作品The Wheel of Fortune(1875~83)を見る事が出来た。

1989年に初めてドイツのGoethe-Institutへ留学し、当校の所在地及び余の住所もBaden-Würtenberg州の歴史的観光都市Schwäbisch=Hallであった。

当市は州都Stuttgartから左程遠くないので、 Stuttgartを観光した際、当市のStaatsgalerie(国立絵画館)に入館して思いがけずBurne Jonesの8連作絵画 ”Perseus and Andromeda”(1885~87)を目の当たりにしたのであった!

当時余は20分程此の8連作絵画に見惚れていたのを今でも鮮明に覚えている。

其の後、余はドイツの南北の州を経験する目的で、Bremenの学校に転校した。

隣町のドイツ第2の大都市Hamburgを幾度も訪れていたので、当市のKunsthalle(美術館)では彼の作品”The Garden of Hesperides”(1870) を見る事が出来た。

更に1991年以来Kunstakadmie Dresden(ドレスデン国芸術大学)にて学生生活を送っていた時代には、1994年にKarlsruheのBadisches Landesmuseumにある彼がデザインと下絵を手掛けたタペストリー、そしてBonn近郊の町NeußにあるClemens Sels Museumでは彼の絵のモデルを勤めたギリシャ系イギリス人女性Maria Zambacoの肖像画、並びに"Wedding of the King"と云う水彩画を見る事が出来た。

 

其の後、日本国内では1989年 於・神戸市立博物館「松方コレクション展」にて”The Caritas”(1885)、1990年 於・ひろしま美術館「Victoria and Albert Museum展」にて“The Mill”(1870)、

1996年 於・高松美術館「Symbolisme en Europa」(象徴派展)にて”The Princess chained to a Tree”(1866)、”The Knight and the Brair Rose”(1870~94)、“Souls by the Styx”(c、1874)、“The Altar of Hymen”(1874)、

“The Heart of the Rose”(1889)、

1998年 於・兵庫県立近代美術館「Tate Gallery展」にて”The Morning of the Resurrection”(1886)の様に特別展の中で彼の何点かの作品を見て来た。

何と言っても圧巻は2012年に東京都、神戸市、郡山市にて開催された日本国内で初となるBurne Jonesの個展であった。

余は当初東京まで見に行こうと思っていたのだが、此の個展は引き続き神戸市の兵庫県立美術館で開催される事を知ったので、距離的に遥かに近い神戸市で見て来たのである。

此の個展には計75点の彼の油彩、水彩、ヴァッシュ、デッサン、本の挿絵、等の作品が一堂に展示されていた。

これ等の中で特に代表的な作品として以下の物が挙げられる。

“The merciful Knight”(1863)

“St.George kill the Dragon”(1866)

“Flora”(1868~84)

“Pygmalion and the Image” (1868~78)

“Sleeping Princess” (Brair Rose series) (1872~74)

“The Feast of Peleus”(1872~81)

“The Pilgrim at the Gate of Idleness”(1884)

“The Garden of Pan”(1886~87)

“The Dream of Sir Lancelot at the Chapel” (1896)

“The Wizard”(1896~98)

 

扨、Burne Jonesの作品を見て、美術の愛好家ないしは美術史に造詣の深い人の中には「Academic ではなくAmateur的な作品だ。」「少女漫画の様な雰囲気がある。」と指摘する人がいる。

其れも其の筈である。前記の通り彼は本来Oxford CollegeにてTheologiy(神学)を学んでいたであって、※Artacademy(芸術大学)での学業は採らなかったからである。

(※此の事は彼の師であったD.G.Rossettiも同様であった。)

 

そもそもRossettiがJohn Everett Milleis(1829~96年)やWilliam Holman Hunt(1827~1910年)等の7人の若手の画家達で1848年に結成したPre-Raphaelites Brotherhood(略してP.R.B)の芸術理念とは、当時の芸術界にて最高位とされていたAcademism(芸術大学の伝統的技術を重視し個性の欠けた様式)に反して、Renaissance 美術の天才Raffaello(1483~1520年)以前の純粋な精神と敬虔な信仰心を以って、丁寧に直向きに絵を描く事を理想としていたからである。

又、P.R.Bの研究の第一人者である美術史家Christopher Wood先生は >The Pre-Raphaelite movement is a blend of romantic, idealism, scienstific rationalism and molality.<(ラファエル前派運動とはロマンティックと理想主義と科学的な合理主義、そして道徳との融合である。)と述べられている。

 

「Academismは技術と知識を高める反面、芸術家としてのIndividuality(個性、主体性)を消してしまう。」と多くの美学者や美術史家が主張している様に、Burne JonesやRossettiは芸術大学で学んでいなかったからこそ、自分の個性や独自の思想や様式を確立、保持出来たと言える。

参考にBurne Jonesの絵画を同じ19世紀のL'Académie française(フランス・アカデミズム)の最高峰と讃えられたWilliam Bouguereau(1825~1905年)や同時代に上流社会で大人気を博した写実風俗画家James Tissot(1836~1902年)の作品と比較すると其の違いは一目瞭然である。

 

余談になるが、時代が流れて20世紀末になってドイツではNazis時代のAkademismus的な所謂  “Drittes Reichs Kunst”(第3帝国美術)からの反動で、各芸術大学に於いては極端なModernismus(前衛主義)やNeo-expressionsmus(新・表現主義)等が流行していた。

其れとは逆に余のStil(作風)は究極の細密描写に依るFotorealismus(写真写実主義)並びにChromatik (色彩科学)、Morphologie(形態学)、Naturkunde(自然科学)、Architektur(建築)、Anatomie(解剖学)、Psychologie(心理学)、そしてÄsthetik(美学)に基づいたIdealismus(理想主義)と Rationalismus(合理主義)を採っていた故、逆に当時のKunstakademieの絵画科の教授達から”altmodisch”(古風な)、 “akademisch”(アカデミズム的な)、ないしは “pedantisch”(教育者の様な)と形容されていたのである。

「芸術とは其の時代精神を象徴し、そして反映する。」とは誠に当を得た言葉である。

100年もの時の隔たりはあっても、余のKunstidee(芸術理念)は此のP.R.Bと相通ずる物や、多大に共感する物がある。

 

“Sleeping Princess” (Brair Rose series) 2012年Burne Jones展・図録

 

次にBurne Jonesの作品の中に良く描かれている象徴的なMotiv(主題)について書いて行く。

先ず神話的主題としては、ギリシャ神話の美と愛の女神Venusが挙げられる。

此の女神はRenaissance時代(15世紀)以来、数多くの画家達によって頻繁に描かれている事は周知の事実である。

しかしながら同じ女神を描いているとは言え、各作者のGeschmack(好み)、Idee(理想)、そして Interpretation(解釈)によって、多様な姿で描かれているので、これ等を比較して見るのも面白い。

Burne Jonesの絵の中の女性像は、明らかに彼の妻Georgianaとモデルを勤めたMaria Zambacoが基になっている。

 

次に動物の分野では「」である。 此の鳥は一般的に平和の象徴として知られているが、ギリシャ神話では白鳩がVenusの使者とされている。

以前書いた論文「歴史と文化の中の鳩について」にも書いている事ではあるが、鳩はギリシャ神話以外にも聖書神話やGrimm童話や其の他の民話、伝説の中にも、人間にとって有益な鳥として登場している。

 

そして植物の分野では「薔薇」である。 

此の花についても論文「我が家の駐車場に咲く野薔薇とドイツ文化の中の薔薇」にも書いている事だが、数多くの草花の中で、人間から豪華絢爛な花として世界中で最も愛好されているのが薔薇である。

その反面、ドイツと日本の共通した諺>Keine Rose ohne Dornen.<「美しい薔薇には棘がある。」の如く、美しさと同時に他を寄せ付けない様な気難しさや、害虫や大雨には脆い一面も持ち合わせている。

 

最後にTribia(雑学)の如き話になるが、Burne Jones がかのドイツの大文豪J.W.v.Goethe先生(1749~1832年)と干支(巳年)も星座(乙女座)も、そして誕生日(8月28日)までも皆同じと云う事実がある。

諺に「縁は異なもの味なもの」と言うのがあるが、偉人、天才、英雄達のBiographie(人物伝)を調べて見ると、意外にも面白い共通点、類似点が見つかるのである。

 

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