歴史と文化の中の鳩について | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

私事ではあるが、今年の7月の初め、我が家の前で家族が古くなって余った餅米を少し落としていた事が切っ掛けで、山鳩(又はキジバト)の子供が飛んで来て其れを食べていた。
我が家族は「此れは面白い!」とばかりに、次に日も餅米を蒔いておくと、又其の小鳩が来て其れを食べているのであった。
そうして毎日の様に餅米を蒔いておくと、今度は小鳩が自分の親も連れて来て、毎日一緒に仲良く餅米を食べているのである。(此れが何とも言えず可愛らしい!)
因みに此の小鳩は最初に来た頃は痩せていたのだが、最近ではかなり肉付きが良くなっている。
此の様に鳥や獣でさえ親子で慈しみ合って生きているのだから、理性や知性を持つ人間など尚更「家族愛」の尊さを自覚し、実行しなければならないのではなかろうか。

鳩は、ハト目・ハト科に属する鳥類の総称である。
体に比べて頭が小さく、胸骨、胸筋が発達してずんぐりとした体型が特徴である。
日本に生息する鳩には、アオバト、カラスバト、キジバト、シラコバト、ドバト等が知られている。
此の中のドバトはカワラバトの飼養品種が再野生化した物とされ、野鳥とは見なされない事もある。
鳩のラテン語の学名はColumbaと云う。
かのアメリカ大陸の発見者として有名なイタリアの商人であり探検家のクリストファー・コロンブス(Cristoforo Colombo 1451-1506)の苗字もここから由来している。
因みにドイツ語ではTaubeと云い、やはり人の苗字として存在する。 
日本語と中国語の「鳩」という名前はと飛び立つ時の音の様子に由来すると考えられる。
「鳩」(九+鳥)の字にある(九)は鳴き声(クルッククゥー)からきた、とする説がある。
「鳩」の中国語の発音であるキュウ(漢音)やク(呉音)は、英語のハトの鳴き声<coo>、日本語のハトの鳴き声「クウクウ」に近い。
日本では一般的に「九」と言う数は「苦」との語呂合わせで忌み嫌われる傾向があるのだが、一方ドイツ語で"Neun"(9)とは殆ど全てないしは完全を表す事に使われる。
因みに余にとって「9」という数は大変縁起の良い数である。


 何故なら我が家の清和源氏から伝わる家紋は「九枚笹」であり、余の生年月日には「9」が3つも付くし、我が家のボロ別荘の所在地名にも「九」が付くのである。
故に電話番号も9で始まり9で終わるのを使っている。

鳩は雑食性なので、木の実、穀物やミミズをも食べる。
鳩の鄙は孵化後一定期間、所謂「ピジョンミルク」と呼ばれる親鳥の半消化物を主食として成育する。
鄙は親鳥の喉に嘴を差し入れて胃の内容物を摂取する。
巣から落ちた鳩の鄙を人工飼育するに為には、植物性の練り餌(釣具屋で売っているフナや鯉釣り用の練り餌が安価で簡便である)をぬるま湯でかゆ状に溶き、手の平に握り込んで指の隙間から与えるのが簡単な飼育法であるらしい。
カワラバトを改良したドバトは、早くは紀元前から晩くは第二次世界大戦初期頃まで軍事用ないしは報道用に伝書鳩として大いに活用された。
地磁気を感知して方角を知る能力に優れており、鳥類の中で最も飛行持久力があり、帰巣本能がある為、遠隔地まで連れて行った鳩に手紙等を持たせて放つ事によって、情報伝達手段として利用したのである。
しかし其の後、電話等の通信技術の進歩により其の価値が薄れ、現在ではレース鳩として飼われる事が殆どである。
其の他、銀鳩と呼ばれる白い小型の鳩が存在し、観賞用に飼われたり手品の小道具として使用されるが、此れはドバトとは別種の鳩である。

鳩は、其の群れを成す習性から、西洋ではオリーブと共に「平和の象徴」とされている。
旧約聖書の中の有名な「ノアの箱舟」の話の中で、ノアは大洪水の起きた47日後、箱舟から鳩を放った処、オリーブの葉をくわえて戻って来た事によりノアは水が引き始めた事を知ったのであった。
又、ギリシア神話に於いて鳩は美と愛とSexの女神アフロディーテ(ヴィーナス)の聖鳥とされていた。

Franois Boucher : "Venus la colombe"(F.ブーシェ作:ヴィーナスと鳩)

François  Boucher :  La Toilette de Venus (1751)

(F.ブーシェ作:ヴィーナスの化粧)

我が最愛のイギリスの画家Edward Burne Jones(1833-1898)は好んでVenus(アロディーテのラテン語名)を題材にしていた故に、鳩を彼女の御供として度々描いている。
其の他、イアソンを始めとする英雄達(アルゴナウタイ)が乗るアルゴー船が、互いに離れたりぶつかり合ったりを繰り返す二つの巨岩シュムプレーガデスの間を通り抜ける際、試しに鳩を通り抜けさせて安全を確認する話や、狩人オーリーオーンがプレイアデス(巨神アトラースの七人娘たち)を追い回した際、其れを不憫に思った主神ゼウスが彼女達を鳩に変え、更に星へと変えた話等が存在する。

ドイツのBrüder Grimm の収集した"Kinder und Hausmärchen"(通称「グリム童話」)の中で特に有名な
"Aschenputtel"(灰かぶり姫、又はシンデレラ姫)の中にも鳩は「正義の象徴」として現れる。
実母亡き後、美人で性格も良い姫は継母と其の2人の娘(義理の姉)に召使同然の扱いを受けていじめられていたが、継母と其の2人の娘が王宮の舞踏会に行って、彼女が一人残っていると、2羽の白鳩(亡き実母の使い)が飛んで来て彼女に金銀で装飾された絹のドレスと靴を授け、彼女は其れを身に付けて王宮の舞踏会に行き、王子の愛を得て最後に彼と結ばれた。
一方、意地の悪い2人の義理の姉は罰として、2羽の白鳩に両目を啄ばまれた結果、一生盲目になった。
(因みにこの物語は16世紀頃すでにヨーロッパ全土に広まり、ドイツ以外の国々でも多少異なるあらすじによって伝えられている。)

日本では鳩は清和源氏の守り本尊である軍神「八幡大菩薩」の御使いとされている。
八幡神社の多くが鳩を「神紋」に使っているのもこの為である。


そしてかの「平家物語」の中でも源義仲公が平家北陸派遣軍の主力(約七万人)との戦いを越中の倶利伽羅峠(くりからとうげ)で控えて、埴生八幡宮に戦勝祈願文を奉納した時、彼の軍(推定約三千)の上を3羽の山鳩が円を描く様に舞ったと記されている。
此の戦で源義仲公は平家勢の野営に夜襲を仕掛け、其の殆どを倶利伽羅谷へ突き落として殲滅すると云う空前絶後の大勝利を得たのであった!
故に鳩が我が家に毎日の様に来る事は、清和源氏の流れを汲む家柄の我が家では、此れは大変縁起の良い事である。
迷信染みてはいるが、何か又我が家に良い事が起こる様な気がして仕方が無い。

追伸: 本当に余にとって途轍もなく良い事が起こった!(2010年10月30日)
現実が自分の理想をも超える事。此れは最高の幸福と歓喜である!(我が格言集より)
平安時代以来の我が家の宗教「天台宗」に心からの感謝と改めての敬意と忠誠を捧げる。

年が変わって2011年になっても、相変わらず此の山鳩の親子は我が家に米を食べに来てくれる「常連客」となっている。
(※全ての鳥類の子は成長すると、親元を巣立って独立するのが自然界の常識であるので、もしかすると此の2羽の山鳩は夫婦なのかも知れない。)
しかも時計が読めるわけでもないのに、此の親子は大変時間に正確なのである。
此れも動物の「体内活動」が如何に規則正しいかを示している。
二羽とも体格が良くなっている上、羽の色艶まで良くなっているのが何とも微笑ましい。
其の上、最近では雀達(4,5羽程)も我が家に寄って来る。
ところが彼らにとっては鳩が怖いらしく、鳩達が飛び去るまでじっと後ろで待って、其れからようやく残りの米に有り付いているのである。
此の様に今では我が家は「鳩と雀の御宿」になっている。

2013年の追伸:
2012年に此の2羽の鳩は我が家の前の電柱にいつも留まって鳴くのだか、どういう訳かは知らないが、我が家に米を食べには来なかった。
しかし、今年の7月頃から別の山鳩の番(夫婦)が我が家に米を食べに来る様になった。
つい此の間は我が家の事業所のの扉が開けっ放しになっていたので、2羽の鳩は入って来た。
ところが飛び立とうとして、ガラス窓にぶつかり、何度か其れを繰り返した末、やっとこれを理解して、歩いて入口の扉から外へ出て行ったのである。
(野生の鳩にとってガラス窓は初めての経験だったのだろう。最初は笑ってしまったが、いさささか気の毒に思えた。)
更に、此の2羽は我が家の経営する斜め向かいの駐車場の一番高い欅の木に巣を作って、住み着く様になったのである。
どうやら様子からしてすでに巣の中で卵を産んでいる様である。
9月8日初めて彼らの鄙が目出たく生まれたのを確認出来た!
此の山鳩の鄙が恙無く成長する事を願って止まない。



2014年の追伸:
5月6日、我が想いが山鳩に通じたのか、遂に我が手元より米を食べてくれた!
今まで山鳩は至近距離(2m以内)位まで近付いて来たり、時には我が館の玄関に入って来てまで米を食べていたのだが、なかなか手元より米を食べるまでには至らなかった。
土鳩なら元々人間が飼い馴らしたのが野生化しているので、手懐けるのは簡単だが、山鳩は純然たる野鳥なので、手懐ける事は容易ではない。
平凡な事だが2010年10月以来、彼らが毎日我が家に来る様になって以来ずっと願っていた事なので、何とも幸せな気分であった。
よく観察すると動物でも鳥でも個々の性格があるもので、此の山鳩は今まで我が家に来ていた山鳩の中でも特に几帳面で、米を食べる時も先ず周りに散らかった米から食べ、そして真ん中に固まった米を食べるのである。
其の上、米を食べに来る時間もとても正確で、周りにも常に気を配っていて全く隙が無いのである。
又、外見でも嘴と足が平均以上に強靭で、可愛らしい中にもどことなく凛とした処があるのである。
これ等の特徴を踏まえて余は気付いたのである。
「此の雄の山鳩もしや昨年9月8日に我が家の駐車場の欅の木の上で生まれた鄙が舞い戻って来たのではないか!」
(迷信染みた馬鹿気た事を書く様だが)、西洋のAstrologie「星座占い」では※「乙女座」の典型的な性格として几帳面、丁寧、完全主義、忠実、冷静沈着が挙げられるのだが、此の山鳩の性格に全て当てはまるし、外見の特徴も鄙の頃と共通しているのである。
(※自他共に認めている事だが、余にもこれ等の「乙女座」の典型的な性格は全て該当する。)
しかも鳩は鳥類の中でも特に「帰巣本能」が強い事から推測しても、此の雄の山鳩はまず間違いなく、かつて我が家の駐車場の欅の木の上で生まれた鄙ではなかろうか。
そう思うと此の山鳩を毎日見る度に、自分の家族の一員の様に思えるのである。
そして今では我が家の扉が開いていると、彼は気軽に家の中に入って来るのである。
最早彼も我が家を自分の住処位に思っているのではなかろうか。
9月8日に生れた事に因んで、余は此の鳩に「九八郎」と命名した。
鳩の字の偏が九である事、鳩が「八幡大菩薩」の使いであるとされる事から、縁起の良い名前を付けてやったと思っている。

2015年の追伸:
昨年の12月頃から寒くなったせいか「九八郎」は我が家に来なくなった。
恐らく何処かより暖かい所へ旅立ったのだろうと予測していた。
すると、2月の下旬には再び我が家に舞い戻って来てくれたのである。
久方振りに余が米をやると、すぐ近寄って来たのだが、何と無く照れ臭そうに米を食べていた。
其の仕草が何とも可愛らしかった。

Kunstmarkt von Heinrich Gustav   
All rights reserved