児童虐待に対する批判、及び「純潔教育」「貞操観念」の尊さについて | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

Paul Delvaux :  La Ville inquiete (1941)  

デルヴォー作「不安な町」

読む前に:
この随筆の文中では幾つかの手厳しい表現及び実例を挙げている故、読んでいて不快、不適切に感じられる御仁もいるかと推測される。
しかし正しい世の中とは「偽善」や「奇麗事」だけでは決して成り立たない。
それ故あえて無視出来ない「真実」として記述しているので御了承頂きたい。

誠に痛ましき事だが最近「児童虐待」に関する報道が矢鱈と多い。
厚生労働省の統計によると、2007年度の 「児童虐待相談の対応件数」は40,639件である。(前年度より3,316件増加)
相談種別に見ると、「身体的虐待」が16,296件と最も多く、次いで「保護の怠慢・拒否」(neglect)」が15,429件となっている。
2008年度の「児童虐待相談の対応件数」は42,664件である。(前年より2,025件増加)
相談種別に見ると、「身体的虐待」が16,343件と最も多く、次いで「保護の怠慢・拒否」(neglect)が15,905件となっている。
2009年度の「児童虐待相談の対応件数」も4,4210件(前年より1,546件増加)、そして2010年度の「児童虐待相談の対応件数」は何と5,5152件(幼児49人死亡)で、おぞましき事に20年連続でこの鬼畜にも劣る重犯罪は増加の一途を辿っている。
其の上、これらの児童虐待による幼児の年間死亡数は何と去年で60人を超えているのである!
この統計は児童虐待の件数が十年前の実に13倍 にも跳ね上がっている。
正に6日に一人のペースで幼児が非道で残酷な手口によって殺害されている事には誠に驚愕すると同時に、この犯人共に対して侮蔑と憤怒の念を隠せない!
最早こやつらは「人間」ではなく、「※人魔外道」以外の何者でもない。(※仏教の言葉で、人間が人道を見失い、煩悩によって自ら悪鬼、悪魔に変化した者。 即ち地獄の境地に陥っている最悪最低の者。)
一番哀れなのは何と言っても、犠牲になった幼子である。
誰が好き好んでロクデナシの下郎と淫らな賎女(しずのめ)の間に生まれたい等と望むだろうか?(それだけで恥辱の極みである。)
其の上、人魔外道と化した親によって嬲り殺しにされる子供の恐怖と無念は計り知れない物がある。

児童虐待の種類として、「身体的虐待」「性的虐待」「心理的虐待」「養育の放棄」が挙げられる。
虐待の実情では、いずれか一つのみに限らず、これ等4種類の虐待が混合して起こる事が多い。
児童虐待は幼児の心理に大きなTrauma(心傷)として残り、自信喪失、対人関係問題(対人恐怖症、人間不信)、自傷行為、人格障害、自分自身の子供への虐待、等の「心的後遺症」として悪影響を及ぼす事が少なくない。
「心的後遺症」の典型的な例としてPTSD=Post-traumatic stress disorder(外傷後ストレス障害)が挙げられる。
PTSDの症状としては、外傷的な出来事の再体験(flash backや苦痛を伴う悪夢)、類似した出来事に対する強い心理的苦痛と回避行動、持続的な覚醒亢進症状(睡眠障害、集中困難、過度の警戒心、些細な刺激への過剰な驚愕反応)等がある。
これ等の症状が、心的外傷後、数週間~数カ月の間に発症し、数カ月~数年、最悪の場合半永久的に続くと言う。
世の中にはたとえ結婚生活が長続きしていても、又はたとえ莫大な財産を所有していても、社会に於ける立派な「業績」「名声」「地位」等を持っていても、子宝に恵まれない人だって少なくないのである。
その様な人達からすれば、授かった我が子を虐待死させる等、最早人間の所業ではないと思えるし、他人事とは言えども怒りや軽蔑の念に駆られるのではなかろうか。

心理学の研究によると子供の性格は親、特に母親の態度が密接に関係している。
心理学者の詫摩武俊先生が母親の子育ての態度と子供の性格は次の表の様になると解説している。

*母親の態度          子供の性格
*支配的・・・・・服従・温和・消極的・依存的・自発性なし
*かまい過ぎ・・・幼児的・依存的・神経質・神経的・受動的・

        臆病
*過保護・・・・・社会性欠如・思慮深く親切・神経質でない・

        情緒安定
*甘やかし・・・・我がまま・反抗的・幼児的・神経質
*服従的・・・・・無責任・従順でない・乱暴・攻撃的
*無視・・・・・・冷酷・攻撃的・情緒不安定・創造性に富む
*拒否的・・・・・神経質・反社会的・乱暴・冷淡・

        注意を引こうとする
*残虐・・・・・・強情・冷酷・神経質・逃避的・独立的
*民主的・・・・・独立的・素直・協力的・親切・社会性
*専制的・・・・・依存的・自己中心的・大胆・情緒不安定・

                         反抗


其の他、心理学者の多湖輝先生によると、父親のいない家庭に育った子供は責任感が希薄な性格になり易く、一方で母親のいない家庭に育った子供は社交性の希薄な性格になり易いと記されている。
「親の因果が子に報いる」とか「子は親を見て育つ」と言う諺がある様に、子供はどうしても人格的に親の影響を受けてしまうのである。(例:遺伝子、性格、思考、行動、価値観、生活態度、他)
其れだけに人間が成長し人格を形成する上で、両親の責任は大層重要であると言える。

お粗末な事に児童虐待をする下衆女のほぼ100%近くが結婚前に複数の下郎共と姦通していたと言う汚らわしき事実があるらしい。
因みに巷ではこれらの下衆女共の事を「肉便器」と呼んで蔑んでいる。(最早、流行語にまでなっている。)
こやつらの特徴として、下衆、低能、非道徳、不純、不潔、不誠実、無責任、無節操、無反省、軽薄、身勝手、等が挙げられる。
参考に複数のマスメディアの統計によると、平成時代になって結婚した夫婦の離婚率は何と39%にも達している。
中でも特にこの「肉便器」の離婚率は90%を超えているのである。
更に、「肉便器」の夫(大部分は下郎)は自分の配偶者が「穢れ物」「傷物」または「中古」である事に不満が沸き、浮気、DV(家庭内暴力)に走り、其れに対し「肉便器」は憂さ晴らしに児童虐待その他、浮気の仕返し、依存症(アルコール、薬物、買い物)等の愚行に走る。

その結果、離婚ないしは児童相談所、警察、刑務所、キチガイ病院の御世話になると云う悪循環がお決まりのパターンとなっているのである。(全く下水道を這い回っているドブネズミにも劣る連中である。)
因みにこやつらには「浅ましい」(酷く嘆かわしい状態、卑劣だ、さもしい、惨めだ、等)と言う形容詞、又はドイツ語の"widerlich" 、英語の"nasty"が相応しい。
いずれの形容詞もそれぞれの言語の辞典では「生理的に拒否する様な、吐き気をもよおす様な酷い、悪質な状態」と説明されている。

又、あるマスメディアが未婚の男達にアンケートを採った結果、「結婚相手が断然処女が望ましい。」と答えた者が68.4%、「出来れば処女が望ましい。」と答えた者が28.2%、合計96.6%が結婚相手に処女を望んでいると言うのである。
古来から"Jungfraukult"「処女崇拝」等と言う言葉まである位だから、如何に時代が移り変わっても、「処女」即ち「純潔」や「貞操」は不変的且つ絶対的価値があると言えるのではなかろうか。
同様に、処女達または処女で結婚した女性達の意見を聞いても「肉便器」に対しては手厳しく、「肉便器と言う差別語は酷いと思うが、独身時代にふしだらの限りを尽くし、結婚してからは自分の子を虐待する様な者は、非難されても、不幸になっても、処罰されても当たり前。」との事である。
貴族的な意見を述べさせてもらうなら、本来結婚とは、「純潔」や「貞操」を守れる者のみが為し得る行為であり、「結婚生活」とは夫婦が互いに「愛情」「信頼」「忍耐」そして「寛容」を持ち、其の上互いの「人格」「尊厳」「名誉」を貴ぶ事によって継続される物なのである。
まして仁(人の心)義(人の道)を知らず、己の欲望と利己の赴くままにのさばる餓鬼、畜生の如き下衆には結婚する資格も、子供を作る資格も無いのである。
この様な人間としての素質も資格も持たない下衆が悪戯に結婚、出産をする事によって、「人魔外道」へと変貌して、とどの詰まりは「生き地獄」を味わうのである。(正に「自業自得」也。)
古代から受け継がれている"Jungfräulichkeits Erziehung"「純潔教育」及び "Keuschheit"「貞操観念」の普及は血統、家柄そして社会階層と比例していると云うのは、現在になっても変わらない事実である。
即ち血統、家柄ないしは社会階層が高い者程、「純潔」や「貞操」の尊さを親や祖父母ないしは教育者、宗教家等から教えられて成長しているのに対し、下賎(身分が卑しい)下姓(血筋が卑しい)の輩はこれ等の美徳に対し無頓着であると言う事である。

社会的に見ても、現状では児童虐待に対する刑罰が余りにも軽過ぎる様に思えてならない。
其の一例として死体遺棄をした者は、3年以下の懲役、児童虐待により我が子(1人)を死に至らしめた「人魔外道」を懲役6~8年に処する程度なのである。
当然の事だが、児童虐待の責任は殆ど全て虐待者に着せられるのである!
育った環境が悪いだの、下賎下姓の生まれだの、親からの教育、躾が御粗末だの、人間関係が悪かっただのと本人以外の原因も有るのかも知れない。
しかし世の中にはたとえ親がいなくても、家庭が貧しくとも、生活環境が悪くても自分自身の心掛けと努力によって、それ等の悪条件を克服して成功や幸福を手に入れた立派な人物だって沢山いるのである。
又、日本人は西洋人に比べて「罪」の意識より「罰」の意識の方が強い。
即ち悪い事と思うから犯罪を犯さないのではなく、罰を恐れて犯さないのである。
もう一つの現代日本社会の犯罪の特徴として、所謂「模倣犯」が外国に比べて異常に多い事が挙げられる。
これ等の主たる原因は以下の事柄が考えられる。
・Egoismus(利己主義)の蔓延
・学校、家庭での道徳教育、及び社会の道徳意識の衰退
・自分で思考、判断をしない所謂「他人志向型」の日本人が圧倒的に多い事。
・凶悪事件の内容だけ報道して犯罪者の処罰及びその罪の重さについて余り説明しないマスコミの無責任

一方、ヨーロッパ諸国では、児童虐待に対する刑罰は大抵の場合懲役10年前後、子供を虐待により死亡させた場合は懲役30年以上、又は終身刑が妥当とされている。
しかしながらヨーロッパ諸国では学校でも家庭でも「人間の尊厳」に関する教育及び躾が日本よりも遥かに行き届いている故に、児童虐待等と言うおぞましき犯罪が起きる事は稀である。
(これは以前に筆者が書いた「通り魔」犯罪を批判した記事

にも同様の事を述べている。)
中世から帝政時代までの道徳、倫理、法律の上で判断するなら、(残酷な様だが)「肉便器」等と呼ばれる淫らな賎女(しずのめ)と女の純潔を弄ぶ下郎は強制労働所に収容して、頭を丸坊主にして一定期間奴隷の様に強制労働させる。
そして幼児を虐待して殺害した「人魔外道」は拷問刑に処した後、「火炙り」にて公開処刑するのが妥当であると考えられる。

理想を言うならば、この様なおぞましき犯罪を再発させない為には、「児童虐待防止法」及び刑罰を厳しくしたり、「措置入院」の手続きを採るより、何よりも先ず「純潔教育」及び「貞操観念」を道徳、倫理教育の一環として社会、教育機関そして家庭に於いても浸透させる事こそ必要不可欠且つ最重要なのである!
更に児童相談所に於ける専門職員の整備、並びに最悪の事態を想定しての処置、そして民間に於ける積極的な通報も重要な対策課題である。

最近インターネット界でも「肉便器」に対する非難が内容、件数共に凄まじく、その表現にはえげつない物や過激な物もあるが、(例:肉便器=淫獣、汚物、鬼畜、ゴミ屑、犯罪者 その他)其れを読んでいると如何にこの下衆女共が一瞬の邪な快楽、欲望の為、自分の人生をすっかり台無しにしたかが分かる。
結果的にこの「淫行」に対する軽蔑意識が男性のみならず若い女性の間にも浸透し始めている事は、道徳的な観点からは誠に良き社会現象である。

諺に「歴史は繰り返される。」とあるが如く、ある一定の期間「悪しき時代」が続けば、その反動(ないしは反省)で、次の時代には「良き時代」が到来すると云う実例は世界中の歴史で見受けられる。
再び古き良き時代の「純潔教育」及び「貞操観念」が復活する事を望んで止まない!

 

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