文豪・武者小路実篤先生に寄せて | Kunstmarkt von Heinrich Gustav  

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ドイツの首都Berlin、Brandenburg州及び比叡山延暦寺、徳島県鳴門市の公認の芸術家(画家) Heinrich Gustav(奥山実秋)の書き記した論文、随筆、格言集。

 

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武者小路実篤先生直筆の絵皿 (瀬戸焼 1961年頃)

昨日、5月13日、東京都杉並区の苔花堂書店より、余が注文していた敬愛すべき文豪・武者小路実篤先生(1885~1976)の「人生雑感」(1955年発行)と「詩集」(同年発行)が届いた。
特に「詩集」に関しては書店経営者の方が余の注文の際の文面を読んだだけで、我が実篤先生への尊敬の意を読み取ってくれて、「贈呈」と云う事で送ってくれたのである。
思いもがけない御親切に、余は大変嬉しく思い、即座に当書店に礼状を認めて送信しておいた。
最近では若い世代が本を読む頻度が減少している事と、所謂「出版不況」も影響してか、明治から昭和時代前半に活躍した作家の作品の大多数が絶版、廃版となっている為、実篤先生の作品を入手するのに専ら古書店ばかり利用しているのである。
最も余は古書を日本ドイツ両国にて収集しているので、実篤先生の本の初版号や其れに近い版が手に入れられる事が楽しいのである。
此れにて余の所有する先生の作は以下の通りとなった。

( )内は執筆及び刊行年を表す。

*『人類の意思について』(1927年、角川書店)
*『詩集』(1930、1941及び1947年、角川書店)
*『棘まで美し』(1930年、新潮社)
*『釈迦』(1934年、大日本雄弁会・講談社)
*『名言明訓集』(1936年、大日本雄弁会・講談社)
*『人生論』(1938年、角川書店)
*『幸福な家族』(1940年、中央公論社)
*『人生と芸術』(1941年、河出書房)
*『美術を語る』(1942年、文芸春秋社)
*『美術論集』(1942年、実業之日本社)
*『大東亜戦争私感』(1942年、河出書房)
*『独語』(1947年、愛育社)

*『人生雑感』(1951年、角川書店)
*『幸福論』(1955年、角川書店)
*『画をかく喜び』(1957年、創元社)
*『人生随想』(1960年、雪華社)
*『道徳論』(1961年、角川書店)
*『美と自然について』(1966年、講談社)
*『幸福な人生』(1966年、オアシス社)
*『日本文学全集・武者小路実篤集』(1968年、河出書房)
 


これ等の中でも特に『釈迦』、『幸福な家族』、『人生と芸術』、『美術を語る』、『美術論集』、『大東亜戦争私感』、『画をかく喜び』そして『人生随想』は実篤先生の※自装の木版画による文献で御自身の印鑑を捺印されている。(※著者自身で用紙を選びデザインを決めて製本する事。)

とは言え、これ等の書籍は何せ70年以上の経年から、其の箱が一部少々破損していたが、あらゆる美術品、骨董品を修復出来る余には雑作も無く修理する事が出来た。
実篤先生の小説「お目出たき人」(1911)「幸福者」(1919)「友情」(1919)「愛と死」(1939)「真理先生」(1951)「白雲先生」(1959)等もなるほど興味深いのであろうが、余は個人的には先生の「人生」、「幸福」、「美徳」、「芸術」そして「自然」について述べられている「随筆」や「論文」としての作品、並びに簡潔な言葉の中に感慨深い意味を持つ「格言」や「詩」に多大な魅力と価値を見出している。
又、一昨日5月12日は実篤先生の御誕生日であるので、此れを好機として此の随筆を想起するに至った。



余は既に少年時代より先生の作品や御人柄には興味こそ抱いていたのだが、当時から最近に至るまで、ドイツの文学、哲学、歴史、美術、民俗学にばかり傾倒していた故、なかなか先生の作品を入手して読む機会に恵まれなかった。
しかし、昨年我が親友、天台宗・成願寺住職・甘露和尚が実篤先生の詩と格言と淡彩画の付いた色紙を持って来てくれた事が動機となり、此の年になってようやく実篤先生の作品を本格的に購読するに至った次第である。
先ず実篤先生の生い立ちや経歴を辿って見ると、何とも驚いた(同時に嬉しき)事に、余の其れと多くの共通点、類似点が有る事に初めて気付いたのである!
明治十八年(1885)5月12日、実篤先生は東京都麹町区元園町に子爵・武者小路実世(さねよ)様と御妻女・秋子(なるこ)様との間の末子として御誕生された。
即ち余と同じ酉年生まれなのである。
そして御両親の御名前の「実」(歴代公家の通字)と「秋」の字が余の名前を構成している。
実篤先生の御実家・武者小路家は公卿の名門、清華・三条家の分家であるし、又、我が奥山氏も我が親父殿の生家・小仁井氏も共に清和源氏の流れを汲む家と伝えられ、我が母親方の祖母の実家・蓮井氏は四国の大名であったし、我が父親方の祖母の実家、市森氏も江戸時代の松平家・高松藩の家老職であった。
武者小路家の本家・三条家、奥山家共に天台宗である。(※最も上級の公家、清和源氏の一門は共に大抵は天台宗である。)


幼少時代の悲しき経験も同様で、実篤先生は僅か2歳の時、御父上・実世様に御他界されているし、余の親父殿も余が10歳の時に他界しているのである。
そして此の実世様が当時の公卿の内からの推薦によりドイツへ留学された関係で、御実家には多数のドイツ語の書物があった事から、先生はドイツの文化に御関心を持たれて、大学でもドイツ語を学ばれたそうである。
更に実篤先生は文学者であるだけでなく、美術や自然科学にも大変造詣が深く、其の作品の中でも先生の尊い芸術や自然に関する思想や御意見が沢山述べられており、其の上、先生は自らも素朴な淡彩画や時には油彩画も描かれたのである。
余の他の随筆、論文を読めば分かる様に、余自身もドイツに留学し、(正規学生として)芸術大学、及び(特別受講生として)医学大学で学び、その後も同国で芸術活動(公共事業としての個展)を繰り広げ、1989年から2003年まで足掛け13年ドイツに住んで来た。
同時に画家でありながら、文学的作品も其れなりに執筆し、此の様に一般公開している。
又、実篤先生は公家の御出身らしく、天皇陛下に対する尊敬と忠誠心は生涯変わる事が無かったし、少年時代より『愛国主義』(Patriotismus)と『国家尊重』(※Nationalismus)の思想も貫かれていた事にも、余は多大な共感を覚えるのである。
(※ここでは悪い意味ではなく、良い意味での表現として用いている。)
 

余の場合は親父殿が語ってくれた※Königreich Preußen(プロイセン王国)に少年時代から憧れ、単身でドイツに留学し、此の王国の中枢を成していた首都BerlinとBrandenburg州にて芸術家としての業績を重ねて、遂には当地に公認されるまでに至り、我が作品と名前を永久に残す事が出来る様になったのである。

(我がプロフィール参照)

(※1701年に成立し、1871年にドイツ諸侯国を統一して帝国を築き上げた。)
今でこそドイツにはPreußenの王室こそ公的には存在しないし、其れどころか一部の不届きなドイツ人共の間ではPreußenはAristokratie(貴族主義)、Bürokratie(官僚主義)そして Militarismus(軍国主義)の象徴として否定的な観念を持っている有様である。
今日右翼的な思想、活動を極端にまで規制する、「事なかれ主義」の偽善国家に成り下がったドイツ連邦共和国に余は正直愛想が尽きているのだが、其れでも尚Preußen王国と其の王室Hohenzollern家には一切変わらぬ尊敬と忠誠心を持ち続けている処も実篤先生と類似しているのである。
(今時の若い世代には到底此の様な思想は理解出来ないであろう。されたいとも望まないが・・・・。)
日本人で余と此れ程多くの事柄で共通点、類似点のある人物は先生の他にはいないのではないかと思われてならないのである。

実篤先生は所謂※『白樺派』の思想の代表的人物で、(※1910年創刊の同人誌『白樺』を中心にして起こった文芸の流派。理想主義、人道主義を根本理念とする。)1918年に宮崎県児湯郡木城村、後に1939年に埼玉県入間郡毛呂山町に闘争の無い調和による理想郷『新しき村』を設立した事が現実離れしているとか、1924年には自ら設立した『新しき村』から出て行った事が無責任と批判される事もあった様である。
其の他にも、日露戦争(1904~05)の時には戦争に反対したにも拘わらず、太平洋戦争(1941~45)の際には其の作品「大東亜戦争私感」(1942)等によって戦争を奨励した事が、大戦終結の翌年3月勅選議員に任命された直後に問題視されて、僅か4か月後の7月には其の地位を剥奪された。
しかし余が古今東西見聞して知る限りでは「理想」を追求する人物とは往々にして、強欲とか狡賢いと云った邪悪な性質の無い、至って純粋で善良で敬虔な人柄なのである。
又、「理想」とは実現出来なければ空しいのかも知れないが、信念と工夫と努力によって実現出来れば、此れは人生に於いて最高の幸福なのである!
実に幸いな事に実篤先生は今までの功績が評価されて、1951年には政府から文化勲章を叙勲されているではないか。

 *新潮日本文学アルバム「武者小路実篤」より


余はまだ実篤先生の作品のほんの一部程度しか読めていないが、其れでも其の文章や御言葉から何よりも先ず『人道主義』(Humanisums)即ち「人徳」「仁義」(仁とは人の心也、義とは人の道也)を尊重し、自然への賛美と同情幸福に生きる為の心得と定義、そして芸術家としての生き方を御教示して下さっている事が次々と読み取れるのである。
又、前述の『愛国主義』と『国家尊重』の思想から、日本人の長所並びに日本文化の素晴らしさについても欧米諸国とも比較した上で記述されている。
其れでいて同時に人間の原点とも言える素朴な本性についても、そして先生の生涯の主題である『人生』に於ける本質的な「意味」(Lebens Bedeutung)や「意義」、又は「価値」(Lebens Wert)についても平易な表現によって綴っておられるので、芸術家や文学者や哲学者の様な専門家のみならず、一般人達でも気軽に親しむ事が可能なのである。
実篤先生の作品は芸術や自然を愛好する人間のみならず、何らかの理由で人生の原点に回帰して自分自身を見つめ直してみたいと思っている人々にも是非も無く推薦したい。
余は実篤先生の作品を(少しずつではあるが)読めば読む程に大変な感銘と共感と尊敬の意を得るのである!
此れより出来る限り時間を創っては実篤先生の作品をしみじみと読んで行きたい。
荒唐無稽な事を書く様だが、もし余が実篤先生と同時代に生まれて活動出来ていたなら、確実に無二の師弟か親友になれたと思えてしょうがない。
最早そんな事は実現出来ないが、実篤先生の作品を通じて遥かなる思いを寄せているのである。

追伸として、全国の古書店の検索サイトは以下の物をお薦めする。

 

 

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