切り傷だから縫合する?「傷はぜったい消毒するな」(夏井睦著)備忘録メモPart2 | ライフコーチかめちゃんのブログ

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霧島と沖縄と代官山で3拠点生活しながらセミナー講師しています。2021年までは鹿児島でヨガスタジオを経営してました。2022年セミナー講師業で5億円を売り上げました。セミナーの様子をYouTubeで配信しています。

福岡空港から羽田までのフライトの間に読み切ったこの本。

 

素晴らしいところがたくさんあったので興味を持った方は是非本を購入して読んでみて欲しい。

 

僕は自分自身の今回体験した「切り傷」のところがとくに印象的だったので、ブログに残しておこうと思った。

 

夏井先生の本で印象的だった部分抜粋メモ

 

 

13. 切り傷だから縫合する?

 

 

何かに額をぶつけてパックリと切れたり、調理中に包丁で指を切ったりすることは結構ある。

 

ちょっと指先を切ったくらいなら問題ないが、

 

傷が大きかったり血がなかなか止まらない場合には病院を受診するだろう。

 

そして外科や整形外科、形成外科などを受診し傷を縫ってもらうはずだ。

この「切り傷(裂傷)だから縫う」というのは当たり前のようだが、

 

実はこういう「当たり前」のところにパラダイムが潜んでいるものだ。

 

実は裂傷は縫合しなくても治せるのである。

裂傷患者さんは何をして欲しくて病院を受診するのだろうか。

 

縫って欲しいから受診するのだろうか。実は違うと思う。

 

患者さんの希望は次の三点のはずだ。

 

①痛みを止めて欲しい

 

②出血を止めて欲しい

 

③きれいに傷を治して欲しい

 

この中で最も差し迫った要求は①の痛みと②の出血である。

 

③のきれいに治して欲しいという希望が出てくるのは①と②が落ち着いてからだ。

 

なにしろ裂傷は痛くて血が出ているのだ。とにかくこの痛みと出血を何とかしてくれ、と受診しているはずだ。

しかし、裂傷を見た医者は即座に「縫いましょう、縫わないと治りません」と告げるはずだ。これはどこかおかしくないだろうか。

 

実は、「痛みと出血を止める」には幾つか手段があり、

 

傷の縫合はその幾つかある手段の一つに過ぎないのである。

 

例えば、止血力のある創傷被覆材を貼るだけでも痛みと出血は止まるし、

 

圧迫して出血を止め、それから絆創膏で傷口を寄せるだけできれいに治るのだ。

 

このような理由から、筆者は小児の顔面などの裂傷はほとんどテーピングのみで治療している。

 

押さえつけて泣かせてまで傷を縫合する必要がないし、

 

テーピングで治した方が小児の患者さんのメリットになると考えているからだ。

 

テーピングだけで裂傷が治せる、と講演会で説明すると、

 

決まって「私が縫合した方がもっときれいに治る。縫合できる傷なら縫合すべきだ」と反論してくる医者がいる。

 

それも決まって形成外科医である。

 

形成外科医の仕事の一つは傷をきれいに縫うことであり、そのための技術も持っている。

 

だから、傷は縫うべきだと考えるし、傷を縫うのは当たり前という考えに陥ってしまう。

 

そして、縫合する技術があるなら、縫合しないのはおかしいと考えてしまう。

 

このような考え方をする形成外科医の反論のパターンは決まっている。

 

「確かにテーピングでも治るかもしれないが、縫合した方がもっときれいなはずだ。縫合しないのは怠慢ではないか」というものだ。

 

では、本当に縫合した方がきれいに治るのだろうか。

 

それほど劇的な差があるのだろうか。

 

実は数ヶ月後の状態で見ると、その差は非常に小さいのである。

 

形成外科医にしかわからない差しかないのである。

 

これはラーメン店の味を考えるとよくわかる。

 

非常に不味いラーメン店とグルメ本で紹介されているラーメン店の味の差は誰が食べてもわかる。

 

その差は歴然としているからだ。

 

だが、グルメ本に登場するラーメン店同士の味の差を評価するのは難しい。

 

美味しさの違いがごくわずかしかないからだ。

 

 

不味いラーメンならちょっと工夫するだけで美味しくなるが、

 

かなり美味しいラーメンをもっと美味しくしようとしたら工夫の限りを尽くさなければならない。

 

しかもそれで得られる味の違いは、ラーメン評論家にしかわからないレベルであり、

 

一般人には優劣の差はほとんどわからない。

 

つまり、レベルが低い状態では少しの努力と工夫で劇的な向上が得られるが、

 

頂点に近づくほど、多大な努力と工夫をしても、得られる変化の幅も向上の度合いも小さいのだ。

 

そして、そのわずかな違いを敏感に察知し、その部分に価値を見出すのが専門家という人種なのである。

傷の縫合とテーピングでの「きれいに治る」のレベルの差は、実は素人が見てもわからないのだ。

 

専門家にとっては違いがあるかもしれないが、素人(患者)にとっては見分けがつかないのである。

 

料理が美味いか不味いかを決めるのは客であり、料理人が判定するものではない。

 

同様に、治療の結果がよいか悪いかを判断するのは、客、つまり患者であって、医師ではないのだ。

 

治療は患者の満足のためにあるのであって、医師の満足のためにするのではないはずだ。

 

患者にとって違いがわからなければ、痛い思いをさせずに治す方が患者にとって好ましい治療である。

形成外科医は

 

「形成外科医が縫合すれば100点の結果が得られるが、テーピングのきれいさはせいぜい80点程度」

 

と考えるが、その違いは傍目から見て、微々たる違いでしかないのである。

 

 

おまけに形成外科医の数は多くない。

 

平成18年の厚生労働省の統計によると全国で1900人ちょっとだ。

 

つまり、1県あたり四十人平均であるが、実際は形成外科医は都心部に集中しているため、

 

地方の病院には形成外科医がないことの方がむしろ多い。

 

「形成外科医が縫合した方がきれい」というのは事実としても、

 

その恩恵にあずかれるのは、膨大な数のケガ人のうちのごく少数なのである。

それであれば、1900人ほどの専門家が完璧な治療をするより、

 

毎年生まれる8000人近い新人医師が、80点のケガの治療ができるように教育した方がいいに決まっている。

 

 

素人にはわからないようなわずかな違いを得るために、

 

全精力を傾けるのが専門家であり、専門家はその努力を怠ってはいけない。

 

しかしだからと言って、その「努力」を患者に押し付けるのは本末転倒であり、医師の自己満足に過ぎないのだ。

 

 

繰り返すが、縫合は治療の一手段であり、縫合することが治療の目的ではない。

 

しかし、なまじ高度な縫合技術を持ってしまうと、自分の持っている技術を発揮することが治療の目的に置き換わってしまう。

 

これを私は「手段の目的化」と呼んでいる。

 

本当に素晴らしい先生だ。

 

このような先生に巡り会えたことを幸運だと思った。

 

来週の診察がちょっと楽しみですらある。

 

夏井先生の存在を教えてくれた視聴者さんにも感謝!