2023年1月22日(日)
今日の気分は?
久しぶりに湧きあがった顔のコンプレックスとそれに対するセルフ解放
人生で1度あるかないかの大怪我をしたのが2023年1月19日(木)20:30頃。
今日1月22日(日)はあれから3日目を迎えたことになる。
こうしてブログを再び書こうと思えただけでも肉体的・精神的に回復してきた証とも言えるだろう。
朝のライブも昨日から復活して今日も30分頑張って話をした。
ライブ中はあまり顔が痛まないから不思議なものだ。
痛すぎる日々の内面日記
ここ数日は本当にしんどくて、とにかく何をしていても、していなくても、顔が痛い。
そして目の骨の骨折の影響か、顔の右側がパンパンに腫れていて、視野が狭いこともストレスだし
右目を動かすたびにズキズキするのもストレスだ。
さらに鏡を見るたびに、大きく膨れ上がった自分の右顔を見ては、目を背けたくなる。
ひどい怪我として目を背けたくなるのもあるし、
もっと大きいのは、「顔にコンプレックスを持つ自分」を見たくないのだと思う。
久しぶりの顔コンプレックス発動
思えば、幼少期、僕は自分の顔と頭が大嫌いだった。
当時、体に対して頭と顔が大きかったため、同級生の特に女子たちからそのことをよくからかわれたのだった。
何かのイベントで、ヘルメットをかぶらなければいけなくて、それが僕だけ入らなくて、同級生から笑われた小学校時代の出来事も
小さなトラウマになっていたのだと思う。
大人になり、ある程度女性と付き合ったり結婚したりして、自分の顔や頭に対するコンプレックスはすっかりなくなったと思っていた。
それでもやっぱり大きく腫れ上がった化け物のような(と捉えてしまう)自分の顔を見ては、ひどく落ち込むのだ。
今の僕はYouTuberであり、人前に立つ職業。
こんな顔でこれからも人前に出れるのだろうか?
そもそもこの腫れはいつか引くのだろうか?
頭では何度も「何よりまし」ワークと「何は起きない」ワークをしつつも、
鏡に写る自分の顔を見てはひどく落ち込む。
そんなことを3日間も繰り返していた。
目に止まった津留晃一さんの本
今日、何気なく津留晃一さんの本を読んでいた。
「多くの人が、この本で変わった」(英光舎。)
という本の中にある一節が目に止まった。
絶望感から学ぶ
<絶望感>という言葉はこの三次元世界では最も否定的な言葉のひとつであると言えるでしょう。
「私は今、絶望のどん底だ!」という話を聞かされたとき
「おめでとう!良かったね」と励ますことのできる人が果たしてどれくらいいるでしょうか。
エネルギーの次元から見れば<絶望的だ!>という状態とは、覚醒へのポテンシャル(可能性)が最も高くなるということです。
バネでいえば、その弾性限界ギリギリまで引き伸ばされた、最も反発力を蓄えた理想的状態です
この文章を読んで僕は2つのことに気づいた。
自分は、実は小さく絶望していたこと。
そしてその絶望は覚醒へのポテンシャルを最も高めてくれているということ。
悟った風の僕の人生だったけど、人生はまだまだ奥が深いようだ。
不思議なことにこの文章を読んでから鏡を見ても何の感情も湧いて来なかった。
昨日より腫れが引いたようにも見えてきたし、「化け物」と捉えていた自分の顔は、
試練に耐えた勇敢で優しい戦士のような美しい顔に見えてきたのだった。
人生は捉え方
結局のところ、人生とは捉え方の集合体だ。
そのことを毎日のように教え伝えていたはずなのに、改めて自分が体験しながら学んでいる。
思えば、YouTubeがバズり、連日休みなくセミナー・講座・講演会をするようになってからというもの、
誰かの何かの学びや講座に行くことがすっかりなくなっていた。
2年分くらいの学びが一気に詰まった素晴らしいギフトが今回の出来事なのかもしれないなと思った手術後3日目だった。
今日の出来事日記と思い出写真
朝起きて、家でエネルギーを持て余していたレオくんを連れて近所の西郷山公園へ。
寒くてもお散歩大好きなレオくん
眠かったようで帰って来てからぐっすりお昼寝していた。
そこからは、遊びに来てくれていたセンターピース卒業生の田中だいちゃんとくりちゃんも合流して、
愛ちゃん・レオくんと近所のラーメン屋さんへ。
目的の鴨ラーメンがお休みだったので、代わりの近くのお店に行ったのだけど、満足度は10段階中3くらいだった。
鴨ラーメンが恋しい...。
見た目は美味しそうだったんだけど
くりちゃんもだいちゃんも満足度は10段階中5だったとのこと
ラーメン屋からの帰り道、顔が痛む僕を励まして腕を組んで歩いてくれた愛ちゃんとの2ショットをくりちゃんが撮影してくれていた。
お昼ご飯を終えて家に戻ってくると、僕はエネルギーが枯れたように昼寝をして、気づいたら3時間くらい寝ていた。
回復に体力を使うからなのか、ここ数日はとくに何もしていなくてもすぐ疲れて眠くなってしまう。
夜起きて、Uberで近所のフレンチのご飯を食べていたら、愛ちゃん・レオくんも帰って来て一緒にご飯。
あんまりお昼寝をしなかったレオくんは20:00前にはすやすやと寝てしまっていた。
そこから愛ちゃんがお風呂で頭を洗ってくれた。
水が垂れてくると、まだ痛くて自分では頭が洗いにくい。
湯船から頭を後ろに出して、愛ちゃんに洗ってもらっていると、介護してもらってるかのような感覚になる。
愛ちゃんは「介護の予行演習だね!」と嬉しそうだったけど、僕はやっぱり何とも申し訳ない気持ちになってしまう。
1日、誰かの役に立つことを何もしない日が続いている。
こんな感覚はいつ以来だろうとも思う。
これを書いている今も、右目と右頬は痛んでいる。
今日もこの痛みを受け入れて、痛みとともに眠りにつこうと思う。
今日のまんぞくした瞬間
愛ちゃんと近所のラーメン屋へ
愛ちゃん毎日ありがとう!
本当に助かっています